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第31話 恋愛デトックス

 午前6時30分……開けている馬房ばぼうの裏戸から、容赦なく日光が差し込んでくる。

 北海道にいる間は日課となっている馬房の掃除。小学生の頃は、鼻にツンと来る糞尿の匂いが苦手だった。

 さすがに、今では何とも思わなくなったとは言え、スタッフさんが、馬を散歩させてる間に、早く終わらせないといけない。


 水桶と飼桶を洗い場へ運び、馬房に戻る。ボロを拾い、汚れた藁を取り除いて、新しい藁を足していく。


 綺麗な藁はそのまま馬房内に置いておき、汚れた藁を捨てる。仕上げに床をほうきで綺麗に掃いて、新しい藁を追加して終わり。


「綺麗になったかな」



 外の新鮮な空気が吸いたかったので急いで外に出て、思いっきり深呼吸をした。

 芝生や牧草から立ち込める。鼻をくすぐるような、少し癖のあるけれど爽やかな空気が流れ込む。

 北海道とは言え、日高地方の夏は30度を超える事も珍しくない。馬は暑さに弱いから、私以上に大変なんだろうな。



「お疲れ様。真琴ちゃん」

「お疲れ様です、若林さん」


 お父さんの妹、私の叔母に当たる若林さん。いつも柔和な笑みを浮かべて、優しく接してくれる。

 お父さんが牧場を継ぐことになった前から、ここで働いてくれているので、立場的には下でも、影響力はお父さん以上にある。



「『まんじゅう』もご機嫌だね。真琴ちゃんに撫でられると。『まんじゅう』も女の子だけど、男性より女性に甘えるのよね」


 散歩から帰ってきた馬の首筋や肩を撫でる。

 馬がリラックスしたのを感じてから、まんじゅうと呼ばれる所以ゆえんである、鼻筋の白い点を撫でた。

 まんじゅうのようなモチモチした感触が好きだ。

 まんじゅうは、目を細めながら、嬉しそうにどんどん顔を擦り寄せてきた。


(キミを撮った写真。八乙女さんに送ったら、八乙女さんも可愛い言ってたよ)


若林さんが横で笑いながら見ていた。


「真琴ちゃん、馬の扱いが上手くなったわね。三級受かったんだって、おめでとう」

「ありがとうございます」


 隠してるつもりもないけれど、乗馬をしていることは、八乙女さんにも言ってなかった。


 照れる気持ちを抑えながら、『まんじゅう』の首の付け根から背中にかけての盛り上がった部分。キ甲を指先で少し強めにくすぐると、まんじゅうは、気持ちよさそうに唇を震わせた。


 ほかのどの馬も可愛いのだけれど、甘え上手な『まんじゅう』が、一番、可愛いと思ってしまう。

 馬房に入っていく若林さんに声を掛けた。


「お父さんは? 」

「サマーセールの打ち合わせで、出掛ける準備してる」

「今日もですか? 私も昨日付き合わせてもらったけれど」

「昨日のはセレクトセールのほうね。日本最大手の牧場が開催するセール。今度のは日高の組合で開催するセール」

「そうですか。売れそう? 」

「売れてもらわないと困るよ」


 そうだよね。ビジネスだし。たくさんのお金や人が関わってるのだから。

 セレクトセールやサマーセールの違いは良く分かっていないけれど、昨日言った牧場はとにかく大きくて、私でも名前は知っている牧場だった。

 販売店では馬の上に猫がグデっとしている、可愛いキーホルダーがあったので、つい八乙女さんへのお土産で買ってしまった。




「真琴ちゃん。二級は受けるの? 」

「どうでしょう。三級と二級はレベル的に全然違いますし。趣味程度なら三級でも十分ですかね」

「真琴ちゃん。馬乗りのセンスあるし、行く行くは」

「継ぎませんよ」


 まただ、小学四年生からこっちに来るようになったけど、来るたびに、この牧場を継がせようとしてくる。

 人手不足なのは分かるけれど、私には無理だ。


「大手牧場に集約化されて、うちみたいな、家族経営の零細牧場は減少するばかり、人手も足りないし、やることが多すぎるのよ」


 そんな事を言われても、私には関係ないし、どうすることも出来ない。


「ごめん、ごめん。ウチは零細牧場だけど『まんじゅう』のおかげで、まだ大丈夫な方だよ」

「そんなに『まんじゅう』って、凄かったんですか? 」

「うちの牧場からは、四十年ぶりに出た中央競馬の重賞馬だからね。G3とは言え快挙よ快挙。しかもクラシックレース桜花賞では四着」


 そんなに凄かったのか、キミは。『まんじゅう』って、呼ぶの失礼かな? 馬名は確か『ダイノエトワール』……『ダイノ』は冠名だけど、『エトワール』キミも星に関係しているんだよね。それもあって、余計に気になっちゃうのかな。


「だから『まんじゅう』の子どもには、良い値が付きそうなんですね」

「そういうこと。さてと、朝ご飯と休憩したら。午前の作業が待っているわ」


 牧場にいると、手伝い含めてやる事が多い。何かに集中している時は、他のことを考えなくて良いのが、今の私には助かる。

 

 「よし、戻るよエトワール」


 『まんじゅう』より一歩前にでる若林さんに続いて、ゆっくりと『まんじゅう』は歩き出した。

 『まんじゅう』って、呼んでるの私だけなのかな? 後ろ姿も尻尾が揺れて可愛い。八乙女さんもポニーテール似合いそうだよね。


 そう言えば、八乙女さんの『める』って、名前の由来はなんだろ? める……素敵な響きの名前だけど、小学生の頃から、『める』って、呼んでいる子いなかった気がする。

 私や持田さんのように『八乙女さん』『八乙女』あとは、黛さんが呼んでるような、あだ名で『めるち』『めるちょ』これは昔から呼んでた子もいたよね。

 『める』……誰も呼んでいない、八乙女さんの名前を呼べたなら


 ダメだ……また、気が付けば八乙女さんの事を考えている

 せっかく北海道に来たんだ。少しは八乙女さんデトックスをしなければ。もちろん、八乙女さんが毒なわけじゃない。

 

 ただ、四六時中、脳と心に八乙女さんがいる状態は、心の健康とは言えない気がする。

 


 あと、2週間くらい。帰る前日までは八乙女さん断ちをしよう。私から八乙女さんに連絡しないこと、八乙女さんから連絡が来たら返すけど、私から話題は振らないこと。

 スマホに記録してある、八乙女さんの写真を観ないこと……一日二回までは観て良い事にしよう。

 禁止し過ぎも良くないはず。一日二回だから、朝起きての『おはよう』と、寝る前の『おやすみ』かな。

 それも、八乙女さんが写真をいっぱい送ってくるのがいけないんだって。

 花火大会に夏祭り。海やお洒落なカフェ。今度はキャンプって言ってたっけ?

 浴衣にりんご飴を持った八乙女さん。水着にカキ氷を持った八乙女さん……キラキラ成分多めの、可愛過ぎる写真ばかり送ってくるから。


 私だって、人混みも海も苦手だけど、八乙女さんとなら行きたいよ。手を繋いで屋台回ったり、パラソルの下で寝転がりながら、日焼け止めを塗ってあげたり。

 私のキャラじゃないし、今までにした事ないのだけれど、浴衣も水着も見たいに決まってる……まただ、八乙女さんデトックスをしなければ。



  今ごろ、八乙女さん何してるんだろ?


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