第21話 六月の雨
六月二十二日(月)くもり 遅刻・欠席・早退者は無し。
合唱コンクールも終えて二週間経ったが、クラスで取り組んできたことを……上手く言葉に出来ない。
全部消してしまったけど、学級日誌に書くのは苦手だ。
ありのままを書けば良いのだろうけど、クラス全体も、クラスメイトの事も気にして観てはいない。1人を除いては。
「うっわ。めっちゃ、雨降って来たじゃん。風もあるし、最悪過ぎる」
いつの間にかホワイトボードを消し終えていたのか、声の方に視線を向ける。八乙女さんが窓に手を付けて外を眺めていた。
八乙女さんは『全アタシも泣いてる』と、振り向きざまに言ってきた。
雨の八乙女さんも絵になるな。と、思いながら、日誌の『くもり』を『くもり後雨』と訂正した。
さっきまでは薄暗い曇り空だったのに、ポツリポツリ降っていた雨は、すぐに本降りになった。
分厚い雲のせいで、薄暗くなった放課後の教室。
不規則に窓に打ち付けられる雨音。外の荒々しさと違って、雨音以外は聴こえてこない静かな、八乙女さんとの二人だけの世界……私は嫌いじゃない。
「泉さん。終わった? 」
隣に立って、日誌を見おろす八乙女さん。空白になっている箇所を観るなり、苦笑いを浮かべていた。
「何を書けば良いか、分からない」
「クラスの様子を書けば良いんじゃない」
それが、分からないのだけれど……
「あとは。今日、起こった出来事とか? 泉さんは、何の授業が印象的だった?? 」
「さっきの体育」
「バスケットか。泉さんばっか、ボール集まっちゃたよね」
身長が高いから、みんなも私に投げやすいのは分かる。
私は受け取ったボールを、運動神経抜群な八乙女さんに回すことしか出来なかった。
日誌が見にくかったのか、八乙女さんが、さらに近付いて来たので、思わず少し距離をとった。
「動き回ったから、しんどいよね。汗もかいたし」
その汗をかいたから、あまり近付いて欲しくはなかった。汗拭きシートを使ったとは言え、気になってしまう。
「じゃあ。『バスケ、ガチ鬼疲れ。体バキバキで、今すぐベッドにダイブしたい』は? 」
「……参考にするね」
八乙女さんの言葉を修正して、なんとか日誌を書き上げ、教室をあとにした。
昇降口から外に出る前にバックから、折り畳み傘を取り出す。
「泉さん。先、帰ってても大丈夫だよ」
「何かあるの? 」
「いや、傘ないし。もう少し残って、ワンチャン止めば良いな。って」
元が猫目なのもあるけど、捨てられた子猫みたいな瞳で観られたら……
「いつ止むか分からないし。狭いけど良かったら」
傘を広げて、八乙女さんの前に差し出した。
「良いの? ありがとう」
私の好きな八乙女さんの笑顔。なぜかモノクロの薄暗い雨が、カラフルでポップな雨に見えてしまう。雨音もハッピーなBGMに聴こえてくる。
八乙女さんと一緒にいることが多くなってきたからなのか、触発されてカタカナを使うことも増えた。
差し出した傘の下。『お邪魔します』と、言いながら、八乙女さんは入って来た。
身長差がある分、自然と上目遣いになる八乙女さん。拾ってきた子猫を服に入れたら。こんな感じなりそう。
あまりの可愛さに直視出来ず『帰ろう』と言い、歩き出した。
雨音は激しさを増して行き、すぐ隣にいる八乙女さんの声すらも聴き取るのが難しい。
なのに、八乙女さんは私の声を全部拾ってくれた。
「八乙女さんって、耳良いの? 」
「いや、普通だと思うけど」
「私、声小さい方だし、この雨音で聞きにくくない? 」
「あぁ……泉さんの声だけ、何かノイキャン機能付いてるんだよね。だから、泉さんの声は、はっきり聴こえる」
「なに、それ」
つい。クスッと笑ってしまったけど、そういう事を言われると、逆に話しづらくなってしまう。
「傘。アタシ持とうか? 」
「大丈夫」
「肩。濡れてるじゃん。そんな、こっちに傾けなくて良いよ」
気付かれた……あえて、傘を八乙女さん側に傾けていた。
もちろん、八乙女さんが濡れてほしくないのもあるけど、一番は近過ぎると汗が気になるから。
雨の匂いで誤魔化されているかも知れないけれど、猫は嗅覚が鋭い……八乙女さんは、猫じゃないけど
「貸して。アタシが傘、上に持てば、泉さんも濡れないって」
「良い。大丈夫だから」
「なんで? 」
恥ずかしくて、あまり言いたくないけど。こんな事で雰囲気を悪くしたくない。
「最後の授業、体育だったでしょ」
「あーね」
「バスケだったでしょ」
「うん。バスケだった」
「ほら、汗……かくでしょ」
チラッと横を見れば、八乙女さんは『クフフ』と笑い、何か企んでいる小悪魔のような顔をしていた。
肩に下げたバッグを前にズラして、手を入れる八乙女さん。
「アタシは全然、気になってないけど」
取り出したものを、私に見せてくる。
「ジャーン『制汗スプレー』」
片手で強く振ったかと思うと『少し目を瞑って』と、言われ、素直に目を瞑った。
八乙女さんの「おりゃー」と、言う声が聴こえたあとに、頭や顔にミストが降り掛かってくるのを感じた。
ジャスミンの柔らかい香り。
八乙女さんに包まれているみたいで、胸の奥までくすぐられる。
「目。開けて良いよ」
まだ、ミストが漂ってそうで、ゆっくりと目を開けた。
「どう? アタシと一緒。ここだけ、ジャスミン空間」
視界に入って来たのは、私の顔を覗き込むように見上げる八乙女さんだった。
片方の口角を少し上げて、私の反応を楽しむような……魔力と魅力が秘められている瞳。否が応でも吸い込まれる。
頑張って視線を外したけれど、自分で決めた境界線を踏み越えたくなってしまう。なんで、こんなに可愛いのだろう。
鳥は最初に見たものを追い掛けるらしい。初恋も似たようなものなんだろうか。頑張れ自制心。
「泉さん? 」
「え? あ、あぁ……大丈夫。ありがとう」
自制心を限界までフル動員させた結果。現実逃避して八乙女さんを、いないものとしてた。
そんなに密着して来ないで……
「ほら、これで近付いても大丈夫じゃんね! 」
『じゃんね! 』って、これとそれとでは、また話が違うんだよ。
胸元付近を嗅いでこないで!! 傘を持っているから、離れる事も出来ない……八乙女さんの顔が首元まで上がってくる。首すじをなでる吐息が、甘い誘惑に感じられる。 もう一度、自制心発動して!
「ご、ごめん……アタシ、たまに距離感バグるから」
『アハハ』と、自嘲気味に笑いながら、顔を離す八乙女さん。突然、近付いたりする事あるよね? こっちとしては、その度に境界線が消えてしまいそうになる。
自制心をフル活用するけど、心も脳も凄い疲れる。早く友達になれ、私。
「もし、私も傘を持っていなかったら、どうしてたの? 」
「うーん。止むの待つか……やっぱ、一緒にずぶ濡れになろっか? 」
「私。コンビニまで走って、買ってくるよ」
「じゃあ。コンビニまで、ずぶ濡れになろ」
どうしてもずぶ濡れになりたいのかな。
「アタシは泉さんと一緒なら、何でも大丈夫なんだよ」
「それは、私も同じ」
傘を打つ雨音に共鳴するかのように、鼓動が早打つ。私の場合は教室で止むまで、何時間でも待つ。八乙女さんと二人でなら、いくらでも待てる。
「雨でも晴れでも雪でもミサイルでも。明日も明後日も、その次も……一緒に帰ろ」
「……ミサイルは嫌だな」
「大丈夫、今度はアタシが守るから」
今度は。って、ストーカーの事を言ってるのかな? 違うよ。私は八乙女さんに守られてきたんだよ。小学生の時も、ピアノの時も。
だから、私が八乙女さんを守る。
「もちろん、用事とかあったら難しいけど、一緒にいてくれると、アタシは嬉しい」
雨も雨音も気にならないくらい、八乙女さんの言葉が嬉しい。友達って、こういう事を言うのかな?
私も先に進まないと、元通りになってしまう。
こうして、隣にいられるのだから、それで良いでしょ。
「私もだよ。八乙女さんは『友達』だから」
言えた。言ってやった。
家に帰ったら、ゆっくりと、お風呂に浸かろう。
そうして、今日は、早めに眠るんだ。
早く、明日を迎えられるよう。
1%だけ、雨音で聴こえなければ良い……そんな自分が、少し嫌いだ。




