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女子高の王子様は、アタシにだけ重すぎる   作者: ちーよー
泉 真琴 ステップアップ
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66/80

第66話 遠すぎる背中

 部屋の中に、ココアの甘い香りがゆっくりと漂う。

 湯気の立つマグカップを両手で包み込みながら、着る毛布にすっぽり包まれためるが、ほっとため息を吐く。


「あぁ……身体と心に染み渡る……」

「そんなに帯、苦しかった? 」

「想像以上! なんかずっと、お腹ぎゅーってされてる感じ! あんなに屋台で欲張って食べるんじゃなかったぁ……」

「結構、食べてた」

「だって叶乃といると、つい釣られて食べ過ぎちゃうんだもん! 」

「人のせいにしない」

「むぅ」


 めるは両腕を突き上げて背筋を伸ばす。


 不満そうに頬を膨らませる姿がおかしくて、私は小さく笑ってしまう。

 

「あ、いまバカにしたでしょ」

「してない」

 

 ソファの向かい側でそんな私たちのやり取りを眺めながら、つむぎさんも自然と笑みを零した。


「いいんだよ真琴ちゃん、めるはバカだから笑ってあげて」

「お姉ちゃん!? 」

「あ、言い方間違えた。『バカ可愛い』ってこと」

「……分かります」

 

 私が大真面目に同意すると、めるの耳が瞬く間にほんのり赤くなった。

 

「……まぁね、アタシ可愛いし」



 分かりやすい照れ隠しをしながら、めるはココアをひと口飲む。

 私も、自分のカップへ口をつけた。

 じわりと広がる甘さは、どこか、落ち着く味だった。

 しばらく他愛もない話で盛り上がっていると、めるがふと思い出したように顔を上げる。


「そういえば、お姉ちゃん」

「ん? 」

「神戸のチームはどう?  」

  

 その問い掛けに、つむぎさんは少しだけ考えるように視線を泳がせた。


 「どう……かなぁ」

 

 手元のマグカップを見つめながら、つむぎさんは自嘲気味に小さく笑う。

 

「去年はね……正直、全然ダメだった」

  

 めるも私も、思わず声を詰まらせて続きを待った。

 

 「移籍したばかりだったし、周りは年下の子も含めて、世代別代表や、フル代表クラスのバケモン揃い。最初は練習に付いていくだけで本気で精一杯だったんだよね」


 その時を思い出してるかのように、つむぎさんの視線はどこか遠くを見ていた。


「もちろん試合には出られない。スタンドから眺めるか、たまにベンチを温めてるだけ」


 言葉は驚くほど淡々としていた。ただ、事実を並べるように。


 「それでも、必死に毎日食らいついて……秋頃になって、少しずつ使ってもらえるようになった」

  

 つむぎさんは顔を上げ、ふっと笑う。

  

「で、今はスタメン」



 その笑顔は誇らしいというより、ようやくスタートラインに立てた人の笑顔だった。


「今年はもっと結果を残したいな。それで、その先は海外」

「海外……っ? 」

 

 さらりと告げられた大きな目標に、めるが目を丸くした。

 


「チャンスがあるなら絶対挑戦したい。それが今の、私の現実的な目標」

 

 静かだけれど、ブレない声。

 夢を語るというより、次の一歩を踏み出す道を確認するような、そんな確かな口調だった。


 私は少しだけ迷ってから、手元のカップを見つめたまま口を開いた。


「……去年は、試合に出られない時期も長かったんですよね」

「うん」


 つむぎさんはあっさり頷いた。


「正直、何回も辞めたくなったよ」


 思わず、めると同時に顔を上げる。


「……でもね」


 つむぎさんは、ココアを一口飲むと、抑えきれなかったような笑みを浮かべた。


「辞めたいより、試合に出たい気持ちの方が強かった」


 その一言は、静かな部屋と私の心にすっと溶けていく。

 強い人は、迷わない人なのだと思っていた。

 違う。迷っても、それでも進む人のことなのかもしれない。

 

「だから、練習するしかなかったんだよね」


 隣でめるが、下唇を噛んでいた――


 つむぎさんは悔しさも、焦りも、大袈裟には語らない。

 それなのに。その一言一言から、積み重ねてきた時間だけは伝わってくる。


「……ほら」


 めるが誇らしそうに、でも少しだけ切なげに笑う。


「ん? 」

「そういう努力をさ、当たり前みたいに続けられるところ。凄いなって」

  

 つむぎさんは少し気恥ずかしそうに苦笑した。


「でしょ」

「うん」


 めるは何度も、自分に言い聞かせるように深く頷いた。


 「昔からずっとそうだったもん。お姉ちゃんは、ちゃんと努力が出来る人だから。試合に出られなくて腐りそうな時も知ってるし、それでも当たり前みたいに練習を続けて……」

 

 めるが、少しだけ寂しそうに笑う。


 「そうやって自分でチャンスを掴んで、ちゃんとスタメンを取って。やっぱり、お姉ちゃんはお姉ちゃんだなぁって……遠くへ行っちゃうんだろうなって思う」

  

 つむぎさんは静かに首を横に振った。


「努力なんて、みんなしてる。私だけが特別なわけじゃない」

「でも」


 めるは視線を膝元に落とすと、袖をきゅっと握り締めた。


 「その『みんなしてること』を、ずっと続けられるのが、一番凄いんだよ」

 

 その声は、ひどく静かだった。




 ふと、つむぎさんが優しげな視線を私に向けた。


「真琴ちゃんはさ」

「はい」

「めると付き合って、どれくらい? 」

「えっ!? 」


 隣でめるが、弾かれたように勢いよく顔を上げた。


「お、お姉ちゃん! 」

「あ、ごめん」


 つむぎさんは声を少し落として謝るものの、全然ごめんと思っていなさそうな笑みを浮かべた。


「気になっちゃって」

「そ、それは……」


 あまりにも直球な質問に、私は完全に言葉に詰まる――どう答えようか迷っていると。


「もう! その話はまた今度! 」


 めるが慌てて会話を遮った。


「えー、ケチ」

「はい! ケチです!! 」


 頬を真っ赤にしためるを見て、つむぎさんは声を上げて笑う。


「だって、昔はめるとこんな話出来なかったでしょ」

「お姉ちゃん。高校も寮暮らしだったからだよ」

「たまに帰ってきた時に『好きな人いないの?』聞いても『恋愛対象で人を好きになったことないし、よく分かんない』しか言わなかったじゃん」

「あーーーー!! ほんとにやめて!!! アタシは何も聞かないし何も言わない」


 めるが口をきつく結び、両耳をモコモコの袖ごしに両手でふさいで、ブンブンと首を振った。



「ごめんごめん。からかい過ぎた」


 つむぎさんの笑顔につられて、私も口元が綻んでしまう。

 こんな風に、遠慮なく笑い合える姉妹なんだ。


 さっきまで抱いていた"偉大なお姉さん"という印象が、少しだけ柔らかく身近になった気がした。

 

 

 それでも……めるがその背中を、ずっと眩しそうに追い掛け続けてきたことだけは、きっと変わらない。



 ふと、本棚の写真立てが目に入った。幼いめるは、やっぱりカメラじゃなくて、姉だけを見ていた。あの頃からずっと、めるにとってつむぎさんは、追いかける背中だったのだろう。



 


 部屋に、一瞬だけ穏やかな静けさが流れる。




 その空気を破るように、テーブルの上でブー、ブー、とつむぎさんのスマートフォンが激しく震えた。

 

「あ、ごめん」

  

 つむぎさんが画面を覗き込み、少しだけ綺麗に整えられた眉を上げる。


「チームメイトからだ。ちょっと電話出てくるね、すぐ戻るから」

 

 そう言って、つむぎさんは軽快な動作で立ち上がった。


 「二人とも、ココア冷めないうちに飲んじゃってね」

  

 バタン、と静かにドアが閉まる。


 部屋に残されたのは、私とめるだけ。

 さっきまで賑やかだった部屋が、急に静かになる。

 めるは耳から手を下ろし、自分のマグカップの底を見つめたまま、小さく、ため息のような息を吐き出した。


「……やっぱりさ」

  

 ぽつり。

 誰もいなくなった空間に、めるの声が寂しく落ちる。

 

「お姉ちゃんって、本当に遠いな。凄すぎるんだよ……」

 

 返事はしなかった。

 彼女の胸の奥から溢れ出そうとしている言葉を、私はただ静かに待つ。


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