第41話 文化祭 ②
人が来ない場所に行きたかった。
私は一瞬にして、小学生の頃の自分に引き戻されてしまった。人の気配が途絶えた世界の果てに行って、少しでも落ち着きを取り戻したい。
八乙女さんに聞いていた、離れ校舎の空き教室。何処かのクラスが休憩でもしていたのか、窓は空け放たれ、机の位置は乱雑としていた。
適当な席に座る。カーテンを揺らす風の音が心地良く響く。木々に囲まれているからか、少しだけ肌寒さを感じた。
遠くのほうからは歓声や、黛さんの放送が、かすかに聞こえて来るけれど、私とは別世界での出来事に思える。
机に突っ伏し、ひんやりとした冷たさに身を委ねた……
なんて、謝れば良いんだろう。みんなで作り上げた文化祭を私がダメにしてしまった。
ーーガララ、と静寂を破る引き戸の音。心臓が跳ねる。顔を伏せたまま、耳に届く足音だけで、それが誰なのかすぐに分かった。
聞き慣れた、少し軽い歩幅。空気感も匂いも何もかもが変わる。
落ち着いてきた私の心拍数だけが、静かな教室の中でやけにうるさく加速していく。顔を上げようか迷っていると、私の大好きな声が飛び込んで来た。
「普通逃げるのは、お姫様が多いじゃんね」
わざとらしく、いま気付いたみたいな顔でパっと顔を上げる。
「八乙女さん……」
そのまま隣に座って来る……八乙女さんのコスプレ。おとぎ話から抜け出してきたようなご主人様。その瞳に見つめられた瞬間、時が止まった。
ポニーテール姿が、普段の可愛さを残しつつも気高く。世界のすべてを支配するような八乙女さんの視線。完璧な美しさ。ダメだ、どうしても八乙女さんを見ると語彙力が小学生になってしまう。
「八乙女さんが、ご主人様なら……メイドになろう……かな」
「喜んで、雇わせて下さい! 」
こんなふうに思うのは変なのかも知れないけれど、私は八乙女さんに勝てないだろう。勝てない? 本当の意味で、八乙女さんと対等になれるとは思えない……こんなにもひれ伏したくなる。恋人がダメなら、拒絶してほしい。それもダメなら……支配されてしまえば。楽になれる気がした。
「ね。この離れ校舎って、女の子の幽霊出るって噂あるよね? 」
「え? 」
「なんか、何十年か前に通ってた生徒が病気で」
「やめて!! 」
なに? なんで、突然そんな話になるの?? 本当に八乙女さんが分からないよ! どういった、思考回路をしていれば、あの流れから幽霊の話になるの? 私の妄想は主従関係の出来た二人の耽美な世界に入り込もうとしていたのに……幽霊? 私が一番苦手なものだよ。やだ、そんな話は聞きたくない。
「大丈夫だよ。アタシが守るから」
「どうやって? 」
戸惑いに恐怖心……それに髪を撫でて来た驚きが合わさって、八乙女さんを見つめてしまった。
コミュ力使って幽霊と仲良くなる。八乙女さんの言葉に、なぜか幽霊の女の子と八乙女さんが一緒にネイルをして、カフェでお喋りをしてる姿が浮かんでしまう。そんな自分で作り上げた幽霊にさえ、嫉妬を覚える……
私とも仲良くなった。と、言ってくれた八乙女さん……嘘の友達はちゃんと出来てたのかな?
八乙女さんが小学生の頃の話を憶えていなかったとしても、私が救われたことに変わりはない。
男子の話をして怒ってくれる八乙女さんは、『冗談じゃない』と抗議でも、するように小さく首を振った。
八乙女さんのポニーテールが揺れる
なぜか分からないけれど、勝手に手が動いた……少し前かがみになり、ポニーテールにそっと触れる。
耳に付けたアウターコンクの星型ピアスが、キラリと輝く。
指先をすり抜けたシルクの揺らめきに、私の心までさらわれていく。
「髪サラサラ」
「う、うん……ちゃんと、毎日ケアしてるから」
ポニーテールの毛先をツンツンと揺らす度。
隠しきれない秘密みたいに、淡いピンクがこぼれて、胸が苦しくなる。
「ポニテ、インナーカラーも可愛いし……揺れてるのも可愛い」
「……恋心も、揺れちゃったりなんかして……アハハ」
「え? 」
「え? 」
恋心……誰の? 私の?? バレてる? 気付かれてる? それとも、たんに冗談で言っただけなの?
『あーあーあー この放送は離れ校舎だけに届いてます』
黛さんの声だ……ここだけに届いてる放送?
『い、泉……』
まだ、何かあるの?……私の名前を呼ばないで欲しい、これ以上、私を認識して欲しくない。
結局、何のための放送だったかは、分からないけれど、気持ちの良いもでは決してない。
せっかく会いたくないから、ここまで来たのに、ここまでされると、逆にどうでも良くなってきた。
「しゃ、写真撮らない? 」
八乙女さんからの提案が凄く嬉しかった。メイドになって良かった。それに、八乙女さんのコスプレを、記憶にも記録にも残して置きたかった。
顎クイのシチュエーションが浮かぶ。私からする勇気はなく、八乙女さんに任せるしかなかった。
私が顎クイしたとして、それで止まる自信もなかった。暴走してしまうかも知れない、感情が抑えられる自信も、今の私にはなかった。
八乙女さんに、ポーズを提案するためにスマホを見せた。
「い、良いけど。アタシが泉さんをアゴクイするんだよね? 」
八乙女さんから言葉として聞くと、恥ずかしくなってしまい、小さく頷いた。
身長差があるから、少し膝を曲げた……八乙女さんの息すら掛かってきそうな距離に心臓が落ち着かなくなる。
顎をすくい上げる、八乙女さんの手が少しだけ震えていて、私の緊張も限界を迎えていた。
抱き締めてキスしたくなる……ご主人様。と、呼べば喜んでくれるだろうか?
これは『メイド』と言う設定で、私であって私じゃない。
「と、撮るよ」
「はい……ご主人様」
ただの役割なのに……今は『ご主人様』と『メイド』と、言う設定を与えられているだけなのに……もう、何年も私のご主人様は、八乙女さんな気がしてならない。
『好き』が伝えられず、拒絶もされないなら、支配されている方が楽だ。私の『好き』が分からなくなってくる。
突然、ドアが勢い良く開いたかと思えば、その人が息を切らしながら、私を見つめて来る。
せっかく、八乙女さんと秘密の会をしていたのに、邪魔が過ぎるよ。
突然の再開は、一人だったし、心の準備が出来ていなかったからパニックにもなったけれど、今は不思議と冷めた感情で……自分でも驚く位に冷静でいられる。
私の感情を乱していいのは、八乙女さんだけだ。
「泉……俺が嫌いなのは分かるけど、どうしても伝えたい事がある」
「…………良いよ」
「泉さん? 大丈夫?? 」
「えぇ」
話をするため、二人きりになりたい。彼の要望を受け入れた。もう、何でも良かった。早くこのくだらない状況を終わりにしたかった。
「じゃ、教室の前だと話し聞こえるかもだから、校舎の入り口にいる」
「悪いな、八乙女」
「中山が出てきたら、アタシ戻って来るから」
私が小さく頷いたのを見てから、八乙女さんは空き教室を出た。
「あの、泉。その、メイド姿可愛いな」
嬉しい嬉しくない……そんな言葉より、不快でしかない。八乙女さんから言われた『可愛い』を勝手に上書きするな。気持ち悪い……私が『可愛い』を受け取るのは八乙女さんの言葉だけだ。
「許しが欲しい訳じゃなくて、俺、泉にちゃんと謝らないと、中学は別で謝れなかったし」
回りくどい……早く喋って欲しい……謝るなら謝れば良い。どうせ、私の許しがあろうがなかろうが。『謝った』と、言う免罪符が欲しいだけだ。
「本当に傷つけて、ごめんなさい。からかったのは、その……なんつーか」
「なに? 早く言ってほしいのだけれど」
普段なら言葉を待っていたかも知れない。でも、今は早く終わらせたかった。ただ、それだけだった。
私の中では、もう終わった事。過去の自分はどうでも良い。私を傷付けられるのも、傷付けて良いのも八乙女さんだけ。
「泉が、好きだった……から」
恥ずかしそうに髪をかく、この人をとても陳腐だと思った。
先ほどと同じ感情が渦巻く。不快でしかない。本当に不快だ。
「なにか、言う事ないのかよ? 」
なにもないよ。逆になにか、あるとでも思ってるの? 断る断らないを言うのも私次第でしょ。
それとも、YESかNOかで、答えるのが礼儀だ。と、でも思っているの?
「別にないけれど」
「そっか……何でも良いから断って欲しいんだけど」
「なぜ? 」
「俺が先に進めないから」
あぁ……少しだけ理解出来た。彼も私と少し似ているのかも知れない。
過去の出来事に囚われすぎて、動けないままだったのかもしれない。
私にはずっと、囚われていた相手、八乙女さんがいたけれど。
それでも、私が言う義務も義理もない。
「好きな人いるから」
これが、私の最大限の彼への譲歩だった。
「そっか。どういう人」
当たり障りないことを言えば良いのに、馬鹿みたいに本当の事なんて言わなくて良いのに。
「強くて優しくて、陽だまりみたいに温かくて」
哀れに思った、慈悲の心。より、私の防衛本能。
「誰よりも素敵で誰よりも可愛い、私の大切」
想いが、熱量が……『好き』が、加速していく。
苦しくて、辛くて。それでも、それでも
口に出さないと壊れてしまう。
「死ぬほど大好きな。女の子」




