第40話 文化祭 ①
ボウルの中で、冷たいバターと砂糖をすり混ぜる。じゃり、じゃり、と鈍い音が手首に響くたび、甘い香りが調理室に漂う。白っぽく滑らかになるまで、木べらを動かし続けた。
パウンドケーキの焼き上がりをイメージしても、それを口に運ぶのは、いつも八乙女さんだった。
考えようとしなくても、勝手に八乙女さんが出てくる。ダメだ……八乙女さんと仲良くなったあとの方が、八乙女さんに対する解像度が増してしまい。可愛らしい八乙女さんが登場してくる。そのたびに、また好きになってしまう。
これが良く言われる『沼る』って、やつなのかな?
「昨日は、本当に泉さんのファインプレーで乗り越えられたね」
「ほんとにそれ。泉さん、様々だよ」
調理係のクラスメイトのありがたい言葉を、「みんなで頑張ったからだよ」と、ありきたりなセリフで濁す。正直に言えばどうでも良かった。
心の中でため息を吐いた。……今日は、八乙女さんと、一緒に回れるよね? と、言っても人混みが苦手だから、何処に行けば良いのか。八乙女さんは、人が多い所に行きがちなタイプだし。
さり気なく、人がいなさそうな場所を聞いてはみたけれど……下心で聞いてしまった。
離れ校舎の空き教室に八乙女さんと、二人きりになれたなら……
「今日はオーブンも壊れてないし。楽勝だね、予定だと15時過ぎでラスト。その後は後片付けかな」
「昨日も壊れてはなかった。ブレーカー落ちただけなのを、みんなでパニクってただけ」
「だって、他のクラスもパニクってたし」
周りの会話が嫌でも耳に入ってくる。
昨日のオーブン事件は笑いにも、ならないようなお粗末なものだった。
フライパンとコンロは使えたから、クッキングシートを敷いて、弱火でじっくりクッキーを両面焼き。
他のメニューも、急場しのぎでどうにか形にした。……その分ずっと追われていて、八乙女さんには会う余裕なんてなかった。
「ね。泉さんって、最近八乙女さんと仲良いよね? 」
「小中って、同じ学校だったし」
「やっぱ、八乙女さんって、凄いモテてた? 八乙女さんのメイドさん見たかったな」
持田さんや黛さん以外の人と、八乙女さんの話しはしたくない。いつ、私の想いが暴走してしまうか不安だ。話し掛けてくれた子から距離をとるため、別な作業をする事にした。
チョコバナナ用のバナナに、変色しないようレモン汁を振って密閉したタッパーを、冷蔵庫へ滑り込ませる。このチョコバナナはクレープ用の為だった。
パタンと扉を閉めた瞬間、脳内には美味しそうにクレープを頬張る八乙女さんが浮かんだ。……もう、何を見ても八乙女さんになる。
八乙女さんのメイド姿……もちろん可愛いのは間違いない。でも、それは容易に想像できた。
私の妄想は、八乙女さんの貴族風ご主人様だ、ロングタキシードを颯爽と着こなす。
『さすが私のご主人様です――』限りなく妄想が続いてしまう。
なぜか、妄想の中での私はメイドになっていた。
八乙女さんに、メイドさんならない?言われてたから?
校庭の屋台で買ってきた、タコ焼き、焼きそばにフランクフルト。みんなで遅めの昼食を取った。
「思ったより早く材料なくなりそうだね。疲れた〜」
「ホント、疲れたーー。想定より混んだみたいだし」
「メニューなくなったら、ドリンクだけで良いのかな? 」
思い思いに喋るも、無事に文化祭を、終えられそうな安堵感に包まれていた。
「ごめん。一人、メイドしてくれない? 」
息を切らした持田さんが調理室に入って来た。
「どうしたの? 」
ペットボトルの水を渡しながら話し掛ける。持田さんは受け取り、すぐに開けるとガブ飲みする。
「ありがと。水飲んでる時間すら惜しくて、喉がカラカラだった」
持田さんは、色んなところに顔出したり手伝ったりで、いつも忙しそうだもんね。あまり、迷惑掛けないようにしないと。
「で、メイドの一人が緊張もあったと思うけど、疲れちゃってダウンしたんだよ」
「大丈夫なの? 」
「保健室で、休んで貰ってるけど……クラス委員のウチがちゃんと見てなかったから……」
別に持田さんのせいじゃないのに、責任感あり過ぎるのも大変そう……クラス委員の他に生徒会の手伝いもしてるし、キャパオーバーじゃ?
「調理の方は、一人少なくなっても問題ないと思うから、調理係からメイドさん出して欲しい」
突然の申し出にソワソワしだす調理係たち……それはそうだ。
メイドさんや執事に、なりたくないから調理係になったり、調理が好きだからやってる人たちの集まりだから。
「ウチも他の仕事がなければ、コスプレやったけど……」
コスプレ……八乙女さんと衣装を調べに行った時に言っていた。コスプレ楽しいよね。普段とは違うアタシになれて』
八乙女さんらしい言葉だ。けれど、私にも分かる気がした。
普段とは違う私……もしも、設定があれば。『泉 真琴』として、ではなく『メイド』の役割があれば……そんな打算が働いた。
「良いよ。私やるよ」
一瞬の静寂のあとに、悲鳴にも似た歓声がクラスメイトから巻き起こった。
「ヤバっ…泉さんのメイド姿とか神ってる」
「絶対、写真撮らせてよ! 」
こうなるのが嫌だったけれど、持田さんには、それとなくいつもフォローされてる借りもある。
「この、クラシカルメイドを着れば良い? 」
「そう。本当にありがとう、泉、もし無理そうなら早目に言ってくれ」
「残り2時間くらいなら、何とかなると思う」
これで、八乙女さんと文化祭を回れないのは確定した……でも、受付を終えた八乙女さんが来てくれるはず
八乙女さんは、何て言ってくれるだろう。ほかの誰でもない、八乙女さんの言葉だけが欲しい。
クラシカルメイドに着替えると、調理室にいた他のクラスや先輩たちも寄ってきた。
勝手に写真撮ろうとしてるけれど……
「すみませーん。同クラ以外は撮らないで欲しいです。同クラもSNSには絶対に上げないで。上げたらウチが本気の本気で怒るから」
持田さんの、こういう配慮が本当に助かる。根っからの気遣い人だと分かる……私とは真逆だ。素直に尊敬してしまう。
「じゃ、泉。教室まで付き合うから、行こうか」
持田さんの後ろを付いていく。
「廊下を少し歩くだけで、この騒ぎ。凄いな」持田さんは、そう言いながら、振り向くと困惑した笑顔を見せた。
ざわざわとした空気とともに、一斉に視線の波が押し寄せてくるのが分かる。
「学校の『クール系イケメン王子様』ってのも、楽じゃないな」
「別に……こういう事があるのは嫌だけれど、その肩書は勝手に付けられているから、私には関係ない」
「そういうとこが、クール系なんでは? 」
今度は楽しそうに微笑み掛けて来た……少しは持田さんにも笑顔が出てくれて良かった。会った時からずっと眉間にシワが寄ってたから。
『クール系イケメン王子様』勝手に付けられた肩書だ。本当の私を知っている人は少ない。
教室のバッグヤードに入ると、先ほどと同じように、一瞬静寂のあとに歓声が上がる。
「ちょ! ライブ会場かよ! お客様もすぐ向こうにいるから。落ち着いて」
持田さんが声を掛けるも、しばらくのあいだ興奮した声は消えなかった。
「とりあえず、予定より早仕舞になりそうだけど、最後まで頼むね。ウチ、他見てくるから、何かあったら連絡して」
忙しそうに早歩きで出ていく持田さんの後ろ姿を見つめる。
私としては、いつもフォローされてる借りよりも、この貸しの方が何倍も強いけれど……実際に一人になると不安だ。
「泉さん……さっそくだけど。このドリンクを5番卓にお願いね、真ん中の卓だから、すぐ分かるよ」
バックヤードからパーティションをスライドさせて、ホールへと踏み出す。
歓声や見られることも、嫌ではあるけれど慣れた……私に少しのサービス精神があれば、メイドっぽい演出も入れたかも知れないけれど、あいにく持ち合わせてはいなかった。
注文を事務的に淡々とこなし、料理やドリンクを運んでいるだけなのに、周りから『クール系が』って、言葉は良く耳に入ってくる。良いように受け取ってくれるのは助かるのだけれど。
「あれ? 泉??……裏方じゃ」
テーブルに円になって座っている、見覚えのあるグループ……その男子の声と姿が視界に入った瞬間、頭の中が停止した。
「だ、だーれだ? 」
遠くで、誰かが私を呼ぶ声がした。
薄い膜を一枚挟んだような世界に、その柔らかく温かい声だけがまっすぐ届く。八乙女さん……視界はなぜか暗いままだった。
「めるちょ……今、それ違うと思う」
「へ? 」
暗闇で覆われた目に、ふっと。かすかな光が差し込んできた。
少し肉厚な手のひらの感触と、耳元をくすぐる、陽だまりみたい声……八乙女さんだ。
八乙女さんの手を解き、後ろを振り返る。
気まずそうに、どこか困惑げに揺れる八乙女さんの瞳……私が見せたい『私』は、これじゃない
限界だった。回らない頭のまま、呆然とする八乙女さんの横をすり抜ける。
視界の端で、怪訝な視線がいくつも通り過ぎていく……ここにいたくなくて、教室飛び出した。




