第55話 離す理由が見つからない
駅前に飾られた巨大なクリスマスツリーの前。待ち合わせ時間の十六時より二十分も早い。
本当は、もっと早く来たいくらいだった。けれど、 八乙女さんを待つ時間さえ、今の私には特別になる。
行き交う人たちも、どこか楽しそうだった。その気持ちは、少しだけ分かる気がした。
人混みの向こうから、見慣れた、けれどいつもと全く違う、華やかさを纏ったシルエットが歩いてくるのが見える。
「……八乙女さん」
思わず声が漏れた。待ち合わせまでまだ十五分もあるのに、彼女も早く来てくれた。
イルミネーションの光を浴びたミルクティーベージュの髪がきらきらと輝く。
普段の制服姿も可愛い。けれど、今日の私服姿は反則だった。
白いニットにベージュのコート。首元には白いマフラー。
シンプルな服装のはずなのに、どうしてこんなに目を奪われるんだろう。
私を見つけた八乙女さんが、ぱっと笑顔になる。
――ずるい。 あまりにも、可愛すぎる。
周りの人が八乙女さんをチラチラ見ているのが分かって、急に胸の奥がざわついた。
今すぐ駆け寄って、この「可愛いの天才」を誰の目にも触れない場所に隠してしまいたい。
「泉さん! お待たせ! って、早っ! 」
小走りで近寄ってきた八乙女さんが、私の前でぴたりと足を止めた。
ぱちぱちと瞬きをして、私の頭からつま先までを何度も往復するように見つめている。
「……八乙女さん? 」
どうしたんだろう。
一番シルエットが綺麗に見える黒のロングコートと細身のニットを選んできたけれど、変に浮いていないか急に不安になる。
すると八乙女さんは、両手で頬を押さえた。
「ちょっと待って……泉さん、ヤバくない? 」
「え? 」
「そのコート、めちゃくちゃ似合ってるんだけど」
「あ、ありがとう」
「アタシ、今日のために気合い入れてきたのに、一瞬で全部吹き飛んだわ……素敵だよ」
そう言いながら、どこか嬉しそうに笑う。
照れているのか、私の服の裾を人差し指でつん、とつついた。
緊張しているのは私の方だ。
眩しいくらいに可愛い。
そんなさ彼女に「似合ってる」と言われただけで、心臓がうるさい。
「……八乙女さんも、すごく可愛い」
「それは、知ってる」
得意げに微笑む八乙女さんを見ていると、胸の奥がむず痒くなる。
「ラッピングして飾りたい」
「また始まった」
やっぱり連れて帰りたい。
「それか」
「それか? 」
「閉じ込めたい」
「却下。ほら、映画館に行くよ」
八乙女さんが隣を歩く……それ自体は普通のことなのに、イルミネーションや『クリスマスイブ』を意識してしまうと、それだけで、胸が苦しいくらいに満たされていく。
街中に灯る無数の明かりより。
隣で笑う八乙女さん、一人の方がずっと眩しかった。
エレベーターで最上階の映画館へ向かう。
窓の外に広がるイルミネーションを嬉しそうに見つめる八乙女さんの横顔に、つい見入ってしまう。
映画館のロビーは、キャラメルポップコーンの甘い香りが漂っていた。
「これこれ! アタシ、このキャラ大好きなんだよね」
ファンタジーアニメの巨大なポスターや、等身大フィギュアの前で、八乙女さんがはしゃいでいる。
一通り写真を撮り終えると、私たちは売店へ向かった。
「ポップコーン、どうする? 飲み物はミルクティでしょ」
「任せるよ」
「アタシはキャラメルが良いけど……一緒に食べる? 」
「もちろん」
八乙女さんと同じ味を選べることが、少しだけ嬉しかった。
人気シリーズの最新作ということもあってか、劇場内は満席だった。クリスマスイブだからか。私たちと同じくらいの年齢のカップルも多い。
席に着くと、八乙女さんはキャラメルポップコーンを膝の上に置いた。
「はい。共同管理ね」
「どういうこと? 」
「映画館のポップコーンはシェアするものでしょ」
一つの箱に手を伸ばせることが、なんだかくすぐったい。
映画が始まるなり、スクリーンに映し出されるファンタジーの世界に、八乙女さんは完全に引き込まれていた。
私も映画は楽しんでいたはずなのに、気付けば何度も隣の八乙女さんへ視線が向いてしまう。
そして上映後。客席が一斉に立ち上がった。狭い通路はすぐに人で埋まる。
人混みに流されそうになる八乙女さんの小さな背中が、一瞬、視界から遮られそうになった。
「八乙女さん」
コートの袖口をそっと指先で掴んだ。
「わっ、ごめん。人すごいね」
振り返った八乙女さんが、驚いたように、でも嬉しそうに目を細める。
「そうだね」
押し寄せる人の波は容赦なく、私たちの距離をじりじりと引き離そうとする。
前の人の影に隠れそうになる。ミルクティベージュの髪。
「はぐれそう……」
すぐに消えてしまいそうな、心細げな声。
「こっち」
伸ばした指先が触れる。
八乙女さんの小さな手をそっと、包みこんだ。
びくり、と八乙女さんの身体が一瞬固まる。
繋いだ手のひらから、戸惑いが伝わってくるようだった。
いつもの八乙女さんなら、焦って手を引き剥がそうとしたかもしれない。
――でも、振り払わない。
指先にかかっていた緊張がゆっくりと解け、私の手のひらに、心地いい体温が馴染んでいく。
八乙女の指が、ほんの少しだけ私の手を握り返した気がした。
人混みが途切れるまで。そう自分に言い聞かせる。
「……うん」
人混みの中で振り返った八乙女さんの耳たぶは赤くなっていた。
映画館を出ても、人の波はなかなか途切れなかった。
繋いだ手はそのまま。
離す理由が見つからないまま、私たちはゆっくりと歩いていた。
繋いだ手の温もりが優しくて、愛おしい……少しだけ、ギュッと強く握り締める。
「……めっちゃ、面白かったね」
「えぇ」
八乙女さんが嬉しそうに笑う。
「最後のシーン、反則じゃんね」
「……どこ? 」
「え? いや。最後……泉さん、絶対途中から映画観てなかったでしょ」
墓穴を掘ってしまったらしい。
くふふ、と笑いながら八乙女さんが私の顔を覗き込む。
「観てたよ」
「嘘だ」
「八乙女さんばかり、観てた」
一瞬、八乙女さんが固まる。
「……映画代、もったいない」
「八乙女さんの、いろんな表情が観られたから、元以上は取れた」
「……ばか」
八乙女さんは照れ隠しのように前を向いた。
繋いだ手だけは離さないまま。
クリスマスイブ。
好きな人と並んで歩く。
それだけで十分だった。
バッグの中でスマートフォンが震えた。
誰だろう、繋いでいた手をそっと離す。
その瞬間だけ。
冬が、指先から入り込んできた気がして、少し寂しかった。
バッグからスマートフォンを取り出す。
画面に表示された名前を見て、少しだけ眉をひそめる。
「どうしたの? 」
八乙女さんが首を傾げた。
「叔母さんから。ごめん、電話出るね」
私に連絡してくるのは珍しい。
通話ボタンを押した。




