第58話 クリスマスイブと、理性の限界
「うわ、待って! 広っっっ!! ヤバ、マジでラブホじゃんウケるーーー!! 」
ドアが閉まった瞬間、とりあえずいつものテンションで叫んでみる。
叫んで、勢いよく部屋に飛び込んで、……そこまでは完璧だった。
完璧に「ノリ良いアタシ」をやれてたはず、なんだけど。
……いやいやいや、ちょっと待って。ベッドでかすぎない!? しかも、当たり前に一つしかないし!
目の前には、部屋の半分を占領するみたいな巨大なベッドがドーンと鎮座していた。
しかも照明がなんか……絶妙にムーディーっていうか、薄暗いっていうか、とにかくエロい。
本物だ。ガチのやつだ!
いったん落ち着けアタシ! 今日は女子会! ただの女子会だから!!
「とりあえず、荷物置こう」
テーブルに荷物を置いて、わざとらしく洗面台の方へ向かった。
平気なフリをして泉さんに言ったはいいけど……心臓がうるさい。バクバクってレベルじゃない。
ぶっちゃけ、こういう場所って『シミュレーション』すらしたことないクソピュア人間なんだけど!
空気吸ってるだけでなんか悪いことしてる気分になってくる。
「ねえ、泉さん。アメニティえぐいんだけど! リファじゃん! ヤバっ!! 」
ハイブランドのアメニティやリファのアイロンを見つけて、大袈裟に騒ぎ立てる。
よし、いいぞ。美容の話にすり替えろ。ベッドは見ない。見たら意識しちゃうから絶対に直視するなアタシ……!
手を伸ばした化粧水のボトルが、手汗のせいで指先からツルッ。
「おっと……! 危なっ! 」
野生の勘でなんとかボトルの頭をガシッと掴み取った瞬間だった。
すぐ後ろから伸びてきた泉さんの手が、アタシの手を上からきゅっと包み込む。
「大丈夫!? 」
……え?
鏡を見たら、心配そうにアタシを見つめる泉さんとバチッと目が合う。
待って待って、距離近っ!!
っていうか泉さん、ボトルじゃなくてアタシの手ガッツリ握っちゃってるじゃんね!?
――これ、アタシが後ろからバックハグされながら手を握られてるみたいになってない!?
心臓が完全にキャパオーバーした。ベッド見ないようにしてたのに――理性、強制終了のお知らせである。
――ブルルルッ。
密着したアタシたちの間で、肩から提げたスマホショルダーが震えた。
「ひゃっ!? 」
密着していた体にダイレクトに振動が伝わって、思わず変な声が出る。
泉さんもびっくりしたように、重ねていた手をスッと引いた。
慌ててショルダーからスマホを取り出す。液晶画面に映し出されていたのは――。
『お母さん』
その四文字が目に飛び込んできた。
「あ……」
完全に忘れてた。
無断で、北海道まで来たという現実が、一瞬で脳内に呼び戻される。
……今、札幌で泉さんとラブホにいるよ♥ なんて言えるわけないじゃんね!?
泉さんが、アタシの手元の画面を心配そうに覗き込んできた。
「お母さん……? 」
「う、うん……」
どうしよう。出ないわけにも、いかないよね。
ソファに座り、小さく『ふぅー』と、息を吐いてから応答ボタンをタップした。
「お母さん? 」
『める!? やっと出た! 何してたの? 』
良かった……そこまで声音は怒っていない。
『ちょっと、泉さん家にいるんだけど……みんなでアニメとか観てたら盛り上がっちゃって』
『また、迷惑掛けてるんじゃないの? 早く帰ってきなさいよ』
無理無理無理無理!! だって、北海道だもん!!
何て言おう……言葉に詰まってしまう。
隣に座った泉さんがアタシの持っていたスマートフォンをスッと自分の方へ引き寄せる。
通話口に向かって、凛とした綺麗な声を響かせた。
「あ、八乙女さんのお母様ですか? 夜遅くに申し訳ありません、泉です。……はい、いつもお世話になっております」
うお、泉さんマジ救世主……!
「あの、私のほうから無理を言って引き留めてしまいまして……。もう夜も深いですし、外も物騒ですので、よろしければ今夜は泊まっていっていただいてもよろしいでしょうか? 明日には、責任を持って送り届けます」
嘘はついてない。うん、嘘はついてない。
……場所が、ちょっと特殊なだけで!!
『泉さんの親御さんは大丈夫なのかしら? 』
「もちろん許可は取ってます」
『……。本当にごめんなさいね、うちの娘が。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら』
泉さんの圧倒的『親ウケ抜群オーラ』のおかげで、電話の向こうのお母さんは完全に納得してしまった。
泉さんからスマホを返してもらう。
『って事で、心配しないでね。オヤスミ』
電話を切ると、部屋に静けさが戻った。
「……助かったぁ」
思わずソファにもたれ掛かった。
「ありがとう、泉さん。マジで救世主」
「大げさ」
泉さんは少しだけ笑った。
その笑顔を見て、ふと胸の奥がちくりと痛む。
「……ごめん」
「え? 」
「アタシのせいで、泉さんまで巻き込んじゃった」
アタシが勝手に『北海道まで行こう』って、言って……ラブホテルに泊まることになって。
親にまで嘘をつかせてしまった。全部、アタシのせいだ。
俯くアタシを見て、泉さんは困ったように小さく息をついた。
「八乙女さんだけじゃないよ」
「でも――」
ほんの一瞬だけ。
泉さんは、私から視線を逸らした。
「私も、お母さんに連絡しないと」
そう言ってスマートフォンを取り出す。
画面を少しだけ見つめてから、通話ボタンを押した。
数回のコール音。
『真琴? 』
お母さんの穏やかな声が聞こえてくる。
「今、八乙女さんとホテルに着いたよ」
思わず息を止めた。
『そう。お父さんは病院で寝てるんでしょ? 』
「うん。今日は顔だけ見てきた」
『真琴も疲れたでしょう。今日はゆっくり休みなさい』
「そうする……」
一瞬だけ間が空く。
「急いで来たから、駅前のビジネスホテルを取ったの」
胸が締め付けられる。
泉さんが、嘘をついた。
『――そう。八乙女さんにも、お礼を伝えておいて』
「伝えとく。明日の朝、また病院に行くから」
『分かった。気を付けてね』
「おやすみ」
『おやすみ』
通話が切れる。 部屋は再び静かになった。
「……ごめん」
気付けば、また同じ言葉が口からこぼれていた。
泉さんは小さく首を傾げる。
「何で八乙女さんが謝るの? 」
「だって……泉さん、お母さんにまで嘘ついたじゃん」
泉さんは少しだけ考えて、それから優しく笑った。
「八乙女さんも、お母さんに嘘ついたでしょ? 」
「うっ……」
「おあいこ」
珍しい泉さんのいたずらっ子のような笑顔……ぜんぜん、おあいこじゃないよ!
圧倒的に負けた!
「……そういえば」
テーブルに置いてあったリモコンを手に取りながら、泉さんがぽつりと言った。
「何? 」
「八乙女さん。お腹空いてるでしょ」
「……あ」
そうだ。夕方に映画館でポップコーン食べたきりだった。
気付けば、まともな食事なんて何一つ口にしていない。
そう意識した、次の瞬間。
――ぐぅぅぅ。
しんと静まり返った部屋に、アタシのお腹の音が盛大に響き渡った。
「……」
最悪。よりによってこのタイミングで鳴る!?
恥ずかしさで顔がカッと熱くなるアタシを見て、泉さんが口元を手で押さえながら、ふふ、と小さく笑った。
「あ、笑ったでしょ!? 」
「いや……可愛いなって」
「知ってます!! 」
なんなん?? こんなところで笑顔で『可愛いな』言われて、お腹が鳴った恥ずかしさなんて、一瞬で吹き飛んだんだが!?
泉さんが壁の大きなテレビをつけると、画面に『フード・ドリンクメニュー』の文字が映し出された。
リモコンでポチポチ選ぶタイプらしい。
画面をスクロールするたびに、ファミレス並み、いやそれ以上にガチなステーキやらラーメンやらの写真がずらりと並ぶ。
「ヤバっ…… 何これ、ファミレスじゃんね」
「……何でもいいよ」
リモコンをアタシに手渡しながら、泉さんが言った。
「それ、一番困るやつ! 」
「じゃあ……八乙女さんと同じで」
「あとで、文句言わないでよね! 」
泉さんの好きそうなものを選びたいけど、オムライス以外分からない……メニュー画面とにらめっこしながら、リモコンで注文を確定させた。
画面には『約三十分ほどでお届けします』の文字が表示される。
「三十分かぁ」
「思ったより早い」
リモコンをテーブルへ戻し、二人同時にふぅ、と息を吐く。
ようやく一息ついた。
……いや、一息ついちゃダメか。
ここ、ラブホだった。
しかも二人きり。
意識した瞬間、視線が勝手に巨大なベッドへ向いてしまう。
ダメダメダメダメ。
見るなアタシ。
見たら負け。
「何か観よっか? 」
泉さんがリモコンを操作しながら聞いてきた。
「あ、いいね! 」
映画でもアニメでも流してれば、変な空気にならない。
配信系も色々とあるみたいだし。
そう思った、その時だった。
画面の隅にブラウザの検索アイコンがあるのを見つけた。
完全に興味本位だけど、ここのホテルの口コミを見てみたかった。
泉さんからリモコンを借りて、ホテル名を入力する。
サジェストがずらりと表示された。
ホテル名 女子会。
ホテル名 口コミ。
ホテル名 ――幽霊。
「…………」
……え。
いやいやいや。見間違いだよね?
もう一回、目をこすって見る。
女子会、口コミ、……幽霊。
出る? ここ、ガチで出る系のやつ!?
何でそんな不穏なワードが普通に混ざってんの!!
やばい、泉さんに見られたら一発でアウトだ!!!
恐る恐る横目で確認すると、泉さんはスマホを触っていた。
そのまま手元だけを見ていてくれ――そう祈りながら、心臓バクバクで『戻る』ボタンを連打した。
「……どうしたの? 」
急に挙動不審になったアタシを見て、泉さんが不思議そうに首を傾げる。
「いや! 何でもない! アタシの指がバグっただけ!! 」
「今、何か見てたよね? 」
「見てない見てない! 何も見てないって! 」
頼むからこれ以上深掘りしないで! 泉さんの大嫌いなワード第1位がそこにいたなんて死んでも言えない!
――ピシッ。
しんと静まり返った部屋のスピーカーから、乾いた小さなラップ音が鳴り響いた。
「…………」
「…………」
泉さんの視線が、ゆっくりとテレビへと向く。
その顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。
『戻る』ボタンを連打してたのに、なぜ画面が変わってない!!??
『幽霊』の文字を映したまま微動だにしない画面。
手元を見たら、焦りすぎて『戻る』じゃなくて、そのすぐ上にある『決定』ボタンを親指でゴリゴリに連打していたらしい。
逆効果すぎる!!
「変な音聞こえたし……帰ろう」
蚊の鳴くような声……ノイキャン機能付けてなかったら聞こえないって!
「待って待って待って待って!! 」
慌てて立ち上がり、泉さんの両肩を掴んで必死に引き止める。
「違う違う! 今の絶対テレビの機械的なアレだから! ただの家電の音だから! 」
「でも……」
「家だって鳴るじゃん! 夜中にピシッとか、木が伸びる音とか! 」
「ここ、ラブホテルだよ? 」
「ラブホテルでも木は伸びるから!! 」
「そんな説明ある? 」
「あるある! ……たぶん、建築素材的な何かで! 」
泉さんは疑惑の目をアタシとテレビに交互に向け、それから青い顔のまま真剣に呟いた。
「やっぱり……別のビジネスホテル探そう」
「どこも満室だし、今から移動するとマジで凍死しちゃうって!! 」
「でも……」
「今から移動するのも絶対に嫌! 外、マイナス何度だと思ってるの!? アタシらには極寒だから」
「…………」
「幽霊と凍死なら、アタシは幽霊選ぶ!! 」
半泣きになりながら、泉さんを全力でホールドした。
だって、この部屋を飛び出したら、今夜アタシたちが寝る場所は本当に北の大地の路上しか残されていないんだから。
……この空気を変えないと。必死の思いで、手元のリモコンをポチポチと操作した。
画面を適当に切り替えたその瞬間、目に入った文字に飛びつく。
「あっ、ほら見て泉さん! 女子会プランだと、コスプレ一着無料だって!! 」
「…………」
涙ぐましいほどわざとらしい、大げさな声を出す。
「わーい! アタシ、コスプレ楽しんじゃおっかなぁ……」
「…………」
泉さんは青い顔のまま、じーっとテレビのコスプレ選択画面を見つめている。
「ほ、ほら! チャイナ服とかメイド服とか、いっぱい種類あるよ! 可愛いのもあるし……」
「…………」
ぜんぜんダメじゃんね! まだ無言だ。これじゃ幽霊に勝てない……!
「い、泉さんは、アタシに着てほしいものとかある?……なんて、アハハ」
力なく乾いた笑い声をあげるアタシ。
すると、泉さんは画面に並ぶ衣装を少しだけ真剣に凝視して、それから、いつものクールな真顔に戻ってぽつりと言った。
「……サンタ」
「……はっ? 」
「クリスマスだから、サンタ」
……待って。
泉さん、今サラッと「サンタ」って言った?
慌てて、画面に映っているその『サンタ』のサンプル写真を直視した。
生地、少なっ。肩、出しすぎ。スカート短すぎ。
これ、プレゼント配る前に風邪ひくって!!
いやいやいや待って泉さん、これ普通のかわいいサンタじゃなくて、ヘソ出し、ミニスカ! ガチのセクシーサンタじゃん!! 布面積エグいって!!!
幽霊のことなんて、もう頭から吹き飛んでいた。
代わりに、アタシの理性が大ピンチ。




