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衛生区画

 最近のハルグ村では、朝の匂いが変わり始めていた。


 以前は、薪と土の匂いだけだった。


 だが今は違う。


 市場の残飯。

 生活排水。

 家畜臭。


 人が増えたことで、“街の臭い”が生まれ始めている。


 玲司は旧市場通りを歩きながら、小さく息を吐いた。


(……放置するとまずいな)


 前世でも、都市化初期の最大問題は衛生だった。


 人口増加速度へ、処理能力が追いつかない。


 すると病気が出る。


 街が止まる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「玲司!」


 ボルドが慌てた様子で走ってくる。


「橋前裏、かなり臭ぇ!」


「見に行きます」


 二人が向かった橋前裏には、食べ残しや汚水が溜まり始めていた。


「うわっ……」

「最近ここ酷ぇな」


 商人たちも顔をしかめている。


 橋前市場が急成長した結果、“ゴミを捨てる場所”が存在しない状態になっていた。


「……完全に処理能力不足ですね」


「また難しいこと言ってる」


「簡単に言うと、街の裏側が追いついてない」


 前世でもそうだった。


 人気エリアほど、“裏方”が重要になる。


 清掃。

 排水。

 ゴミ処理。


 そこが崩れると、都市は急速に劣化する。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「なので、区画分けます」


「クカク?」


「捨てる場所を固定する」


 玲司は橋前裏の空き地を指差す。


「ここは廃棄場所」

「こっちは家畜」

「飲み水側は禁止」


 ボルドが腕を組む。


「そんな細かく分ける必要あるか?」


「あります」


 玲司は真顔で答えた。


「今のハルグ村、“村”の感覚で人が増えすぎてるので」


 少人数なら適当でも回る。


 だが人口密度が上がると、空間管理が必要になる。


 それが都市だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その日の昼。


 橋前市場には、新しい板が立てられていた。


『廃棄区画』

『排水禁止区域』

『飲料水専用井戸』


 商人たちがざわつく。


「またルール増えたぞ」

「最近厳しくねぇか?」


 玲司は橋前中央へ立った。


「今後、人がさらに増えます」


「まぁ最近すげぇしな」


「だから衛生管理始めます」


 周囲が少し静まる。


「汚れると、人は住まなくなる」


 前世でも同じだった。


 “住みたい街”には、清潔感が必要だ。


 それは景観だけではない。


 臭い。

 水。

 空気。


 全部含めて都市環境だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……本当に街になってきたな」


 カルムが低く呟く。


 最近の彼は、露骨に玲司へ反発しなくなっていた。


 むしろ、かなり真面目に橋前を見ている。


「前まで、“汚れたら川へ流す”で終わってた」


「人口少なかったので」


「でも今は違う、か」


 玲司は静かに頷く。


「都市化すると、“適当”が通用しなくなります」


 カルムは少し苦笑した。


「最近、お前の話聞いてると怖くなるな」


「何がです?」


「街って、維持するだけでこんな面倒なのかって」


 玲司は少しだけ空を見る。


 前世でもそうだった。


 人は、都市を“自然に存在するもの”だと思っている。


 だが実際は違う。


 清掃。

 水。

 物流。

 治安。


 無数の維持管理で、ようやく成立している。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「玲司殿」


 ラウスが橋前へ現れる。


「今日はまた随分騒がしいですね」


「衛生改革中です」


「……また新しいことを」


 ラウスは苦笑した。


 だが次の瞬間、橋前の空気を少し嗅ぎ、表情を変える。


「……確かに前よりマシですね」


「臭い減るだけで滞在時間変わるので」


「そこまで影響あります?」


「かなり」


 前世でも、環境改善は滞在率へ直結していた。


 人は、不快な場所へ長居しない。


 逆に言えば、快適な場所には金が落ちる。


「最近、フェルム領でも話題ですよ」


 ラウスが静かに言う。


「“ハルグ村は、ただの市場ではなく街を作っている”と」


 玲司は少しだけ黙った。


 最初は、ただ人を止めるだけだった。


 だが今は違う。


 人を住ませ、

 維持し、

 生活させ始めている。


 それは確かに、“都市”だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 夕方。


 住宅予定地では、新しい井戸掘削が始まっていた。


「縄寄せろ!」

「土上げろ!」


 少し前まで、誰も注目していなかった空き地だ。


 だが今は違う。


 未来の住宅地区として、人が動き始めている。


 玲司は高台からその様子を見下ろした。


 橋。

 市場。

 住宅。

 衛生。


 点だった機能が、少しずつ線で繋がり始めている。


「……本当に都市設計だな」


 思わず呟く。


 前世では、巨大都市の図面ばかり見ていた。


 だが今は違う。


 一つずつ、

 本当に街が形になっている。


「でもまだ終わらない顔してるわよ」


 隣へ来たエルザが笑う。


 玲司は少し考えた後、小さく息を吐いた。


「……次、多分行政区画ですね」


 エルザが頭を抱えた。


「お願いだから少し休んで」


 玲司は少しだけ笑った。


 だが頭の中では、既に次の都市構造が動き始めていた。

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