5 血の色は勝利の色である
クレイト地区のはずれ、辺境町のマーケットにて。
そろそろ日の入り時刻がせまる午後5時20分。
円猫族の婆さんから物すごい形相で爪を立てられ、紅葉はその場を動けないでいた。屈強な男に詰められるよりも、はるかに凄まじい恐怖を感じた。
「なぁーに、万引きでもしでかしたぁ?」
フェアニスは髪をいじりつつ軽い調子で茶々をいれたが、前髪の奥では鋭い警戒の視線を向けていた。
「あんだねぇ、こんなとこいちゃならねえ! 市場きゃら出ていぎなっ!」
婆さんは出ていけと叫びつつ、紅葉の腕につき立てた爪を外すことはなかった。猫の爪は皮膚の奥に食いこみ、赤い血が黒い太鼓隊の服を濡らしていく。
「教えてくれたら出ていきますよっ! 彼らはどこから来て、どこへ行ったのか、そしていつ戻ってくるかを!」
紅葉も、老女の狂気に負けじと気迫を放った。ここで糸が切れてしまったら、捜査なぞ進まない。
「ちょっと、声デカいってば……」
フェアニスは焦りながら周りの様子をうかがった。幸か不幸か、マーケットはこの手の小競りあいがザラにあるのか、店員も客もろくに見むきもしない。
「お嬢ちゃん、そのバーちゃん痴呆はいってんだ。なんか買うのはあきらめな」
隣の干物売りが助け舟を出してくれたが、婆さんは興奮がおさまらず顔を紅潮させ、紅葉の腕にますます爪をめり込ませてきた。
「フーッフッフーッ」
薔薇の花びらのような流血がぽたぽたと地面に落ちる。さすがのフェアニスも気まずそうに頬をゆがめた。
「……教えて」
だが、紅葉の意志は揺るがなかった。
「知りたいの」
呪文が打てるわけでも、飛べるわけでも、視力聴力が良いわけでもない自分が貢献するには——
「知ってるんでしょ!」
体を張るしかない。
相手はさすがに疲れてたきのか、力を弱めて爪を緩めた。まだ勝ったわけではない。情報を得られなきゃ、勝ったことにならない。
老女は、マチ針ケースのなかの5ドミー硬貨をじっと見て財布にしまい、代わりに財布の裏地から古びた名刺を出して、スパイス詰めの小袋にそっと忍ばせて紅葉に渡した。
「ありがとう」
紅葉は赤い血だらけの腕で笑った。無事にこの場を制した。勝ったのだ。
「まずい、急いで買わないと! いちばん安い店はどこ?」
その後、紅葉とフェアニスはそそくさと辺境マーケットを回り、およそ10日分の食糧を確保した。
乾パンに、臓物ペースト、ハーブジュレ、野菜の漬けもの、果物ジャムに生の果実、保存のきく芋や豆、その他モロモロ。粘りづよく交渉し、夜行性の店員から、干し肉と魚を割引価格で購入し、夜7時を過ぎる頃にマーケットから出立した。
あのスパイス売りの猫婆さんは、その後すぐ夫らしき爺さんと店番をかわり、早々と自宅へ戻ったようだ。
「……追手とか来てないよね」
「さ、イタチの家族が向こうに4匹いるけどねぇー」
フェアニスの指さす方に目を向けたが、もうすっかり太陽の落ちた草原で、紅葉の視力では視認できなかった。
「ねえ、ばーさんの袋を確認しましょうよ。テキトーな電気工事屋の名刺いれられたかもしんないわよ」
「ダメだよ、宿舎に帰ってから!」
携帯灯を持たずに来たため、三日月街の夜景をめざしてひたすら歩く。
「いま確認しとかないと、電気屋だったら戻ってとっちめられないじゃない。また後日いく気?」
「そんなことしてないって信じてる……痛っ……!」
マーケットでの余計な出費として、包帯代があった。さすがに食品の店先で血痕をバラまくわけにもいかず、薄い布のわりにお高めな医療品——包帯を買うしかなかった。
「あーもう遠いし、重いし、痛いし……お金が欲しいよおおお!」
紅葉は満月にむかって特大の愚痴を咆哮し、フェアニスはあきれて翼を羽ばたかせた。
「うわ! どうしたんだよこれ、拷問でも受けたのか?」
「小柄な猫ちゃんに引っ掻かれたの」
夕飯には少し遅めの午後8時20分。サン=ラシアン宿舎、部屋『407号室 -黄金の静謐-』にて。
紅葉の怪我に驚いたショーンは、まずは急いで治癒呪文をかけて治療をはじめた。フェアニスはダイニングテーブルに食糧を広げ、お先にスプーンでヒナドリの煮漬けを突いている。
「ショーンのほうこそ、昼間より顔色悪くなってない? フランシス様に叱られたの?」
「いや、叱られはしたけど、そっちじゃなくて……」
深い傷を負った紅葉よりも、妙に浅黒い土気色をしている。
「マズイことが2つあったんだ。1つは、捜査資金が足りなくなってきた。俸給がすぐには上がらないんだ、少なくとも来年にならないと」
ショーンは治癒呪文を唱えながら、患者より苦しそうに頭を振った。
「統括室の事務に相談したんだけど、政府の給金に頼るよりもパトロンを見つけたほうがいいって忠告されたよ」
「パトロンかぁ……オーガスタス町長にお願いする? でもお金なんて出してくれるかな」
「金のことならノア都市に戻って相談しなさいよー。美容サロンの社長やギャリバーの副社長なら唸るほどあるでしょー」
フェアニスはヒナドリの頭蓋骨を叩きわりながら、しっかり聞き耳を立てて煽ってくる。
「2つめは、そう——ユビキタスの面会にいった」
紅葉は思わず治癒中の腕を引き、身構える姿勢をとった。
「ユビキタスッ! まだクレイトにいるの?」
「居たんだよ、留置所に。そろそろ帝都の裁判所に送られるらしいけど」
ショーンは紅葉の腕を引きなおし、中断された治癒を再開した。
「何を話したの、様子はどうだった? なにか事件の進展はあった?」
「無いと言えばないし、あると言えばあるし……先にケガを治すから待ってて。こっちの方が大事だよ」
そわそわ身を揺する紅葉をよそに、ショーンはそれから10数分かけて、肉が抉られた痕跡をすっかり消してみせた。




