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女子高の王子様は、アタシにだけ重すぎる   作者: ちーよー
泉 真琴 ステップアップ
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第65話 何にもない

 めるにお姉さんがいることは、もちろん前から知っていた。けれど、実際にその姿を見るのは今日が初めてだった。


 めるが慌てて私から飛び退く。

 目の前に佇むお姉さんは、私の顔をじっと見つめながら、不思議そうに一度首を傾げた。


 視線が私の顔から、肩幅、そして足元へとゆっくり滑るように移っていく。


「か……れし? 」


 少し考えてから、お姉さんは首を横に振る。


「……じゃないよね」

「違うっ!! 」


 めるが食い気味に、割れんばかりの大声で否定した。


「女の子だよね。一瞬、男の子かとも思っちゃったから。気を悪くしたらごめんね」

 

 一瞬、玄関の空気が張り詰めたように止まる。

 女性は少し考えるように首を傾げたまま、黙って私とめるへ視線を巡らせる。


「あー……」


 何かを察したように、小さく頷く。


「だからあんな風に、必死になって抱きついてたんだ」

「納得するの早すぎじゃんね!? 」


 めるの顔が、耳の裏まで一気に真っ赤に染まっていく。


「普通、もっと驚くでしょ!? 」

「いや、これでも結構驚いてるよ? 」

 


 口ではそう言いながらも、その綺麗な口元は楽しそうに弧を描いている。


「別に相手が女の子だから驚いたわけじゃなくてさ。めるがあんなに甘えた顔で、家族以外の誰かに、抱きしめられてる姿なんて初めて見たから」


 姉だからこそ分かる指摘の鋭さに、めるは返す言葉を失ったようにさらに顔を赤くした。



「あ、自己紹介がまだだったね」


 お姉さんは私の前まで滑らかに歩み寄ってくると、小さく頭を下げた。


「八乙女つむぎ。めるの姉だよ」

「……泉真琴です。お邪魔しています」


「よろしくね、真琴ちゃん。……って呼んでもいい? 」

「はい、もちろん。よろしくお願いします」


 つむぎさんは私を見て、どこか親しみ深い笑みを浮かべた。

 


「いや、本当に最初、男の子かと思っちゃった。雰囲気がすごくイケメンだから」

「よく言われます」

「だよね」


 あっさり返される。

 その自然さに少しだけ肩の力が抜けた。


「っていうか、お姉ちゃん! 」


 置いてけぼりにされていためるが、慌てて私たちの間に割って入る。


「何で帰ってきてるの!? 」

「正月はオフだよ。ウインターブレイクもあるし」

「聞いてない! 」

「サプライズ? 」

「最悪! 」

「振袖、可愛いじゃん」

「『も』が抜けてる!『振袖も可愛いじゃん』だから!! 」


 姉妹の軽快なやり取りに、思わず笑ってしまう。

 本当に仲が悪いわけじゃない。

 むしろ、昔から何度も繰り返してきたやり取りなんだろうと思えるくらい自然だった。



「まあ、とりあえず」


 つむぎさんがキャリーバッグの手すりをポンと軽く叩く。


「部屋に荷物置いてくるから、二人ともリビングでゆっくりしてて」

「それ、どっちか言ったらアタシのセリフなんだけど」

「じゃあ、めるが代わりに私の部屋まで持って上がってくれる? 」

「振袖で歩きにくいから絶対に嫌」


 つむぎさんはフッと優しく笑うと、キャリーバッグを軽々と持ち上げて二階へと上がっていった。

 トントン、と階段を上っていく規則正しい足音が聞こえなくなるのを、私たちは無言で待つ。


 「はぁあ〜……」


 静まり返った玄関で、めるは魂が抜けたような深い息を吐き出した。


「終わったぁ……」

「そんなに? 」

「だって! 」


 めるは両手で顔を覆い、頭を抱える。


「よりによって、一番見られたくない人に見られちゃったんだもん……」

「仲が悪いわけじゃないんだよね? 」

「ううん、違う。お姉ちゃんのことは好きだし、仲も良い。……ただ」


 めるの手がゆっくりと顔から離れる。

 床へ視線を落としたまま、小さく息を吐いた。


「ずっと、お姉ちゃんと比べて自分を見てきたから……」


 寂しげに肩をすくめる。

   

「運動も勉強も、お姉ちゃんの方がずっと出来て。サッカーでは全国に行って、夢だったプロ選手にもなった」

「凄いね」

「うん」


 小さく頷く。それから、笑おうとした。

 でも、その笑顔は最後まで形にならなかった。 


「アタシにはさ……」


 少しだけ間を置いて、めるはぽつりと呟く。


「何にもないんだよね」


 それきり、めるは何も続けなかった。

 いつも誰かを照らしているめるが、自分のことだけは光の外に置いている。


 自嘲するように呟いたその横顔は、今にも泣き出してしまいそうなくらい脆く見えた。

 いつも眩しいほどの笑顔で私の隣にいてくれるめるが、胸の奥に隠していた傷を、初めて見た気がした。


 何か言葉を返したかったけれど、今の私には、お姉さんと比べていためるのこれまでの苦しさを、軽々しく否定してあげられるような器用な言葉は見つけられなかった。


 だから私は、そっとめるの背中に手を添える。



「……める」

「あ、ううん! ごめんね、せっかく来てくれたのに変な話しちゃった! 」


 めるはハッとしたように顔を上げ、慌てていつもの明るいトーンを作ろうとする。でも、その笑顔は少しだけ無理をしていた。


「とりあえず、早く着替えよっか! ずっと帯で締められてて、本当にお腹限界だし! 」

「……うん。そのほうが良い」


 それ以上はあえて追及せず、私は小さく頷いた。


「じゃあ、二階のアタシの部屋行こ。お姉ちゃんに見つかったら、また何か言われそうだしね」


 めるは二階へと続く階段を気にしながら、静かに歩き出す。

 トントンと足音を忍ばせながら階段を上り、お姉さんのいる部屋の前を気配を殺してすり抜けた。

 廊下の突き当たり、奥にあるドアには可愛いフォントで『める』と書いてあるネームプレートが貼られている。


 ドアノブが回り、私はその一歩内側へと足を踏み入れた。


 部屋の中には、綺麗に整理された本棚、ベッドの隅に並ぶいくつかのぬいぐるみ、そして以前貸すと言っていた漫画のシリーズがずらりと並んでいる。


 ほんのりとめるの香りがする。


 ビデオ通話越しでしか知らなかった、めるだけの部屋。


 小学生の頃から、何度も想像した。

 どんな本を並べ、どんなものを大切にして、どんな景色の中で眠るのか。

 ずっと扉の向こうにあっためるの日常へ、今の私は招かれている。



「あ、適当にその辺座ってて! 」


 めるはそう言うと、着替えを取り出すためにクローゼットを開けた。

 ハンガーをガサゴソと探っていたけれど、やがて動きを止め、困ったように振り返る。


「……真琴」

「なに? 」

「その……」


 少しだけ困ったように笑う。


「帯、ほどけない」


 眉を下げておねだりするようなめるの視線に促され、私は彼女の後ろへと回った。


 朝、私がきつく綺麗に結び上げた帯。その結び目に指をかけ、複雑な形を一つずつ解いていく。するり、と長い帯がほどけ、柔らかな布地が私の腕へ落ちてくる。


「はぁぁぁ……楽になったぁぁ……!」


 帯の締め付けから解放されためるは、その場でへなへなと緊張の糸が切れたようにしゃがみ込んでしまった。


 けれど、すぐに思い出したように立ち上がると、クローゼットから部屋着を引っ張り出す。

 それは、すっぽりと身体を包み込むチェック柄の『着る毛布』だった。

 ポンチョやガウンのようなゆったりとしたデザインで、見るからに温かそう。


「真琴、ちょっと後ろ向いてて」

「……?」

「着替えるから」

「……あ」


 回れ右をして、壁だけを見つめる……壁だけ見てろ、私。

 壁掛けの鏡なんて、置いてなくて本当に良かった。

 あったら、たぶん……一回や二回……五回は見てしまっていた。



 後ろからは、衣類が擦れ合う微かな音だけが聞こえてくる。


「よいしょ……。やっぱり帯って固いなぁ。あ、髪型崩れちゃったかも」


 そんな無防備な声が、静かな部屋の中で妙に鼓膜に響く。生唾を飲み込みながら背後を気にしていると、ふいに背後にめるの気配を感じた。


「真琴? 」

「見てない」

「アタシまだ何も言ってないんだけど」

「まだ、見てない」

「……もう、こっち向いて良いよ」


 振り返ると、そこにはさっきまでの艶やかな振袖姿から一転して、モコモコとしたチェック柄の着る毛布に身を包んだめるがいた。

 大きめのサイズ感のせいで、裾を少し引きずるような丸みのあるシルエットになっていて、それがたまらなく可愛い。


「やっぱり、これが一番落ち着くじゃんね」


 はにかむように笑うめるを見ていると、また抱きしめたくなってしまう。



「そうだ」


 めるは本棚の前へ駆け寄ると、指先で背表紙をなぞり始めた。


「どこまで読んだっけ? 」

「5巻」

「おっけー! 」


 迷いなく何冊か抜き取って、私へ差し出す。


「はい! 続き! 」

「ありがとう」



 両手で受け取る。

 前から楽しみにしていた漫画だった。


「これね、7巻からが本当にヤバいから! 絶対夜更かししてでも読んで」

「夜更かしはしない」

「アタシとの電話は、夜更かしするくせに」

「めるの声ずっと聞いていたいから」

「録音はやめてね」

「……うん」

「間が怖いんだけど」



 くすくすと笑うめる。


 こうして他愛もない話をしている時間が、心地良かった。

 けれど、その笑い声の奥に、さっきの「何にもないんだよね」という呟きがまだ小さく沈んでいる気がした。


 ふと視線を上げると、本棚には漫画だけじゃなく、小さな写真立ても並んでいた。


 姉妹が並んだ古い写真。写真の中のめるだけが、カメラではなく、隣に立つユニフォーム姿の姉を見つめていた。

 憧れと寂しさは、案外よく似た顔をしているのかもしれない。

 

 さっきの会話を思い出して、少しだけ胸が締めつけられた。



 コンコン。


 控えめなノックが部屋に響く。


「入るよー」


 返事を待つより早く、ドアがゆっくり開いた。


「お邪魔しまーす」


 つむぎさんが、飲み物の入ったトレーを片手に部屋へ入ってくる。


「ミルクティーなかったから、ココア。寒かったでしょ」

「ありがと、お姉ちゃん」

「ありがとうございます」



 三人分のマグカップを机へ並べると、つむぎさんはそのまま自然な動作で床へ腰を下ろした。


「せっかくだしさ」


 ココアを一口飲んでから、にこっと笑う。


「久しぶりに、めるとゆっくり話したいなって思って」


 それから私へ視線を向ける。


「もちろん、真琴ちゃんも一緒に」

「私も……ですか? 」

「うん」


 つむぎさんは柔らかく頷くと、少しだけ口角を上げた。


「めるがあんなに大事そうに抱きしめる子なんて、興味しかわかないんだが! 」

「お姉ちゃんっ!! 」


 めるが身を乗り出し抗議する。


 その様子を見て、つむぎさんは楽しそうに笑った。


「ごめんごめん」


 そう言って笑顔を収めると、どこか優しい目で妹を見つめる。


「でも、少しだけ話そうか」

「……うん」


 その返事を聞いたつむぎさんは、どこか安心したように微笑んだ。

 

 隣に座るめるの横顔を、そっと見つめた。

 さっき笑っていたはずのその表情は、まだ少しだけ曇ったままだった。

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