4 辺境マーケット
「さあ、さっさと買って帰らないと。お腹ペコペコー」
辺境町の家々に着いたフェアニスは、足早にマーケットの入り口に駆けより、紅葉もあとに続いた。2人とも昼飯すらまだ食べてない。
質素な木と漆喰でできた建物の前に、サウザス市場よりも簡素なテントが張られ、商品が値段も包装もつけられず、無造作に大箱に詰めこまれて並んでいる。一般の買い物客は想定されておらず、業者が大量買いつけにくるためのマーケットであった。
マーケットの奥には荷馬車が10数台ならび、馬小屋のそばで休憩していた。貿易商らは、藁ソファの上でお茶を飲んでくつろぎ、小さな子供が飼い葉桶を抱えて、馬の世話にまわっている。
「どれ買おっかなー」
フェアニスは食料品を物色していたが、紅葉は荷馬車に着目していた。馬車にはそれぞれ州の旗が縫いつけられ、どの州から来たのかが一目で分かる。ファンロン州、ルオーヌ州、コンクルーサス州……遠くはアオザ州からの馬車もあった。
「ねー買わないの〜? ルオーヌ州の缶詰を買いましょーよー。ラヴァ州のシケた味つけよりずっと美味しいんだから、臓物ペーストにハーブが混じってて、何層にも重なってるのよ」
自分で財布を出す気のないフェアニスが、しきりにちょっかいをかけてきたが、紅葉は黙って停車している荷馬車を見比べていた。
(あの日……ショーンをギャリバーで郵便局に送った後、市場に行って、スパイス商人のところに寄って、あの日見た店員と商品は……!)
サウザス事件があった前日、3月7日の火曜日に見た光景——記憶は既におぼろげとはいえ、目の前にいれば気づく程度には覚えている。しかしマーケットには、それらしきクレイト商人も、スパイスの品ぞろえも見当たらなかった。
(大丈夫、落ちついて。そんなに日も経ってないのに戻っているわけない。でも、ここにいる人なら彼らを知っているはず!)
「あの、スパイス売りの人なんですけど……」
紅葉は、彼らと品揃えの異なるスパイス売りの店番に話しかけてみた。
「なんざぁ。ウチの商品以外のことは知らないよ」
編み物中だった円猫族の老婦人は、尻尾をふり、なかば追い返すように返事した。
「これで答える気はない? 星の実のスパイスを売っていた黒ヒゲの商人を探してる。夜空の柄の絨毯を敷いて、三日月の斧を持ち歩いてるの」
財布から5ドミーを抜きとり、マチ針ケースのなかに滑りこませた。期待せずに渡した5ドミーだったが、老婦人にものすごい勢いで爪を立てられ、
「あんたどこのモンだい?」
と、純白の頭巾の下から、野ネズミでも狙うかのようなギラギラの鋭い目でにらんできた。
皺とシミのたるんだ皮膚からは、信じられないほどの殺気が漂い、その視線にユビキタスの狂気を思いだし、紅葉の全身が総毛立った。
血走った金色の目は、他人を死の縁へと引きずりこむ者の瞳であった。
「僕はクレイトでもやることがある。もうあなたに会うこともない。ここで最後のお別れです。さようなら!」
ショーンは一方的に別れを告げて、退散しようとした。
「あと13分ありますが、終わりにしますか?」
青羆熊族の警官が、秒針を凝視しながら尋ねる。土鼠族の警官は物足りなそうな顔で紙をめくった。
「ええ、心残りはありません。では——」
ショーンは老人に対して背を向けようと靴の裏をズリッと擦った。
その瞬間、ユビキタス・ストゥルソンは頭を突き出した。手元の鎖がジャクッと鳴り、ボサボサの髪は飛びだし、褐色と化した歯に、白くふやけた舌を突きだして喋った。
「……グッグ……!」
長時間束縛されていた口は、こんな15分ぽっちではまだうまく動かないようだ。
老人は何か訴えようと必死にうめいていた。
唯一、覆われることのなかった瞳だけは、血走った黄色い光彩を放ち、ギラギラと怒りに満ちた大型草食獣の目をしてショーンを見つめていた。
「…………なにか…………言いたいことでも?」
ショーンは尻尾の毛を固まらせて、ユビキタスの顔を見つめていた。
青羆熊族の警官はすぐに動けるよう臨戦態勢をとっていた。土鼠族の警官は、ペンを止めて老人の言葉を書きつけようとしている。
「ガー、ガフ……、ゲ、ゲホ…………!」
やはり、声を出すのは難しそうだ……。ユビキタス老人の咳き込みだけが、地下留置所の中にしばし響いていた。
「ガラ、ゴフ、ガッガハアッ!」
痰が絡み、よだれがベッドの布を際限なく汚していたが、草食獣の瞳だけはらんらんと光り、肉食獣に対抗するかのごとく怒りの形相を宿していた。
「あと5分になります」
青羆熊族の警官の無情な声が、灰色の床に反響する。
「っ、言いたいことは何なんですか! しゃべれないなら紙に書いてくださいよ!」
ショーンは思わず土鼠族の警官から紙とペンを奪い、ユビキタスに向かって差しだした。
「ちょちょ、チョット、規定違反ですゾ!」
奪った相手に背中を叩かれたが、構っていられない。ユビキタスの震える手を、厳重に布で覆われて四指の動かない手をつかみ、無理やりペンを持たせて紙に書かせた。
「ぐは、アッ、ゲボっ……!」
ユビキタスは荒い呼吸をし、ギギギギ、とインクをまき散らしてペンを引く。
(なにが、どんなことが書かれるんだ——!?)
おぼつかない幼児による筆跡のような、ガタガタの線で書きこまれたその文字は……
【おまえの 父は のろわれて しぬ】
ショーンは全身が総毛立ち、唇が一気に氷に覆われる感覚に襲われた。
「面会時間、終了となります」
冷徹な終焉が告げられ、豆電球の光が消えた。




