第54話 バレたら、どうする?
放課後の廊下には人だかりが出来ていた。
掲示板に張り出された期末テストの上位成績者十名。
一番上に、私の名前があった。
私よりも先に隣の八乙女さんから声が上がる。
「泉さん。一位、おめでとう」
「ありがとう」
八乙女さんの事ばかり考えて、逆に成績が下がったらどうしようかとも思ったけれど。
『一位になったらご褒美でキス』くらい言っておけば良かった。
今さら思いついても遅いけれど。
八乙女さんとキス……
「泉さん。口元が緩んでるけど、返り咲き嬉しい? 」
「別に」
不意に覗き込んできた八乙女さんの瞳が、キラキラと眩しい。
緩んでいた自覚はなかったけれど。
「じゃあ。ろくでもないこと考えてたでしょ」
やましい気持ちを悟られたくなくて視線を外した。
……いや、たぶんもうバレている。
「否定はしない」
「して! 」
頬を膨らませる八乙女さんが、たまらなく愛おしい。これ以上、顔に出ないよう話題を逸らす。
「それより、八乙女さんはどうだったの? 」
「七十七位。過去最高更新! ジャンプアップし過ぎてビビった」
「すごい」
「でしょ? アタシ、天才かも」
八乙女さんは顎の下でL字ポーズを作り、小首を傾げてウインクしてみせた。
「うん。八乙女さんは天才だよ」
「え? 冗談で言ったんだけど」
八乙女さんの瞳が、ぱちりと丸くなる。
本当に冗談だったらしい。
「可愛いの天才」
私は本気で思っているけれど……
あっ。八乙女さんが固まった。
数秒遅れて、きょろりと周囲を見回す。
「それ、今言う? 」
「思ったから」
「だからって! 」
声を潜めながら抗議する八乙女さんの耳は、分かりやすいくらい赤かった。
可愛い。
やっぱり可愛い。
可愛いの順位表があるなら、一位は決まっている。一位にしか名前は載っていないから。
「泉さん。一位返り咲きのお祝いにカフェ行こ」
恋人らしい提案に、私の胸が高鳴る。
本当は、八乙女さんの過去最高順位の方が嬉しいけれど。
学校を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
「さむっ」
八乙女さんはそう言いながら、バッグからマフラーを取り出す。
慣れた手つきで首に巻き付ける。
白い息。 マフラーに半分埋もれた顔。
……はぁ 可愛い。
「なに? 」
いつの間にか見ていたらしい。
「別に」
そのまま駅前のカフェへ向かった。
カフェには私たちと同じような高校生も多くいたけれど、窓側に並んで座るなり、周囲から視線を感じる。
……気のせい、ではなさそうだ。
「泉さん。目立つから、こういうとこだと視線浴びちゃうよね」
「目立つのは八乙女さんのほうでしょ」
「もう少し自覚してほしい」
「自覚? 」
ミルクティーを一口飲むと、小さくため息を吐く八乙女さん。
「なんでもない。ってか、もうすぐだね」
「もうすぐ? 」
「もう! ほんとに……クリスマス」
そう言って、八乙女さんはミルクティーのカップを両手で包み込んだ。
「クリスマス? 」
「そ。クリスマスは――」
つい、カップの縁に残った唇の跡に目が行ってしまう。
触れた場所が、ひと目で分かる。
ダメなのに
キスしたい……
「……泉さん?」
怪訝そうに首を傾げる八乙女さんの声で、ハッと我に返った。
「えっと、クリスマスだよね? 」
「欲しいものある? アタシ以外ね! 」
「綺麗にラッピングして飾るのに」
「飾らんでよろしい」
「で、クリスマスどうするの? 」
つい、二人で微笑み合う。
少し前までは、八乙女さんとこんなふうに話せるなんて思ってなかった。
幸福感に包まれる……こんな時間が日常になるなんて。
昔の私が読んでも、都合のいい恋愛小説だと笑ってしまいそうだ。
「ねぇ、泉さん」
八乙女さんがミルクティーのカップに視線を落としたまま、小さな声で私を呼んだ。
「なに? 」
問いかけながら、私もカップを口元へ運ぶ。
まろやかな甘さが喉を潤していく。
「もしさ」
八乙女さんはふぅ、と小さく息を吐いた。
八乙女さんの吐息が目の前の窓ガラスに触れ、そこだけがうっすらと白く結露していく。
「優梨とか叶乃にバレたら、どうする? 」
「どうするって? 」
カップをソーサーに戻し、私は首を少し傾げて八乙女さんの顔を覗き込んだ。
横並びの距離は近くて、肩をすぼめるようにして座る八乙女さんの肩口が、私の制服に小さく触れる。
「付き合ってること。たぶん……ってか、絶対に叶乃は気付いてる」
確信めいた口調。八乙女さんは結露して白くなった窓に、無意識のようにすっと人差し指を伸ばした。
きゅ、と小さな音がして、ガラスの曇りが八乙女さんの指先によって縦に削られる。
「それは、私も思う」
黛さんは図書室の時も、いま思えば球技大会の時も、分かってて私たちの反応を確かめていたような気がする。
私が同意すると、八乙女さんはガラスをなぞる指をぴたりと止めた。
「優梨は、どうだろう……気付いてないかな? 」
今度は指先を横に滑らせる。窓には少し歪な、でも不器用で愛らしいハートマークの輪郭が描かれ始めていた。
「そう思うの? 」
「優梨って、アタシの事も泉さんの事も、ちゃんと見てくれて、理解してくれてるんだけど」
ハートの上半分が繋がり、八乙女さんの声が少しトーンを落とした。
「だけど? 」
私は両手で自分のカップを持ったまま、八乙女さんの指先が紡ぎ出す形をじっと見つめた。
「アタシと一緒で、恋愛経験ないし、恋愛に興味なさそうだから、たぶん気付いてない」
ハートの尖った下部分をきゅっと結んだ瞬間、八乙女さんは、はっとしたように動きを止めた。
自分が何を描いていたのか、今になって気づいたらしい。
「その理由は、酷い気もするけれど」
私が思わずクスッと笑うと、八乙女さんは耳たぶまで一気に真っ赤に染め上げ、慌てて手のひらでそのハートマークをごしごしと消し去った。
「ちゃんと書けば、もっと上手いから! 」
「えぇ」
八乙女さんは、ちびめるちとかもだけれど、絵が上手いのは知っている。
「叶乃は恋愛とか興味なさそうだけど、気付いてるっぽいじゃんね」
恥ずかしさを誤魔化すように、いつものギャルっぽい口調を無理に作って、八乙女さんは慌てて自分のミルクティーのカップに両手を伸ばす。
消したはずのハートの跡が、うっすらと窓に残っていた。
好きという気持ちも、きっと同じ。隠そうとしても、少しだけ滲んでしまう。
「指……」
つい、愛おしさに負けて、八乙女さんの指先を握ってしまった。
「冷たくなってる」
「ちょ! 見られてるって!! 」
小声で焦りながら、繋いだ手を引き剥がそうと、もじもじと力を込めてくる。
そのまま恋人繋ぎに持って行きたかった。
メニュー表を立てれば隠せるだろうか。
そんな考えが頭をよぎったけれど、ギリギリ理性が勝った。
指を離すと、『ったく、油断も隙もない』と呟きながら、赤くなった自分の指先をもう片方の手で包み込む八乙女さん。
誰に見られるかじゃない。
二人だけの秘密であることに意味がある。
八乙女さんは、そういう人だ。
私にはよく分からないけれど。理解はしようと思った。
もしバレたとしても、私は――




