第6話
来た時の三倍に膨れ上がったショルダーバッグを抱えて、カイとポリーは『資料室』と書かれたその部屋を出た。バッグの中身はほとんどがエコーで、カイが歩く度にカチャカチャと軽い音を奏でた。
ナギはしばらくの間廊下を進む一人と一体の後ろをついて来て、「レコードはどれくらい集まったのです?」「四丁目の廃墟のお話を聞かせてください」「今日の夕飯は?」とひっきりなしに質問をしていたが、エレベーターを乗り一階のロビーに着くと、ガラスで透けた図書館や談話室、中庭の向こう側からの視線を感じ取り口を噤んだ。
気まずそうに俯くナギに気づいたカイがバッグを背負い直しながらちらりと視線を動かすと、ナギの視界に入ろうと意気込んだ若者たちが落ち着かないように姿勢を正したり、細く繊細ながらも熱い視線を送っていた。
ほお、とカイは息を吐きまた横を歩くナギの顔を覗き込む。
ナギは照れるでもなく、鼻にかける様子もなく、まっすぐ前を見たまま黙って歩みを進めたが、カイの視線を察知すると哀しそうに微笑んで「こんなこと、何の意味もないことなんですけどね」と独り言つように囁いた。
カイはその顔を見て、美しいなあ、と心の中で思った。
急速に減少する人々が生き残る術を模索し続けた結果、『何も異常がない』細胞を検知し、選び、命を宿すことができるようになった。その結果、人々が得たのは穏やかな社会と、美しさであった。
生き残りのために突き詰めた結果にここまでの美しさが必要だったのかは謎だが、ナギはその小さな社会の中でもスラリとした骨格が際立っているようだった。十八の決まり事を前に、誰がナギの相手として選ばれるのだろうかという噂話がそよ風のようにあたりを漂っていた。
「今は高架下を過ぎた通りの六丁目まで探索してる」
カイは気が付かないふりをしてナギに言った。
「何か面白いものがあったら資料室に置くついでに見せるよ」
ナギは嬉しそうに笑った。そして足元の線を見て手前で立ち止まり、手を振る。
カイはその線を乗り越え、ドアに手をかざした。Approved.と表示された文字とともに開いたドアは、ナギの表情と人の気配を消し去るように勢いよく閉まった。
--
キッチンの作業台の上に、ひっくり返したショルダーバッグからどさどさと缶詰やレトルトのパウチを出すその時まで、ポリーのお喋りは続いた。
シティを出てしばらくはただの鉄の塊と化していたポリーは、道中突然目覚めたように「今回も良い旅でした」などと話し出し、家までの残りの時間はひたすらシティの認証速度が遅いだの、空調が強いだの文句を言っていた。
「ナギさんはいつも通り見目麗しいですけれども、もう少し体を鍛えるべきですね。細すぎます」
テーブルに出した食品を物色しているカイの横に立ちポリーの文句の矛先がナギに向いたので、カイは屈んでポリーの胸元を覗き込んだ。ボディに刺さったエコーには『13歳/女性』と見知らぬ名前が書いてある。なるほど、反抗期ね、とカイは無言で頷き、話題を変えるために「ポリー」と話しかけた。
「はい」
「ナギとの話は聞いてたか?」
「ええ、まあ」
「ロクと話したい」
カイは魚のイラストの書いてある缶詰を選びながら言った。ポリーはため息をついた。13歳らしからぬ、子どものわがままを聞くようなため息だった。
「そういうと思いましたよ」
「そういうと思ってると思っていたよ」
「屁理屈はいいです。わかったら早くお食べなさい」
しっ、しっ、と腕を払う仕草をして見せるとポリーは部屋を出て廊下の向かいの部屋へと向かった。
--
ドアが閉まるときに鋭く鳴った、ゴムとプラスチックがこすれるような音を反芻しながら、ナギは本を片手に談話室で席を探していた。ロッキングチェアはすでに年配の女性たちが紅茶のカップを片手に何やら話し込んでいて、ナギは部屋の奥まった場所に入口に背を向けるような形で置いてあるソファへと足を進めた。黒い牛革でできたソファはナギの長身をも包み込む大きな背面があり、人々の視線を遮断するのにはもってこいだ。ナギは分厚い本を膝の上で開くと、文字を滑らせるふりをしながらカイとの会話を頭の中で繰り返していた。
十八歳。年が明ければすぐにその日は来る。
カイには楽しみだと言ったものの、ナギは生まれた時からそこにあった制度に対して特に大きな意味を見出してはいなかった。結婚というのは、ただそこにあるもの。それだけだ。
それなのに周囲の同世代の人たちは、なんだか特別なことのように皆落ち着きがない。皆読まなければいけない本を手に持ったまま、くすくすと笑いながらあちらこちらで楽しそうに話をしている。
ぼんやりと本を眺めていると、いつの間にかさきほどまで座っていた女性たちが部屋を後にしていて、長いローブとフードを目深にかぶった人影が部屋に入ってくるところだった。ナギはその影をぼんやりと目で追う。
ウォール。
壁、という名のその存在は結婚の制度同様生まれた時からシティに存在している。どこからともなくやってきて、足音を立てず滑るように移動し、言葉を喋らず(そもそも喋ることができるのかもわからない)、床を磨いたり、置いたままの本やペンを元の場所に戻したりしてはどこかへ去っていく。真偽は不明だが、壁から現れるからウォールだと誰かが言っていた。
中身は人ではなく機械だ、という者もいれば、キメラだ、実験に失敗したフランケンシュタインだ、と主張する者もいる。モンスターかどうかは知らないが、ナギはそれぞれの個体で歩き方の癖があると気が付いていて、少なくとも機械ではないなと考えていた。
部屋に入ってきたウォールは、いつも通りテーブルに置かれたティーカップを盆にのせ音もたてずに部屋の扉の方へ向かった。廊下へと続く思い木の扉の取っ手に手を―—手のようなものを―—かけようとしたその時、勢いよく扉が開いた。ウォールはよろめいたかと思ったが、次の瞬間には軽い身のこなしでさっと脇によけ衝突を避けた。盆の上のティーカップが珍しくかちゃりと音を立てたが、ウォールの足音はやはりしなかった。
扉の向こうから現れたのは青年だった。深いブラウンの短髪を揺らしながら、部屋をぐるりと見渡した。ナギはまずい、と慌てて本に視線を戻しソファに身体を預けたが、すでにその足音はずんずんとこちらへ向かってきていた。
「探したぞ、ナギ!」




