第50話 泉 真琴 シングルエモーション ②
カーテンを引いた。金属製のリングが擦れる「シャー」という音が室内に響く。
カーテンが閉まった瞬間、世界は急に狭くなる。私と八乙女さんしかいない世界
「え?『シャー』って、音はデジャブ?? 」
「なにが? 」
「いやいや。なんで、普通にカーテン閉めるの? 先生いたじゃんね」
「……視界には、入ってないけれど」
「じゃ。アタシが見たのは幽霊? 」
「幽霊の話はやめて」
「もう、めんどくさいなぁ」
八乙女さんがカーテンを開けると、一気に世界が広がってしまう。
先生の後ろ姿しか見えないけれど、椅子に座りコーヒーカップを持っているように見えた。
どこまで聞かれたのか……
「先生! アタシたちの話、聞いてました? 」
先生は、足の先で床をけだるげに蹴り、椅子ごと後ろを向いた。
コーヒーを口に含むと「ふぅ~」と、深く息を吐き出す。
「寝てたから、少しよ」
「少しって、どのあたりですか? 」
保健室の先生が大事な球技大会中に寝ていた……何回かお世話になった事はあるけれど、そんな先生には思えない。
「『失礼します』くらいから」
「超序盤じゃないですか! プロローグもプロローグ!! 」
「大きい怪我なら、すぐに出ていったけど、そうでもなさそうだし」
「まぁ。軽く捻っただけですけど」
白石先生は、机に置いてある眼鏡を掛けると、面倒臭そうに続ける。
「聞こえたとしても興味ないし……ベッドメイキングしてる時にイチャつき出すのが悪い。出るタイミング失った」
そう言いながら、こちらをちらりと見る。
「それに。保健室で押し倒すのはダメ」
「保健室『で』って、ことは、他なら大丈夫ですか? 」
「それは、私の言うことじゃないわ」
白石先生が八乙女さんを見ると、八乙女さんの顔が赤くなっていく。
「私は、先生に知られても、構ないけれど」
「泉さん! 」
「付き合っている事実は変わらないから」
八乙女さんの顔が曇る……白石先生はその空気を察したのか。少しだけ面白そうに笑った。
「へぇ。一人はバレてもいい派で、一人は隠したい派か」
そして白石先生が何気なく言う。
「好きな相手と付き合えた直後ってさ……」
「直後が、なんですか? 」
八乙女さんが、先を急がせるように口を挟んだ。
「相手のこと好きすぎて、自分と同じ気持ちだと思いがちなんだよね」
その言葉に、私も八乙女さんも固まってしまう。
「じゃ。先生は、球技大会の様子観に行ってくる」
白石先生が出ていくと、一気に静かになり温度が下がったように感じる。
「泉さん。怒ってる? 」
どういう意味で言ったのかは、すぐに理解出来た。
「怒ってない」
「ほんと? 」
「……少しだけ。私は隠されるのが嫌」
「うん」
「恋人なのに、恋人じゃないみたいだから」
八乙女さんはしばらく黙ったかと思えば、クスッと小さく笑う。
「逆なんだけどね」
「逆? 」
「さっき。言ったかもだけど、アタシは恋人だから隠したい」
私には共感出来ない感情だ……
八乙女さんは、視線を斜め下に泳がせながら、ジャージの裾をギュっと握り締めた。
「だって特別じゃんね」
「特別? 」
「そ。みんなと同じように見られたくない」
どういう事なのか分からない。八乙女さんを、みんなと同じになんて見たことがないから。
「二人だけが知ってる方がドキドキする」
そうか……八乙女さんは恥ずかしいから隠したいんじゃない。秘密を共有すること自体が愛情表現だったんだ……それでも
「私は。八乙女さんの恋人だって言いたい」
困らせたくて言ったわけじゃないけれど。八乙女さんは、無垢で純情で、本当に優しい笑顔をするよね。
「それも分かってる」
「分かるなら」
「でも、今はまだ」
八乙女さんは周囲を確認してから、そっと私の袖を引く。
「泉さん」
「なに? 」
「誰も見てないから」
八乙女さんとは対等なんて、無理だと思っていた。
「今だけ恋人しよ」
そう言って、私の肩にもたれ掛かる。世界で一番、優しく温かく……罪深い重み。
八乙女さんの真っ直ぐな瞳を見るたび、私の奥底にある「支配したい」と「支配されたい」という濁った本音が、声を上げそうになる。
いつから、こんな感情を私は持つようになったのだろう?
「八乙女さん」
「ん? 」
ズルいと思いながら。可愛いの方が勝ってしまう。
「ぎゅー。して、良い? 」
「今は、良いよ」
『今は』……二人だけだから。私と八乙女さんしかいないから。
八乙女さんの体に腕を回し、壊してしまいそうなほど強く、ぎゅーっと抱き締めた。
対等じゃなくてもいい。私の自由も、意志も、全部八乙女さんの腕の中に閉じ込めて、奪ってほしかった……もう、奪われてるのかも知れないけれど。
八乙女さんは一瞬だけ苦しそうな顔をしたあとに、優しく私を抱き返した。
「前に。もっと、強く抱き締めて良いよ。言ったから? 」
「苦しい? 」
私の背中に回った八乙女さんの手が、ゆっくりと、あたたかい温度で上下する。
「大丈夫だよ」
その仕草も声音も匂いも全部閉じ込めたい。
私の心は完全に平伏している。
八乙女さんはきっと、私を対等なパートナーとして、見ているかも知れないけれど。
この圧倒的な優しさに包まれている時、私は確かに、八乙女さんの完璧なまでに支配下に置かれている。
それが狂おしいほどに心地よくて、私は八乙女さんの首筋に、深く顔を埋めた。
「押し倒したら。噛むからね」
「私の首筋を? 」
「……それも。良いじゃんね」
否が応でも妄想してしまう。私の首筋に綺麗な歯を立てて……妖しく笑う八乙女さん。首筋に残された熱のせいで、一日中、八乙女さんのことしか考えられなくなるくらいに。
もう、なってはいるのだけれど。目に見える形でも欲しくて仕方がない。
そして、私も八乙女さんの、細く白い首筋に……
あと、数秒ドアが開くのが遅かったら、本当に押し倒して跡を付けていたかも知れない。
パッと私から距離を取る八乙女さん。これが、『彼女』の言う『ドキドキ』なのだとしたら、私にとっては、残酷な罰でしかない。
好きなればなるほど苦しいのは、付き合う前も付き合った後も変わらない。
付き合った。と、言う既成事実があるだけ、こちらの方が苦しいかも知れない。
「八乙女。無事だったか」
ドアを開けた白石先生に、私は淡々と事実を告げる。
「白石先生が、あと数秒遅れていたら、押し倒してました」
「泉さん!? 」
先生は焦る様子もなく、むしろ可笑しそうに鼻で笑った。
「別にどっちでも良いけど、二人きりになりたい。からって、保健室に来るのは勘弁してくれよ」
「それも良いですね」
「だから、泉さん!! 」
「泉。振りで言ってる訳じゃないからな」
白石先生は机の隣に置いてある救急カートの引き出しから湿布とタオルを取り出した。
「八乙女。脚、見せてみろ」
「え? 今さら?? さっき、見てくださいよ」
八乙女さんの踵を持ち、タオルを優しく押し当てるようにして、表面の水滴を吸い取る。……手当に必要な行為でさえ、心の中ではあまり触ってほしくない。と、思ってしまう。
「初期手当てが良かったからか。湿布貼っときゃ、一週間くらいで治るだろ」
白石先生は私と八乙女さんを交互に見ると、湿布を私に手渡してきた。
「アイシング辞めて。15分くらい経ったら湿布張ってくれ」
「え 先生は、やってくれないんですか? 」
「さっき。タイムスケジュール見てきたけど、バスケ、もうそろそろだろ」
白石先生は私ではなく、八乙女さんを見て言った。
バスケの試合……忘れていた。今となっては、どうでも良いのだけれど。
「ドッジボールも気になるし、泉さん。行くよ! 」
「え? 八乙女さん、動いても大丈夫? 」
「平気、平気。先生ありがと」
「失礼します」
廊下に出るなり八乙女さんに声を掛けた。
「おんぶしようか? 」
「次、試合でしょ。良いよ」
「私の為の理由なら、理由にならないよ」
八乙女さんは、一瞬の間を空けて微笑んだ。
「ありがと。体育館の前で降ろしてね」
「……分かってる」
「その代わり」
言葉を区切ると、私の背中に身を預ける八乙女さん。
「体育館出たら、またお願い」
「二人きりだから? 」
八乙女さんの吐息が耳をくすぐる。
「秘密」
その言葉だけで、十分だった。




