星降る丘で
「ニッキーさん、好きな人っていましたか?」
聖女になったばかりのステラは先輩聖女ニッキーに問いかけた。
ニッキーは二十九歳、ステラは十五歳。今は王宮内の神殿で、二人で暮らしている。
ニッキーは首を傾け柔らかく微笑むと、「そうねぇ……」と何かを思い出すように目を閉じた。
「あっ! その様子は、いたんですね! ここに来る前ですか? それとも来てから?」
「あらやだ、ステラ、ここに来てから好きな人なんてできるわけないじゃない? 護衛の騎士か、魔獣討伐の時に同行する騎士としか出会いはないのだし。第一、聖女は恋愛禁止ですもの」
「でも、想うくらいは自由じゃないですか。私、初恋もまだだったのに、いきなり神殿に閉じ込められて、悲し過ぎます。恋って、どんなものかも知らないんですよ? あーあ、好きな人くらい作っておけば良かった」
ニッキーは悲しげに眉を下げた。
「好きな人なんていないほうがいいわ。いたら苦しいだけだもの」
「苦しいんですか? どうして?」
「だって、会いたいのに会えないのよ。想いを伝えることすらできない。この恋をどうやったら忘れることができるのか、それがわからなくて苦しいの」
俯いて睫毛を震わせたニッキーを見て、ステラは自分が余計な質問をしたのだということを悟った。
「ごめんなさい、ニッキー。辛いこと思い出させちゃったのね」
するとニッキーは顔を上げ、優しい笑顔を見せた。まさに聖女という、清らかな笑顔だ。
「いいのよ、ステラ。仕方のないことだもの。私たち聖女は国のために全てを捧げなくてはならないのだから。この気持ちすらも」
そして東の方角に開いた窓を見つめた。ニッキーの住んでいた漁村の方角だ。
彼女はもう十四年、ここに一人で住んでいた。二十九歳というと世間ではもう子供を三人は産んで立派な【おっかさん】になっている頃だ。ステラの従姉妹がニッキーと同い年だから、違いがよく分かる。ニッキーはいまだに少女のように透明で儚げだ。
(私はきっと恋も知らずに、中身が子供のまま年を取っていくんだろうな。ニッキーのように切ない目をすることもないんだろう)
それは気楽でもあり、つまらないことにも思えた。だが結局のところ、聖女である限り何も変わらない。同じ毎日を繰り返すだけなのだ。
それから十四年、ステラはニッキーと二人きりで過ごしてきた。だが近頃ニッキーは体調が優れず、寝込む日が増えてきた。そのため、魔獣討伐にはステラだけが行くようになっていた。
いつも同行するうちに、騎士団長テオドアとは随分気安く話せるようになってきた。彼は四十五歳、ステラよりも十六歳上の男やもめだ。奥さんに死なれてから十年が経つという。
「あの、テオドア様。ニッキーは死ぬまで神殿にいなければならないのですか? もう討伐に出ることはできないのだから、故郷に戻してあげることは無理なのでしょうか。その分、私が働きますから」
魔獣の出る森を捜索しながらステラはテオドアに話しかけた。テオドアは鳶色の目を少し曇らせ、頬や顎にたっぷりと蓄えた茶色い髭を触りながら考えていたが、軽く首を振った。
「ステラ殿、残念だがそれはできません。聖女様は最後まで神殿で暮らすことになっているのです。アデリン様もそうでしたから」
七十歳まで生きたとされる大聖女アデリン。テオドアは生前の彼女を知る貴重な人物なのだ。
「そうですか……海の見えない神殿ではニッキーは故郷を思い出せなくなっているみたいなのです。せめて一目、懐かしい海を見せてあげたいと思ったのだけれど……」
「ステラ殿はお優しいのですね」
「えっ! そ、そんな、優しいだなんて」
急に褒められてステラは焦ってしまった。魔獣を倒して褒められることはあっても、優しいなんて言われたことは初めてだったのだ。
そして、焦ったことで足を滑らせ、よろけてしまった。
「危ない!」
足を踏み外せば川に落ちてしまう。だがテオドアの逞しい腕が伸びてきて、サッとステラの身体を支えてくれた。
「あっ……ありがとう、ございます」
落ちないようにしっかりと抱えてくれたので、顔が近い。男らしい髭、優しい鳶色の瞳、逞しい腕と胸板……初めて感じた男性の魅力だった。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか」
そっと地面に立たせてくれたテオドアは何も感じていないようだったが、ステラは胸がドキドキして、その鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかと心配していた。
「はい……あっ、いえ、怪我はないです。ありがとうございます……」
その時、突然魔獣が現れた。あまり大きくはないが火を吹くタイプだ。ステラは結界を張り、テオドアに加護を与えた。
テオドアは盾と剣を素早く操り出し、火を避けながら眉間を切り裂いた。魔獣は声を上げることもなく倒れ、消えていった。
「ステラ殿、ありがとうございます。今日の加護はひときわ強力でした」
「そうですか? 良かったですわ」
ステラも今日は力が強く出たように感じていた。何故だろう?
森を抜けると、綺麗な形の丘が拡がっていた。丘の向こうには小さな村があり、家々に灯りが点っている。もう夜になっていた。
「ステラ殿、空を見て下さい」
「空ですか?」
言われて見上げると、たくさんの流星が空を流れていた。
「わあ……綺麗……」
「今の季節、流星群が多いのですよ。神殿からだと見えづらいでしょうけれど、ここなら綺麗に見えますから」
そう言って微笑むテオドアの顔が、今までよりも素敵に見える。
「私は、五十歳になったら騎士団を辞めて、ここで余生を過ごそうと思っています。生まれ故郷ではないのですが、景色の良さが気に入っていましてね……そういえば、この土地の名前はステッラというのですよ。ステラ殿と同じ、星という意味です」
「ステッラ……」
いつか、あの神殿を出ることができたなら、自分もここに住みたいとステラは思った。自分と同じ名を持つ土地。テオドアと一緒に流星を眺めたこの場所に。
(そんな日は決して来ないのはわかっているけれど……)
☆☆☆☆☆
「ステラ、ワインを開けたよ。こちらへおいで」
「はい、あなた」
テオドアはカップに注いだワインとナッツをテーブルに並べていた。
「また星を眺めていたのかい?」
「ええ。今日も綺麗だわ。やっぱりステッラに土地を貰って良かった」
「空の星も素敵だが……こっちの星も綺麗だよ」
テオドアはステラの髪を撫で、優しく見つめる。
「騎士団長様がこんなに口が上手とは知りませんでしたわ」
「好きな女には饒舌になるもんだ」
「まあ」
ステラは背伸びをして彼の頬髭にキスをした。
歳を重ねた二人の幸せな日々はこれからも続いていく。




