第43話 崩壊
「じゃ、じゃあ。私、料理つくるからキッチン借りるね。お粥で良い? 」
「どうぞ」
「薬味のご希望は? 」
「八乙女さんに任せるわ」
「オッケー。まだ、熱ありそうだし、寝てていいよ。出来たら持ってくるから」
風邪の熱なのか、違う熱なのか、私でも分からない……分かったのは、体温が上がってしまった。って、ことだけだ。
八乙女さんの押しに負けて、八乙女さんのペースになってしまっている。
ベッドに横たわる……目に映るのは、出窓に置いてある八乙女さんセット。八乙女さんをラッピングして、ここに置いておきたい。一生眺めてられそう。
八乙女さんから、たくさんの物を貰ったけれど、一番欲しいものは手に入らない……
なんで、八乙女さんは来てくれたのだろう?
なんで、2時間も放置されて帰らなかったんだろう? 材料だけ置いて帰ることも出来たはず。
友だちだから……本当に? 持田さんや黛さんにも同じことをする?聞いたとして『するよ』言われるのも嫌だ。
他人から見たら、くだらない自問自答を繰り返す。また、熱が出てきそう………
「お粥出来たよ」その優しい、温かな声で目を覚ました瞬間、自己嫌悪に陥る。夢か現実か分からなくなってしまった。いまは……どっちだろう?
八乙女さんがベッドサイドテーブルに置いたトレイには、お粥以外にも、ほうれん草のおひたしと、玉子焼き、お茶が乗っていた。
招き入れたのは私だとしても、弱っている私のために、お粥を作って部屋まで持ってきてくれた。
その事実が嬉しくて、同時に、たまらなく苦しい。
いっそのこと、私のことなんて放っておいて、嫌いになってくれたら楽なのに。
「薬味は塩昆布にしたけど、色々あるから、欲しいのあったら言ってね」
「ありがとう」
ベッドから身を起こし、木製のスプーンが入った、お椀に手を伸ばす……突き放したいのに、差し出された温もりを拒絶できない。自分の情けなさに、唇を噛み締めながら俯いた。
「明日も欠席したら、放課後来るよ。で、いちおう明日の朝と昼の分も、冷凍庫にあるから」
限界までのカウントダウンが始まった気がした……これ以上優しくされると無理だ……壊れる。
「薬も一緒に持ってきたから、お粥。食べたら飲もうね」
薬? その優しさが、今の私には一番の毒だよ。
なかなか、お粥に口を付けない、私を不思議に思ったのか、八乙女さんは小首を傾げた。
「あっ。ごめん、猫舌だったっけ? 熱いよね?? 湯気凄いし」
私からお椀を奪うとスプーンで一口すくい、ふーふーと冷ましてくれる……こんなにも可愛いのは八乙女さん風に言えば反則だよ。
諦める理由が欲しい時は『アタシのこと、恋愛対象で好きにならないじゃん』を頭にいつも浮かべていた。その言葉がリフレインして頭と心が痛くなる。
「そこまでしなくても大丈夫。食べられるから」
「そう? じゃ、気を付けて食べてね」
夢なら食べただろうし、食べさせてもあげたい。
スプーンを口に入れる……風邪のせいか、味は感じられなかった。 いや、夢の中だから味がしないのかな?
「美味しい」
「ほんと? 良かった」
本当は味なんて分からないけれど。ダメだ……あと一度でも微笑まれたら、私の理性は音を立てて崩れる。
理性? 崩れる?? これは夢だよね? 私が見てる夢。
私が夢の中で見る八乙女さんは、いつも、女の子の可愛いがすべて詰まった、無敵の笑顔を見せてくれていた。
今も、そうだよね……これは、夢なんだ。夢なら聞けるかも知れない。
「八乙女さん、どうしてこんなに優しくしてくれるの? 」
「へ? そりゃ……友だちだから」
違うよ。夢の中の八乙女さんは『泉さんの事が好きだから』って、言うんだよ。
「友だち?……」
口にした瞬間、ひどく薄っぺらく聞こえた。
お椀をベッドサイドテーブルに置いて、八乙女さんに向かって身を乗り出す。
「友だちってなに? 」
「ちょ。泉さん?? どうしたの? 」
「友だちだから、こんなに優しくしてくれるの? 」
「そりゃ。友だちだし、泉さんのことは好きだし」
そうだよ。夢の中だから、そう答えるんだよね。
ベッドを降りて、八乙女さんの肩を掴んだ。けれど、掴んだ感触が感じられない……夢だもんね。
「『好き』って、どういう好き? 」
「え? どういうって……ちょ、痛いって。離してよ、泉さん」
逃がさないように、八乙女さんの背中と壁の隙間をなくす。
トキメキなんてものはなく、もっと重くて、息が詰まるような独占欲が、私を支配する。
「『好き』にも、いろいろあるでしょ? 」
「泉さん?……」
「私の『好き』は、こういう好き」
夢なら、壊れても構わないと思った。どうせ目が覚めれば消えてしまう。
だから私は、何度も自分に言い聞かせる。
これは夢だ、と。
少しずつ顔を近付かせていく。「だめ」と拒む、八乙女さんの小さな呟きを、私は自分の唇で乱暴に塞いだ。
ほら、感触も何もない……
夢で何回も抱き締めてキスをしていた
これも、そのうちの一回にしか過ぎない。
不意に、どろりとした生温かい鉄の味が割り込んできた。
………唇を離して指で拭うと、指先は赤く染まっていた……血? なんで、夢なのに味も感触もあるの?
「バカ」微かに聞き取れた八乙女さんの声……瞳には私の好きな星が光を放っていた。それなのに、なんで、唇の端から血を流して、泣きそうな顔をしているの?
だって、夢の中の八乙女さんは……誰よりも可愛くて、私の大好きな笑顔をしてくれるはず……
瞳は力強く、私を見据えてるのに。そんな悲しそうな顔をしないで。
自分で自分の唇を噛んだの? 私を拒絶するために??
八乙女さんの大好きな笑顔を私が壊した……
「帰る」
声を掛ける事も、動く事も、何も出来なかった……部屋はさっきと同じなのに、閉まるドアの音が、どこか遠く感じる。
閉ざされたドアの隙間から滑り込むように、柔らかなジャスミンの香りが遅れて届いた。
夢なんて壊れてしまえ……現実なんてなくなってしまえ……
これで狂おしいほどの『好き』から、解放されるの? こんなにも人を好きになることが苦しくて辛くて……これは、私から壊したんだ。
だって、八乙女さんは『私のこと、恋愛対象で好きにならないでしょ』
どのくらいの時間を虚無のまま過ごしていたのだろう? 途中途中では眠っていたのかも知れない。
何時なのか、確認したかったけれど、時計もスマホも、いつも置いてある所にはなかった。
部屋を見渡す……ベッドサイドテーブルに置いていた、トレイすら床に落ちていた。
物が少ない部屋とは言え、手当たり次第に投げ散らかした結果。床には、食べ掛けのお粥や、小物や服が雑然としていた。
片付ける気にもならないし、ここで眠る気にもならない。
鎖が繋がれたように重い脚を、何とか動かしてリビングに向かう。ソファなら眠れそうだし、あの部屋にいたくはない。
喉が渇く……何か飲まないと。
冷蔵庫を開けようとすると、メモが貼ってあった。
『冷凍庫のタッパーに、お粥の残りあるから、チンするだけ。チンする時は、少しお水振りかけてね。お粥飽きたら↓アレンジレシピ』
メモ書きに添えてあった、ちびめるち。をなぞる……ちさすがに現実だよね。八乙女さんが、もう家に来ることはない。
あれだけの事を私はしてしまったんだ……学校でも話すことはなくなるだろう。
冷蔵庫を調べるも、特に食べたいものもなかったから、スポドリだけ取って、その場で一気に飲み干した。よほど、体から水分が抜けていたらしい……
今度は冷凍庫からタッパーを取り出す。ご丁寧にもタッパーには、『ちりめんじゃこ、しらす』と、書いてある付箋が貼ってあった。
メモ書き通りに、少しだけ水を振り掛け温めた。
温め終わる前に、また冷蔵庫を開けてミルクティーを取り出す。ミルクティー……八乙女さんセットも捨てないと。
チン、という乾いた音が聴こえた。
タッパーを取り出し、リビングまで持っていく。
私の日常から八乙女さんが消える。八乙女さんの日常から、私が消える……元から八乙女さんの日常に私がいたのかさえ分からないけれど。
タッパーを開けると、リビングに優しく甘い湯気が立ち上る。
海の磯の香りが、食欲を誘う……こんな精神状態でも、ちゃんと、お腹は空くんだね。
一口すくい口に入れる。シラスの香ばしいうま味が優しく広がって来た。
熱い……ちゃんと味も感触もある……美味しい。
なぜか、涙が出て来た……抑えることも出来ずにポロポロと涙は出てくる。
甘くて、温かくて、優しい味だよ……
味の組み合わせが良くはない事は知っていたけれど、ミルクティーを口に含む。
お粥もミルクティーも、それぞれは確かに愛おしいのに、口の中で重なった瞬間にすべてが壊れていく。
どちらが悪いわけでもない、ただ、世界で一番致命的な組み合わせだっただけ。
いや、都合の良いことを言うな。
悪いのは100対0で私だろう……私にはハッピーエンドなんて似合わない。




