第42話 予兆
彼が出ていったあとに、激しい後悔が襲ってきた。口に出してしまったから、八乙女さんへの想いが、とめどなく湧いてくる。
抑えるのが無理なところまで、来ているのも分かっている。
伝えたい……けど……怖い……ずっとずっと何も変わらない。
何が『八乙女さんと友達になりたい』だ
何が『いずれ、嘘も本物になるかも知れない』だ。
ハッピーエンドなんて、最初から無理だったんだよ。情けなくて涙がでてくる。
教室のドアが開く……慌てて涙を拭いた。
八乙女さんはいつもの声で、いつものトーンで、声を掛けてくれた。
料理を作ってくれる話も八乙女さんは、覚えてくれていた。なんで、どうでもいい話を覚えてくれているの?
中間テストが終わったら、なに? お母さんが出張中で、お泊まりがなに?
それまでに、気持ちの整理が付けられる訳でもない。時間が解決してくれる事もない。悪化するだけだ。
「もう17時だよ。泉さん戻ろ」
「そうね。でも、怖かった」
「え? やっぱり中山が」
「違う。あの、待ってる間、一人だったから……ゆ、幽霊とか」
「ップ。泉さん、可愛いなぁ」
幽霊が怖いのは本当だけれど、可愛いのは、いつもそばで笑ってくれる八乙女さんだよ。
人波で溢れる校庭。すれ違う人とぶつかりそうになるも、八乙女さんが上手に誘導してくれる。
「アタシから、はぐれないように。手貸して」
「え? う、うん」
なんで、追ってきてくれたの?
なんで、私よりも怒ってくれたの?
なんで、手を繋いでくれるの?
『人混みだから』それ以外の理由なんてないのは分かっているのに。期待なんてしちゃダメなのに。
ギュっと繋いだ右手に、強い力が伝わってくる。
……っつ、
なんで、こんなに強く手を握ってくれるの?
心臓が跳ね上がりそうな……そんな陳腐な言葉では言い表せないほどの衝撃でドクンと心が波打つのを感じる。
これも全部、友だちだから? ほんの少しだけ期待して良いの?……こんなに優しくしてくれたら無理だよ。嫌いにもなれない……
「はぐれちゃダメだよ」
私を見る八乙女さん…… なんで、泣きそうな顔をしてるの?
そんな顔でさえ可愛くて……愛おしい
もう……無理……大好きだよ……隠しきれない
強く握ってきた手が、八乙女さんの泣きそうな顔が、私の理性を容赦なく溶かしていく。
小学生の、あの時から、ずっとずっと、私の陽だまりでいてくれた女の子。
私が好きなのは八乙女さんだよ。繋いだ手を引き寄せて、人混みなんて関係なく抱き締めたい。
『ずっと、八乙女さんが好き。私だけを見てよ』叫んでしまいたい……何年も溜め込んできた、ドス黒い独占欲と、好きが出てきてしまう。
それをしたら終わる事も分かっている。…友達として隣にいてくれるのに……嫌だ……怖い……失いくないから、私を拒絶して欲しい……八乙女さんから拒絶して欲しい……期待してしまうから……
『恋愛対象で、アタシの事好きにならないじゃん』
八乙女さんが、引いた境界線の向こう側。超えられる訳がない。
今、手を繋いでくれている、八乙女さんは、絶対に恋愛対象で私を好きにはならない。
「……ごめん。私、用事あるから帰るね」
自分の声が情けないくらいに震えているのは分かった……八乙女さんの手を振り払う。繋がれた温もりさえも手放した。
「泉さん!? 」
困惑する八乙女さんの声を背中に聞きながら、逃げるように人込みを、かき分け走り出した。
繋いでいた右手が、冷たくなる……惨めで、また泣きたくなる。
外の大雨のせいか、天井のLEDが放つ白い光は湿った床を照らし、窓を叩く激しい雨音が、やけに不快に聞こえてくる。
一年生の掲示板に貼られた中間テスト順位。いつも一位だった私の名前は九番目にあった。周囲のひそひそ声が耳に入る。
「ウチ、三位か」
後ろから、持田さんの悔しがる声が聞こえた。
「クラス委員とか、文化祭の仕事も大変なのに、三位は凄いよ」
「ありがと。泉は一位じゃなかったんだな」
「見ての通り」
「そっか。今まで一番悪い? 」
「えぇ」
「そっか……」
中学以降のテストで一位じゃなかったのは二回目だった、あの時でさえ四位だったのに。なぜ、私はこんなにもメンタルに影響されやすいのだろう……
「泉。放課後、話しよっか」
「いえ……大丈夫。ありがと」
「なら、いーけど」
持田さんは、私にアピールするように、わざとらしく大きなため息を吐いた。
「もう少し、ウチを信頼してくれても良いのに」
「してる。でも、今の状況は関係ないから」
「分かった。無理に聞いたところで、話してくれないだろうし」
私の頬を掴むと、円を描くように動かした。咄嗟の出来事だったので、されるがままになってしまう。
「ほれ、少しは、こうして表情筋を動かさないと」
「変わった? 」
「少し、頬が赤くなった」
思わず、クスッと笑ってしまった。少しは表情筋も動いてくれたらしい。
「ありがとう。私は、本当に大丈夫だから」
「了解。じゃ、昼休み終わるし、教室戻ろ」
今の私には『客観的な恋愛相談』をして、それを受け止められる余裕なんてない。
結論ありきの相談なんて、何の意味もない。私は死ぬほど八乙女さんが好き。と、同時に、死ぬほど嫌われたい。
「行ってくるけど、本当に一人で大丈夫? まだ、熱あるでしょ?? 」
玄関の鏡の前で、お母さんが手ぐしでサッと前髪の束感を整える。
「だいぶ、熱は下がったし、大丈夫。大事な出張でしょ」
木曜の大雨にでもやられたのか、金曜日に風邪で学校を休み、貴重な土日も寝込んでしまった。熱のピークは過ぎたけれど、まだ頭も重く、視界も少しボヤけ、体の怠さも取れていない。
「無理そうなら、明日も休んじゃいなさい」
「うん。わたしのことは心配しないで、気を付けて行ってらっしゃい」
サロンを経営する母は、今日も完璧にお洒落だ。
「あっ。そうそう、真琴が寝込んでたから言わなかったけど、昨日美容院に八乙女さん来てたわよ」
「え? ……それが、どうしたの? 」
「『金曜日に泉さん、学校来なかったけど、何かあったんですか?』って。あなた、RINEも返せなかったんでしょ? 」
返せなかった。ある意味で正しい……未読のままだから
「『風邪で寝込んでる』って、言ったら、凄い心配してたわよ。ちゃんと、RINE返しておきなさいね」
「……分かった」
「戸締まりもしっかりしなさいよ。じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。早く行かないと、新幹線に遅れちゃうよ」
「17時30分の新幹線よ、余裕で間に合うわ。前泊なんて面倒だから嫌なんだけど」
お母さんは、出張用のローヒールに足を通し、使い慣れた、ハイブランドの黒いキャリーケースを引いてドアを開けた。
部屋に戻り、RINEを開く……八乙女さんからの通知は二件あった。
見なくて良い。もし、明日学校で何か言われたら、寝込んでた。って、言えば良いよ。
広いリビングに一人は慣れたけど、正直に言えば、風邪で一人だと、少し不安と言うか寂しい。
――ピンポーン。静まり返った部屋にチャイムが響く。
お母さん、忘れ物でもしたのかな? ドアホンの画面を確認する……八乙女さん!?
なんで? どういうつもり? つい、いつもの癖で『応答』ボタンを押してしまった。
『泉さん? 大丈夫?? 下でお母さんと会ったけど、病み上がりって聞いたよ』
『大丈夫。どうしたの? 』
『お粥とおじや。どっちが良い? 』
なんで……なんで……来るの。一番来てほしくないタイミングで来ないでほしい。
『風邪。移しちゃうから』
『人に移せば、早く治るって言うし』
帰ってよ……いまは会っちゃダメなんだよ……
『開けてくれるまで、待ってる』
ズルい……そうすれば、私が開けるの分かってて言ってるのはズルいよ
『そう……』
終了ボタンを押した。
スマホの時計表示に目をやる18時30分……本当に待ってるとかないよね?
あれから2時間近く経ってる……ドアを開けなかった私に文句を言って帰ってて欲しい。
帰ったか確認したくてドアスコープを覗く。誰の姿も見えない、帰ってくれたんだ、良かった……
鼻歌?
ドアの向こうから、少し調子の外れた。でも、何処か楽しそうな、柔らかく温かい鼻歌が聞こえてくる。思わずドアに耳を当てた。
ドアに寄りかかっているのか鼻歌が振動となって、私の耳へ直接響いてきた。
カチャ
「いたっ」
ドアを開けると、八乙女さんは少し離れて、「遅いよ」って、冗談っぽく笑った……お願いだから、やめて。そんな風に愛おしく笑いかけられたら、嫌いになれない。
「同じ階の人に見られたくないから、入って」
「アハハ……それな」
髪の毛少しだけ切ったんだね……ヘアケアも一緒にしたのか、サラサラと輝いて見える。
私は寝間着姿に髪もボサボサなのに……せめて整えてからドア開ければ良かった。
明日から友達じゃなくなってもいい。そう思ってしまう瞬間が、確実に増えている。
「お粥と、おじや、どっちが好き。どっちも作ろうか? ご飯も買ってきてるから。ってか、冷蔵庫使って良いか分からないから、色々買って来ちゃった」
リビングに着くなり、八乙女さんはバッグから、色々な材料を出し始めた。
「スポドリと、泉さんの好きなミルクティーもあるよ」
「八乙女さんも好きでしょ」
アハハ……と、いつもの、濁りのない、純粋で真っ直ぐな愛嬌。その、微笑みは全世界を味方につけられるよ。
2時間近くも放ったらかしにした私に何で怒らないの? 何で、私を嫌ってくれないの??
「ちゃちゃっと作るから、泉さんは部屋で休んでて」
八乙女さんに背中を押されて、部屋へと連れて行かれた。
「ハイ。到着、出来たら呼びに来る……から」
どうしよう! 突然過ぎて隠すのが出来ていなかった……
「出窓にラッピングされて置いてあるのって、ミルクティーのペットボトル、目薬、楽譜……アタシが上げたもの……」
「が、楽譜は合唱コンクールのだけれど、あとのは、いつでも使えるように置いてるだけ」
「わざわざラッピングして? ずっと置いておくつもり??」
だって……八乙女さんから貰ったものなんて捨てられないよ
「じゃあ。アタシを泉さんにアゲたら、可愛くラッピングされて、ずっと一緒じゃんね」
「え? 」
「え? 」
お互いの反応が想像と違かったのか、思わず二人で見つめ合う――その視線は、すぐにどちらかともなく逸れた。




