ビクター・アーヴィンの憂鬱
アーヴィン侯爵家の次男ビクターは快活な男だった。そう言えば聞こえはいいが、声が大きく賑やかで居丈高で、つまり誰に対しても偉そうな男だった。
見栄っ張りな彼は、騎士団では親にいろいろ手を回してもらい自分の隊に優秀な騎士を集め、手柄を独り占めしようとしていた。その目論見は当たり、最初の魔獣討伐で充分な成果を収め昇級することができた。
バーリィ伯爵家の一人娘キャロラインとは一年前に婚約を結んでいた。特別好みのタイプでもなかったがキャロラインには前から言い寄られていたし、バーリィ家は財産があるので次男のビクターにとっては旨味のある婚約だったのだ。
(俺の人生は結構上手くいっている。処世術には自信があるし、騎士団長とまではいかなくても、ある程度の出世はできるだろう。キャロラインと結婚してバーリィ家の婿になれば生活に不安はない。たまに酒場の女と火遊びなどしながら、気楽に生きていけそうだ)
ところが、あの東部辺境師団での魔獣との戦い、あれで全てが変わってしまった。昇級していたばっかりに、あの戦いに招集されて。
夜を徹して東部に向かい、作戦を練っている最中に巨大な竜に本部が襲われた。見たこともないほど大きな竜に、剣や弓などでかなうわけがない。必死で逃げ惑ったが転んでしまい、空を飛ぶ魔獣がぐんぐん迫って来た。
やられる! そう思った刹那、部下の団員が剣で魔獣の爪を受けてくれた。ガキィン、と鈍い音がする。
(助かった!)
いったん下がった竜は、またしても襲い掛かってきた。そして部下の剣をサッとよけると、その肩を爪で切り裂いた。
「うわあっ……!」
悲鳴が聞こえたが、ビクターは部下を援護することなくそこから逃げ出した。庶民は貴族を庇うのが当たり前、そう思っていたから助けようなんて少しも考えなかった。あいつがやられている間に逃げなくては。
その後、仮面の聖女と兜の騎士が現れて魔獣を倒していた時、ビクターは厨房で大鍋を被って隠れていた。すべてが終わり、生存者を探しに来た団員に見つけ出されるまでずっと。
表に出てみると地獄のような恐ろしい光景が広がっていた。身体を爪で引き裂かれた者、くちばしで掴まれ、高い所から落とされた者、噛みつかれて血を流す者。初めて見る凄惨な場面だった。今までの魔獣とパワーが違い過ぎる。
その中で、兜の騎士が団員の手当てに走り回っていた。そして仮面の聖女は不思議な力で重傷者を治していた。本当に不思議な力だった。死んだ者は戻らなかったが、殆どの者が傷を治してもらうことができた。
負傷者の手当てがあらかた終わった頃、ビクターのもとに部下たちがやって来た。
「お前たち、無事だったか。大変だったな。よく生き残った」
そう声を掛けて労ったが、全員が白けた目でビクターを見た。
「何をのんきなこと言ってるんだ」
リーダー格の部下が吐き捨てるように言った。
「お前が見捨てたジョナサンのことはもう忘れたのか」
ジョナサンとは、あの時魔獣の爪を受けてビクターを助けた部下だった。
「なぜ助けなかった」
「あの後、ジョナサンはくちばしに引き裂かれて死んだ。お前のせいだ」
「お前が共に戦って助けていれば、重傷だとしても即死は免れた。そうすれば、仮面の聖女様が治して下さっただろうに」
口々に隊員から責められ、ビクターは激怒した。
「何を言う! お前ら庶民の騎士は私のような尊い者を守るのが役目だろう! あいつはその役目を果たしただけだ!」
隊員の中で一番年長の男が進み出てビクターの顔を一発殴った。ビクターは堪え切れず地面に倒れ込んだ。口の中に嫌な血の味がした。ヌルッとした感触に鼻の下を触ると、手も血だらけになった。
「ぶ、無礼者! 上司を殴るなどもってのほかだ! お前ら全員クビだ!」
隊員たちは地面にへたり込んでいるビクターを蔑んだ目で見下ろしていた。
「望むところだ。お前の下でなど働きたくない。全てを本部に明かしてから辞表を叩きつけてやる」
「ふん、そんなもの揉み消してやるからな。お前らはクビだから退職金も無しだ。上司に対する暴力で投獄されるかもな!」
ハハハッとビクターは笑ってやった。この俺を殴るとは、絶対に許すものか。昇級したら必ずクビにしてやる。
兜の騎士が団員たちに近寄って行き、こっちを見ながら何か話していたがビクターは気にしていなかった。
そして王都に戻り、しばらくは治療のためと称して休暇を取っていた。その後王宮が魔獣に襲われて王が亡くなり、新王が誕生した。騎士団長も交代したことだし、昇級のチャンスだと勇んで騎士団本部に集合したのだが。
「ビクター。お前は降級だ」
出仕したその日に騎士団長から言い渡された?
「えっ! 何故ですか? 私は東部遠征にも行きましたし、そこで名誉の負傷も負ったんですよ? それなのに何故!」
「アンドリュー新王からの命令だ。部下の命を粗末に扱う者には上に立つ資格は無いと」
「な、なにっ! まさかあいつら新王に直訴を?」
「とにかく。王の命令は絶対だ。お前はもう一度新兵からやり直せ」
部下だった隊員たちがこちらを見ている。自分を殴った奴も。
「貴様ら、王に告げ口したな!」
「バカなことを言うな。俺たちみたいな庶民騎士が王様に直接口をきけるはずがないだろう。あの時の兜の騎士が王様に話をつけてくれると言っていたんだ。あの騎士はあの場で全て見ていたからな」
「そ、そんな……」
ビクターは膝から崩れ落ちた。もうこれで出世は望めない。そのうえ今さら一兵卒だなんて恥ずかし過ぎてもう騎士団にはいられない。
それからどうやって屋敷まで戻ったのか覚えていない。ビクターはそれからずっと騎士団を休んでいるのだ。
キャロラインから何回か訪問を受けたが、今はあの機関銃の勢いで責め立てられたくはない。体調不良で全て断った。もういい、あんなうるさい女と一生を共にするくらいなら田舎の領地に移ろう。そうだ、それがいい。
ビクターはベッドに潜り込んで嵐が過ぎるのを待つことにした。




