第3話
少女が、ピンと背筋を伸ばして座っている。分厚い本をめくっては視線とともに指を滑らせ、印字された文字をするすると読み込んでいる。
年は十にも満たないくらいだろうか。絹のように細い色素の薄い髪が胸の辺りまで伸びている。
埃や傷一つないガラスのテーブルに本を乗せ、ガラスのスツールに腰をかけ、地面につま先だけついている足もまっすぐに揃えて行儀良く本を読んでいた。
図書室は百人以上が座れるテーブルやデスクが置いてあり、少女はその部屋の一番奥端の席にいた。廊下から見て最も遠いテーブルにいても、少女の美しさが分かるようだった。
シティにいる人間は例外なく美しい。男も女も、赤ん坊も。
透明感のあるきめ細やかな肌に、ガラスのような瞳。太陽の当たっていない肌は白く、髪の色は十人十色といえどその白い肌に馴染む色素の薄い者が多かった。
「選ばれた遺伝子さま」だとロクは言った。その言葉は崇拝するそれではなく、口元は歪んでいたが、その理由は知らない。
意図的に選ばれた遺伝子様たちは、その代償としてとても弱く脆かった。その儚さも含めて、カイは同じ人間とは思えずにいつも絵画を見るように廊下から全ての部屋を眺めて進んだ。
図書室のようなその部屋は数十人が思い思いに過ごしていて、その誰もが美しく、そして皆背筋を定規のようにぴんと伸ばし、静かに本に目線を這わせていた。
誰もカイのように猫背ではないし、テーブルの角に肘をついたりしない。
白く透明な空間と対比して自分のくすんだ革靴や、灰色になりつつある黒のズボン、カーキ色のジャケットが目立つことを最初の方は恥ずかしく情けなく感じたこともあったが、今は何も思わないし、部屋から視線をもらうこともあまりない。
カイはガラスの向こうをしげしげと眺め、それでも歩むスピードを緩めずに廊下を進んだ。
ポリーはずっと黙っている。シティに来るといつもこうだ。余計なことは喋らず、カイの後を静かについて来る。
以前聞いた時は、施設ではエコーが起動できなくなっていると言っていた。故に話すことは事務的で、最低限だ。それを聞いた時、ロボットはロボットでしかないのだな、と当たり前のことを思った。
長い廊下を進み、何度か曲がった後、一際重厚な扉の前でカイは足を止めた。
ドアの横に設置してあるスキャナーに顔を近づける。ピピ、と小さくなると、機械はカイの瞳孔を読み込みAccepted.と小さなモニターに表示した。重たそうなドアが開き、その奥の湾曲した小さな部屋に入ると、またドアが閉まり、カイとポリーは部屋ごと上昇した。
「毎回思うけど、このエレベーター遅いよなあ」
カイは独り言のように呟き、ポリーをチラリと見た。案の定「そうですね」とも「ピコピコピ」とも返事をしないポリーを見て、「いい子ぶっちゃって」と悪態をつく。
二人を乗せたエレベーターはゆっくりと透明な筒を通り上昇した。四階分ほど上昇すると吹き抜けた空間を一瞬だけ上から見下ろすことができた。その中心となる広場のような場所も、そこからつながる部屋も何もかも、どこもかしこも透明だったり白だったり、無機質な部屋が広がる。
数階分上昇するとすぐにその視界は遮断され、先ほどまでとは真逆の、古びた鉄のパイプやドアで覆われたフロアに着いた。エレベーターはそこで止まる。
カイとポリーは開いたドアから外へ出て、一際大きなドアの前でもう一度瞳孔を認証させると、大きな音を立てる機械だらけの部屋へと歩みを進めた。
頭上には数十台ものモニターが高い天井からぶら下がっている。その画面には何やら高速で数値を計算しているものや、リアルタイムで書き起こされているであろう会話文、何百とある部屋の映像、音や情報が飛び交い、音と音が広い空間の中でうねり、肩にのしかかってきた。カイは身体中にビリビリと電力のように音が走っていくのを感じて身震いする。
「うおっと!」
慌てて入り口まで戻り、壁にかけられた大きなヘッドホンを手に取り耳にかけた。音が遮断されたが、頭の中に一度入り込んだうねりはしばらく頭蓋骨を跳ね返り、脳の中を駆け巡り、大きな音を立て続けた。
「最悪だ、忘れてた」
ポリーはカイの方を振り向きもせず、モニターをじっと見上げていた。
「薄情者め」
カイは涙目になりながらポリーの横をすり抜け、肩から下げたショルダーバッグから何本ものガラス管を取り出して前に進んだ。
モニターには先ほどの少女も映っている。その横顔はやはり美しく、画面越しに見ることで先ほどよりも絵画に近く見えた。少女の横には「エリス/9/f」という文字がメモ書きのように映し出されていた。
カイは、ああ、もう九つになったか、とその情報を一瞥した後、取り出した管をモニターの下の機械に差し込んだ。機械には管がぴったりとはまる穴が何十とあいていて、その半分ほどが埋まっている。
減りが遅いな、とカイは機械を見て思った。
部屋の正面の一際大きなモニターを見上げ、Populationの横にある279という数字を確認する。先月来た時は、数字は295だったはずだった。
カイは機械の横にある小さなモニターをタッチした。populationの文字を選択し、画面の空白にWhy、と書き込む。
二、三秒ほど考える記号を表示してから、画面は「OUTLIER」と大きく表示した。




