第49話 泉 真琴 シングル エモーション
自分に苛ついて仕方がない。ギャラリー席にいたとは言え、八乙女さんしか見えていなかった。こんな事で八乙女さんを守れる訳がない。
唇を必死に噛みしめる……何年何組が投げたボールなのか。怪我させたやつ、全員倒す。
私もドッジボールなら全力で守れたのに。八乙女さんの綺麗な足や顔に傷が残ったらどうするの?
私は八乙女さんに傷が残ろうと、全く気にはしないけれど、八乙女さんがショックを受けてしまう。
ショックを受けて心を閉ざす八乙女さん……大丈夫。私は一生、八乙女さんの味方だし隣にいるよ。
だって。八乙女さんは、外の世界と関わり過ぎている。
自分の情けなさと、怪我させたやつに対する怒りで、震えてきそう。八乙女さんの脇に腕を回し、二人三脚のような体勢で歩き出す。
一歩進むたびに、八乙女さんの身体が、ぎこちなく、ぶつかってくる。
そのたびに伝わってくる八乙女さんの体温。
シャンプーの甘い香りと、仄かに香る汗の匂い。ジャスミンと混ざり合う、私たちだけの秘密の調合。
鼻腔をくすぐるその匂いに、思わず抱き締めたくなる。
私の胸元に顔を埋めてくる……死ぬほど大好きな女の子。
抱える手に少しだけ力を込め、そのまま八乙女さんを支えて歩き続けた。
体育館を出る。競技中と言う事もあり、人の姿もほとんどなかった。
「私、運ぶよ」
「え? 重いからいいって」
「『恥ずかしいからいい』なら、やめたけど、『重いからいい』は、私がやめる理由にはならない」
私から視線を外し、俯き「それも重いじゃんね」と、小さく呟いた……止められない想いは仕方がない。
そのまま、お姫様抱っこしようとすると、慌てたよう、私から距離を取った。
「ちょ。その運び方は泉さんでも、無理だって。保健室まで100m以上はあるし」
「大丈夫。腕がもげても、保健室のベッドまでは運ぶから」
「アタシより怪我する事になるじゃん! 」
怪我した足をかばい、ケンケンをしながら歩くと、八乙女さんは私の後ろに回り込んだ。
「……おんぶ……なら」
「喜んで」
片膝を折る。「お邪魔まします……お、重いからね」の、可愛らしい声を聞きながら、背中に八乙女さんを迎え入れた。
背中越しに伝わる八乙女さんの鼓動と、少し汗ばんだ柔らかな肌の感触……痛みを堪える八乙女さんの小さな吐息。
私が振り返って、顔を覗き込まれないようになのか、八乙女さんは私の肩に額を押し当てていた。
一歩一歩。八乙女さんを揺らさないように慎重に進む。
「大丈夫? もうすぐだから」
「さすがに、大袈裟……」
保健室まで辿り着き「失礼します」と、声を掛け中に入るも、先生は不在だった。
ベッドの床に上履きも置かれていない。誰もいなさそうだし、今は球技大会中で、先生もどこかで見学でもしているのだろう。
保健室特有の消毒液の匂いが不快だ……八乙女さんの匂いを掻き消してしまう。
「体育館にはいなかったじゃんね? 球技大会中だし、卓球場とか、ほかのとこにいるかも」
「私、呼んでくるから。八乙女さんはベッドで休んでなよ」
「そのうち来るでしょ……ここに……いてよ」
ギュっと肩にしがみつく八乙女さんが、愛おしくてたまらない。感じていた背中の温もりに、寂しさを覚えつつ、ベッドに優しく降ろした。
『……ありがとう』という小さな声と、小さな微笑みが、私には大きく記憶に残ってしまう。
ベッドに腰掛けた八乙女さんの足元に、私は無意識に片膝をついた。
足裏を持ち、怪我した部分を確認すると同時に、八乙女さんの顔を覗き込む。
「なんで、顔をそらすの? 」
「そらしてない……」
「じゃあ。こっち見て」
私の視線を拒むように、八乙女さんはベッドの向こう側へと顔を向ける。
その仕草すら愛おしくて、指先で八乙女さんの、くるぶしを優しくなぞる。
「っあ……」
八乙女さんが小さく息を呑む……
「痛い? 」
「……そこは、痛くない」
今度は、包み込むように、かかとに触れた。おそらくは、誰も触れたことのないその場所……その小さな丸みを、この手でそっと確かめてみたかった。
「ここは? 」
「だ、大丈夫。……っん」
八乙女さんは小さく肩を震わせた。口に出した言葉とは裏腹に、こぼれ出た吐息は、戸惑うように震えている。
これ以上、八乙女さんに触れていたら私がおかしくなる……八乙女さんが痛いとこは見て分かっていた。
足首が少し赤く腫れてるから。
アイシングくらいなら、私でも出来る。勝手に冷凍庫を開けて良いのか迷ったけれど、やるなら早い方が良いと思い、ジェルタイプの保冷剤を取り出す。
薄いタオルを巻いても、容赦のない冷気が、指先から伝わって来る。
「靴下……脱がすよ」
「自分で、出来るって」
背徳感が薄まっていく……私が脱がせたかったのに。
八乙女さんは、黒のクルー丈のソックスをゆっくりと脱いでいく。
つま先から、頭のてっぺんまで可愛い八乙女さんに相応しい……ジュエリーのような、艶やかなボルドーのペディキュア。
白く綺麗な足との対比が美しい。味わいたくなる果実の蜜みたいに光っていた。
「……少し、冷たくなるよ」
そっと、八乙女さんの赤く腫れた足首へあてがった。
「……っ。少しじゃないじゃんね」
「最初によく冷やしておかないと、明日腫れるから」
「はぁ……」と、痛みを逃がそうとする、短く熱い吐息が八乙女さんから漏れる。
長い睫毛が小さく震え、シーツを握る指先に力がこもりだした。
こんな時でさえ、頭の中では秘密の上映会が始まってしまう……もっと八乙女さんの足に触れていたかった。
「痛い?」
「少し……でも、大丈夫」
私が尋ねた声は、八乙女さんの痛みを和らげるためでもあり、その震える吐息をより近くで感じたかったから……最低な自己都合だった
『メロい』と言う言葉よりも『エロい』の方が、私から見たら合ってるだろう。
白く滑らかですらりと引き締まった。ありふれた言葉で言えばカモシカのような脚。
吸い寄せられる視線……今、この足の甲に、唇を押しあてたら?
冷やされた足首に、熱を帯びた舌を這わせたら?
今はジャージに隠れている、ふくらはぎの柔らかな膨らみ、膝のくぼみ、太ももの奥……少しずつ這うような、口づけを刻んでいったら。
潤んだ瞳で私を見下ろす八乙女さんを妄想してしまう。
看病という免罪符の裏で、自分の薄汚れた欲望が湧き出てくる。思わず、喉が小さく鳴った。
幸せそうに満面の笑みを浮かべる八乙女さんも好きだし、今みたいに目を閉じて、痛さなのか冷たさなのか、苦痛に堪えるように、眉間にシワを寄せる八乙女さんの顔も好きだ。
もっと、歪ませたいとも思ってしまう……
大前提であまり八乙女さんが苦しんだり、辛い顔はして欲しくない。それは本当なのだけれど。
でも、苦痛に顔を歪ませる八乙女さんが可愛過ぎるのがイケナイんだよ。
私は誰に言い訳をしてるのか。ダメだって頭も心も分かってるのに
はぁ……本当に 今すぐこの足を掴んで――
「押し倒したい」
「……え? 」
心の声が思わず出てしまった。
「何でもない。気にしないで」
「いや、気にするでしょ! 泉さんには前科があるんだから」
前科……そうだ、私は溜め込むだけ溜め込んで爆発してしまうタイプらしい。
八乙女さんと今後の付き合いを考えた時に、やっぱり私には譲れないところがある。
「八乙女さん。付き合って行く事に関して、一つルールを決めたいのだけれど」
「良いけど。そこにいられるのもイヤだから、隣に座ったら? 押し倒して来たら、今度はアタシ、舌噛むからね」
よほど、私は警戒されているらしい……八乙女さんを少しでも安心させたくて、距離を取って端に座った。
「オープンにする気はないけれど、変に隠すつもりもない」
「付き合ってる事をだよね? 」
「そう。変に隠して避けられる方が、私は辛い」
「別に隠してなん」
「隠してる」
言葉を被せてしまった……八乙女さんは「ええっと……」と言いながら、不満げにむうっと口を尖らせていた。
顔にすぐ出るから分かりやすい。
私は八乙女さん以外からは、どう観られても平気だから、周りの目など気にはしないけれど。
八乙女さんは違う……その事実が共感は出来ないけれど、理解は出来てしまうのが、悲しくもあった。
「なんか、勘違いさせてたら、ゴメンなんだけど」
八乙女さんが、悪戯っぽく微笑む。たまに出る破壊力抜群の小悪魔メル……可愛い可愛い可愛い可愛い。――やっぱり、押し倒たい。
前から思ってはいたけれど、八乙女さんの可愛いが、私のキャパを超えるとIQが低くなる……
「あの人たち、仲良いけど、そういう関係なのかな? でも、違うのかな?? って、全員を騙してるみたいでエモくない?」
こちらを向いた八乙女さんの星が宿ってそうな、私の好きな瞳に吸い込まれる。
「みんなの前でイチャイチャするより、放課後とか二人きりになった瞬間、一気に恋人に切り替わる方がアタシはドキドキする。だからさ、今はまだ」
八乙女さんは、すっと通った鼻筋に人差し指をそっと添えた。ツンと上を向いた形の良い鼻先が、八乙女さんの指先を白く引き立てる。
「二人だけの秘密」と、上目遣いになりながら、囁き。鼻先に添えた指先を私の唇に、しっかりと押し当てて来る。
「この前のお返し」
八乙女さんの指先の熱と、私の唇の体温が一緒になり溶け合う……指を舐めたくなるし、甘噛みしたくなる衝動を必死に抑えた。
ずるい。ただそこにいて微笑んだだけなのに、私の心臓の音をこんなに簡単に支配してしまう。
あぁ……八乙女さん。可愛いのメーターが振り切れて、グルグル周り続けてるよ。
保健室のベッドで二人きり。今って、そういう状況のはず。
「じゃ、じゃあ。今は、ぎゅーして良いの? 」
「いや、ぎゅーって。泉さんらしからぬ言葉じゃんね……」
耳まで真っ赤にした八乙女さんが、俯きがちに私のジャージの袖を引っ張る。
「い……良いよ」
もうすぐにでも八乙女さんを抱き締めようとするも、八乙女さんはベッドを仕切るカーテンを指差した。
「誰か来たらアレだから、閉めよ」
もどかしい気持ちを抑えながら、カーテンを引いた。金属製のリングが擦れる「シャー」という音が室内に響く。
「思いっきり『シャー』言っててウケんね」
八乙女さんとクスクス笑っていると、一つ飛ばした隣のベッドからも、同じようにカーテンの開く音が聞こえてきた。
慌てて視線を向ける。そこには、白衣を整え長い髪を軽くかきあげながら、起き上がって来る、保健室の先生の姿があった。
気怠げにベッドの下へ、すっと下ろされた、見覚えのある脚が、隠されていたナースシューズに収まった。




