第18話 ピアノ ②
ダメだ、一条先輩の言葉に囚われてしまう。逃げたくても鎖で繋がれたみたいに、離れられない。
せっかく、八乙女さんが書いてくれた楽譜のメッセージを観ても、一条先輩の言葉にかき消されて行く。
「一回ストップ」
八乙女さんの声にハッとし、演奏を止めた。
正確に弾く事すら出来ない自分が嫌だ。なぜ、こんなにも私は弱いのか。
正確さもなくなったなら、本当に何も残らないじゃない。
隣に八乙女さんが座ってくるけど、今の私には緊張する余裕すらない。
弾くのがやっぱり苦しい。6年間……泉さんの事を思う時間と同じくらい、ピアノを続けてはいたのに。
ピアノの楽しさ……何処かに置いてきたままだ。
「口、開けて」
「なんで」
「良いから」
抵抗する気力もないから、遠慮がちに口を開けた。
八乙女さんが私の口に放り込んだのはグレープ味のグミだった。
少し硬めのそれを噛みしめるたび、甘酸っぱさが口の中に広がる。
不思議と、不安や苛立ちが少しだけ薄れていく。
「叶乃から教えてもらったんだけど、こうするとASMRっぽくない?」
次の瞬間、両耳を優しく塞がれた。耳の中でグミを噛む音が響く。脳が甘いしびれを起こし、首筋から背中までゾクゾクしてきた。
そして、耳に添えられた八乙女さんの手の温かさ……ほんの一瞬だったはずなのに、心の奥まで熱が残る。
「なんか。キスの時にも、お互いに相手の両耳押さえると凄いらしいよ」
『キス』という言葉に思考が止まった。
視線が絡んだだけで、勝手に想像してしまう自分が嫌になる。
友達になりたい。
ずっとそう思っているのに。
胸の奥の『好き』だけは、どうしても消えてくれなかった。
グミを分け合って食べる
後ろめたいから、何も喋らない
バレるのが怖いから、何も出来ない
胸に閉じ込めた『好き』は、喉の奥までせり上がってくる。
甘酸っぱいグミで押し戻した。隣にいられるならそれで良い。
せっかく不安や苛立ちや焦りを薄めてくれたのに、一番出て来て欲しくない『感情』の濃さが増してしまった気がする。
最後に八乙女さんのためにピアノを弾いた。一条先輩の言葉は消えない。
それでも、今はその言葉よりグミの甘さの方が勝っていた。
八乙女さんがどう感じるかは分からない。
だけど、誰かのために弾くピアノは苦しくなかった。
八乙女さんが帰る際に聞いた『普通』って、なんだろうね?
『日常になっていけば、それが『普通』なんじゃない』
それが、八乙女さんの答えだった。
この『恋』は報われず、結ばれず。で、良いんだ。
音楽室を出ると、持田さんが迎えに来ていた。
「お疲れ。どう、ピアノの調子は? 」
「可もなく不可もなく。合唱の方は? 」
昇降口を出て、並んで歩いた。
持田さんと二人だけで帰るのは初めてだった。初めてなのに、持田さんの持つ親しみやすさなのか、不思議と緊張はしていない。
「まだ、パート振り分けしたばかりだし、これからでしょ」
「そう。で、なぜ、私に一緒に帰ろう。って、誘ってくれたの? 」
ピアノの練習に入る前に、持田さんに『練習終わったら、二人で帰ろう』と、声を掛けられた。
「同中、しかも三年の時は同クラだったクラスメイトに、一緒に帰る理由いる? 」
「私は、いる」
警戒しているわけじゃないけど、何かあるから誘ったとしか思っていない。
「最初のテスト、学年一位だったね。さすが、泉」
「それに、何の意味が」
「それが当たり前だもんな。一位じゃなかった時に『今回は一位じゃなかったんだね』って、言ったほうが良かったかな」
持田さんは立ち止まると、私に向かい頭を下げた。
「うっわ……最低だ。ごめん! 今の言い方は凄い嫌な奴だった」
また、歩き出すと持田さんは口を開いた。
「高校最初のテストだから、けっこう気合い入れて頑張ったんだけど5番目でさ」
「200人中5位も凄いけど」
「学年一位に言われてもな……まただ。ホントごめん」
持田さんって、こんな感じの人だった? もっと大人びて、いつも俯瞰で物事を観てる人だと思ってたけど
「前に八乙女が彼氏役とか頼んで大変だったでしょ」
「大丈夫」
その話題は触れてほしくないから、言葉を切った。
「そっか。ってか、ウチは泉が班に入ってくれて、凄い嬉しかったんだよ」
「どうして? 」
「中学の時だけど、泉さ……ウチらのグループ、やたらと観てたじゃん」
気付かれてた!? 八乙女さんを見付けると、隣には必ずと言っていいほど、持田さんがいた。
「ウチら、正直うるさかったじゃん。主に八乙女なんだけど」
八乙女さんへの気持ちがバレてる? どうしよう、すぐに否定するしかない。
「で、泉が良く観てきてたから、ウチらみたいな、うるさいグループ嫌いなんだろうな。って」
良かった。バレてるとかじゃなさそう。そんな気持ちで八乙女さんに近付くな。とか、言われるのも覚悟してただけに、安堵のため息が心の中で出てしまった。
「嫌いじゃなかったよ。賑やかで楽しそうだな。って、思ってた」
「マジで? 」
「本当だけど」
「うるさい人たちが嫌いで、一人が好きな感じだから、必要最低限しか話さなかったんだよ」
全然知らなかった。確かに一人は嫌いじゃないし好きな方ではある。それでも、孤独を好んで常に一人でいるのを選ぶタイプじゃない。
「八乙女も黛も変なやつだけど面白いし、良い奴だから」
「知ってる。私も一緒にいて楽しいよ」
なんでもないような会話だけど、持田さんなりの気の使い方が分かる。
多分、私が班に馴染めているのか確認したかったんだ。
「何かあったら……遠慮なくウチに言って」
「クラス委員だし、頼りにはしてる」
「クラス委員関係なく、友達として頼って良いって。ウチもそうする」
綺麗な飾り事が無意味だと思われるほど、あまりにも真っ直ぐな持田さんの瞳と言葉に圧倒された。
連絡先も交換したし、同年代で頼れる友達が出来たのは初めてかも知れない。
靴に羽根が生えたみたいに、足取りが軽く感じられた。
勇気を出して、同じ班に入れて本当に良かった。
「持田さん。ありがとう」




