第20話 ピアノ ④
楽譜に書かれたメッセージを指でなぞった
『泉さんの音色が大好き。Fight』
楽譜の端で両手で♡を作る、ちび八乙女さん
八乙女さんは、私が欲しい言葉をくれるよね。本当にズルいよ。
少し黒ずんだ楽譜を見つめる。五線譜の周りには、可愛い猫と、ちび八乙女さんのイラスト。
昨日。八乙女さんを支えた時の温もりが、まだ、腕に残っているように感じる。
咄嗟の判断だったとは言え、記憶にこびりついてしまう。
ふと、壁時計に目をやると、本番まで残り15分くらいだった。
もう行かないと10分前に、間に合わなくなる。
「泉! 」
突然ドアが開いたかと思えば、持田さんが息を切らしていた。
「ごめんなさい。今、向かうとこ」
「時間ないから、急いで! 」
「10分前には着けるでしょ? 」
「あの時計は、10分遅れてる」
慌ててバッグからスマホを取り出し確認するも、後5分ほどで始まってしまう。
血の気が引くのを感じた。
「さすがに全校生徒が集まってるなかでの遅刻は印象が悪い。急ごう! 」
バッグを肩に下げ、走る持田さんの後ろを付いていく。
やってしまった……大事なときに私はなんで、いつも失敗してしまうのだろう。
ちゃんと、時間を確認すれば良かっただけなのに。他に気を取られ過ぎだ、本当に馬鹿すぎて嫌になる。
体育館に着くなり、持田さんが『ブチ上げてこ』と、言ってたけど反応が出来なかった。
ギリギリ出来たのは、八乙女さんとのグータッチ。
どうにか間に合ったのだから。と、自分に言い聞かせる。
気を取り直し、ピアノ椅子に座…………楽譜忘れた。
どうしよう。音楽室に置いてきたままだ、いまさら取りには戻れない。
アレンジした曲だし、色々書き込みしてたのに。
それに、私にとっては八乙女さんから貰ったお守り代わりだった。
ダメだ、弾ける自信がない。ここから逃げたい。八乙女さんに『楽譜忘れた』と、口パクするも伝わる訳がない。
このまま弾いても恥をかくだけだ。
また、一条先輩に何て言われてしまうのか……
なぜか、八乙女さんに指揮棒で突っつかれてる気がするけど『早く準備して』って、事だよね。
分かってるよ。分かってるけど、弾くのが怖い。
遅刻しそうになったうえに、なかなか弾く事も出来ないポンコツでごめんなさい。
伝わらないもどかしさを感じていると、八乙女さんは目薬をさした。
別に私は目が乾いてる訳じゃない。だけど、何かを変えたくて、同じように目薬をさしてみた。
少しの間、目を瞑る。ジワジワと清涼感が瞳のなか一杯に広がる。
目を開けて瞬きをすると、一気に視界がクリアになり現実に戻された。
深呼吸をすれば、頭と心に落ち着きが戻ってくるのを感じる。
もう、暗譜で行くしかない!
練習では上手く行ったし、楽譜だって何回も何回も読んで記憶してる!!
八乙女さんに目配せしながら頷いた。
『行けるよ!』
大丈夫。順調に弾けている。八乙女さんのために弾こうと思えば、自然と感情が乗ってくる。
――いや、違う。
私だけを見ている訳じゃない。そんなことは分かっている。
八乙女さんは本当に凄い ライトを浴びてはいるのに、八乙女さんが持っている明るさや熱が、私を皆を照らして、輝いているようにみせるんだ。
本当に瞳の奥に、星でも宿してるんじゃないか。って、思ってしまう。
それは、多分。八乙女さんが本気で一生懸命やってるエネルギーなんだろう。
私の音とみんなの声が。一つの大きな塊になっていく。
楽しい……皆を想って、弾くピアノが楽しいよ。初めてピアノに触れた時を思い出す。
鍵盤をたたき、音が出るだけで嬉しかった。指の番号、鍵盤の場所……覚えることが増えていくのが面白かった。
ピアノを辞めたときの私に言いたい。
『大丈夫。いつか、また。楽しんで弾けるようになるよ』
歌が終わり、私の奏でる音が体育館に響く。
ここだけは、八乙女さんとの二人だけの時間を想い出したい。
いつも周りに誰かしらいる八乙女さんを、独り占め出来るのは貴重な時間だった。
また、私はあなたに救われてしまった。『一緒に、やろう』って、言われてなかったら。最後まで付き添ってくれなかったら。
ずっとピアノを弾けず嫌いなままだった。
私にまた音をくれたのは。カーテンコールが出来たのは。八乙女さんだからだよ。
私が奏でる最後の音が消えた……
打ち合わせをした訳でもないのに、八乙女さんと視線を合わせ同時に頷いた。
一瞬だけ二人にしか分からない空気。二人だけの記憶の断片が集まり、絆になって紡がれていくのを感じる。
八乙女さんが振り向き、全校生徒に挨拶したのを見届けてから、舞台袖に戻った。
楽譜取りに行かないと。私だけの綺麗な想い出だから、誰にも中身は観られたくない。
「泉さん? 」
八乙女さんに呼び止められるも、振り返る時間すらもったいない。
「音楽室に行ってくる」
「なんで? 」
「楽譜、忘れたの」
外に出ると、後ろから八乙女さんの走ってくる足音が聞こえた。
音楽室に入り、譜面台から楽譜を手に取る。
「良かった」つい。声に出ちゃったけど、楽譜はそのままだ。
楽譜に書かれたもの全て。込めた想い全て。
私に取っては、手放したくない過去だ。
ピアノの高揚感も残っているのか、愛おしさが込み上げ、楽譜を大切に抱き締める。
ふいに背中に温もりと吐息が感じられた。
「や 八乙女さん? 」
八乙女さんの細い両腕が私のお腹を優しく包み込む。
突然、後ろから抱き締められたら……どうするのが、正解なのか分からない。
なんで抱き締めてくれているの?
八乙女さんの温もりが、鼓動が、背中を通して胸に届いてくる……私の胸の高鳴りとシンクロしそう。
「えっと、これは……めるちポイント!! 」
「え? 」
「泉さん。ピアノ頑張ったから、貯まったの! めるちポイント!! 」
前に言ってたね。 貯まったら『ハグ』みたいなこと。
「……そっか。貯まってたんだ」
「うん。ご利用ありがとうございます」
凄い嬉しい出来事なのに、どうして良いか分からない気持ちが、勝ってしまい。変に冷静になってしまう。
本当は振り向いて、私も抱き締めたかった。
『八乙女さんも頑張ったよね』……その一言すら、口に出来なかった。
言えるわけないけれど、好きって言ったら、どんな顔をするだろ?
困惑・軽蔑・苦悶……そこに、笑顔は出て来なかった。拒絶されて、関係性がなくなってしまうのが、恐ろしく怖い。
お互いの鼓動が感じられる0センチの距離。でも、近づいては駄目。
これは『友達』としてのハグだ。頑張った友達に対するハグ。
私の望んでた意味で受け取っては駄目。
世界で一番、優しく、甘い檻にずっと囚われたままになってしまうから。
「ハイ『めるちポイント』終わりです」
少し距離を取られただけで、泣きたくなってしまう。友達になれたら、こんな風に思う事もないのに。
「また……貯めないと」
貯めてどうするの? また優しく抱き締められ、そこから逃げられなくなってしまうだけじゃない。
「泉さん。も、戻ろう」
元から笑うほうじゃない。これからは、笑い方の練習もした方が良さそうだ。
私は、上手く笑えてるのかな?
八乙女さんみたいに、走って戻る余裕もなく。楽譜をバッグにしまい、少し遅れて体育館に戻った。クラスの列を探し、最後尾に並ぶ。
「〜〜伴奏者、指揮者、合奏者。クラスメイト全員が調和を意識した結果だと思います」
持田さんが賞状みたいなものを頭上に掲げた。
「一年三組。ウチら最高にエモくてメロいクラスなんで、一位あざっす!!」
私たちのクラスが、一位だったの?
頑張って良かった。ピアノやって良かった。
「泉さんのピアノのおかげで指揮やってて、すっごい楽しかった。一位やったね」
両手でハイタッチを求める八乙女さんに、もっと深く伝えたかった。
どれだけ、私があなたに救われたのかを
「心からピアノが楽しいと思った」
合わせた手を……指を絡ませた。
「ピアノを嫌いなまま、終わらなくて良かった」
『ありがとう』が溢れる。私は八乙女さんに何を返せるだろう。分からない。
それでも、何があっても味方でいようと思った。
「アタシは泉さんのピアノ好きだし。泉さんが弾いてくれて嬉しかった。また、聴かせてよ」
言葉にならない想いを噛み締めるように……自分の心に言い聞かせるように、深く頷いた。
繋いだ八乙女さんの手を強く握り締めた。指先で交わす小さな約束。今はまだ、それで十分だった
八乙女さんの『事後だよ』というからかい混じりの冗談に、持田さんが呆れた顔をしている。
冗談でそんなことを言えてしまう彼女の無邪気さが愛おしいと同時に辛い。
たくさんの友達が八乙女さんにはいる。だからせめて。八乙女さんの隣で、一番の友達になろう。




