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残光都市の第七調律師  作者: 夏野 葉
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第1話

崩れかけの高架下、剥き出したコンクリートを押し除けるように生えた雑草を軽い足取りで越える。空に響いていた陽気な旋律が、コンクリートに反射して上へ下へと跳ね返り、飛び跳ねて踊るように頭に響いた。


ポリーが自分の体に取り込んだ先ほどのレコードをかけている。少し鼻声が特徴的な女性の歌声が、日陰になった広い高架下で踊っていた。ポリーも歌声に釣られて腕を伸ばしたり閉じたり、頭を揺らしたりしながら器用に陥没したコンクリートを避けて進んでいる。


「そういえばカイ、今日の昼ごはんはなんですか?」

「シティから持ってきたヌードルがまだある」

カイは肩からずり落ちそうなずた袋を抱え直し、振り返らないまま後ろにいるポリーに返事をした。


「キャッ、また炭水化物と脂質ばかり摂って」

「なんだ?思春期女子のエコーでも書き込んだか」

「いいえ、これは54歳母親です。春から新生活を始めた息子の一人暮らしを案じたエコーですね」

ポリーは自身の腕の先に止まった蝶々をしげしげと眺めながら返す。


「いまいちイメージがつかないが」カイは苔むし、赤錆色になった廃車をちらりと見ながら続けた。「まあ母さんよ、できるだけガスと油を使いたくないんだよ。ヌードル続きもしょうがない」

「あんたが元気ならいいのよ」

「その返しがあるあるなのかもわからんぞ、俺は」


カイとポリーは傾いたビル群を横目に、まるでクリスマスツリーのように蔦がぶら下がった鉄塔を越えて、鉄筋コンクリートでできた五階建の建物までたどり着いた。

カイは1階の柵をひょいと越えてバルコニーに入ると、慣れた手つきで立てかけてある棒を掴み、バルコニーの天井を二、三度叩いた。金具が音を立て、銀色の梯子がゆっくりと降りてくる。

カイが非常階段を登る間、ポリーはぐぐっと三倍伸ばした手足を直接二階のバルコニーの柵に引っ掛け、自分の体を持ち上げた。


バルコニーから二人が侵入した部屋は蔦で覆われ錆びついた外見からは想像もつかないほど新品のような輝きを放っている。


カイは眩しいほどに白いキッチンへ向かい、戸棚から食べ物を物色し始め、ポリーは自身のへそのあたりから先ほどのレコードを取り出して壁際の大きな箱型の機械へと向かった。

ポリーが機械の前に立つと、箱型機械の上部からまるで引き出しのような薄い板が出てきて、ポリーはそこにレコードをそっと乗せる。機械はレコードを飲み込むようにすると、右上のディスプレイに「194」という数字を表示した。これまでカイが集めたレコードの数だ。


カイはガスコンロでお湯を沸かしてカップ麺の蓋を開けた。ポリーは部屋の隅まで車輪を走らせ、天井から垂れた何本もの線から一つを選び取ると、自身の背中に突き刺して眠った。それぞれの食事の時間だ。


カイはお湯を注ぎながら先ほどの箱型機械にプレイ、と言った。すぐに部屋中が音で満たされる。

麺を啜りながら、壁に映し出されたカレンダー を眺める。明日は月に一度のシティへ行く日だ。



多くの人々がこの巨大都市から消えてから、百五十年の時が過ぎた。消えた理由は知識としては知っている。

百五十年前、都市は強力な病原菌ウイルスによって支配された。感染すると致死率は85%にも上り、都市の人々は突然現れた謎のウイルスを解明する間もなく急激に減少していった。ものの一年半でインフラは崩壊し、人々の抵抗虚しく三百万人いた都市の人口はたったの千人にまで激減した。


そこで新しいシティを作ったんだよ、とロクは言っていた。もう何度も何度も聞かされた話だったが、一言一句忘れてはいけないため幼いカイはいつも初めて聞くみたいにじっと聞き入っていた。


「シティはウイルスからの隔離と、インフラを縮小させて最低限維持することと、種の保存を目的に作られた」

「シュノホゾン」幼いカイはロクの言ったことをなぞるように唱えた。

「ただ、完全なる維持というのは難しい。千が二千になったこともあったが、ここ数十年は三百までに減ったままだ」


反芻したロクの言葉を脳に染み渡らせるように、カイは目の前の麺をスープと一緒にごくりと飲み込んだ。

194番のレコードが奏でる百年以上前の女性の声は、しんと静まり返った窓の外と分断するように部屋の中にゆっくりと充満していく。



レコード以外に娯楽は特にない部屋だ。

数年前まではシティから保管用の書物データをダウンロードして持ってきたこともあったが、たいていの歴史や文化を理解したら飽きてしまって読むのをやめた。


ポリー曰く「暇すぎると人間は考えることをやめられなくなり発狂しいずれ死に至る」そうなので、運動がてら始めたのがレコード探しだった。

もう一九四枚目になったが、宝探しのようでまだ楽しめている。



「次はテレビなんかが良いですよ」

身体中に電気という名の食事を巡らせて満足げなポリーがいつにも増して饒舌に言った。


「昔はねえ、良かったんですよ。ビール片手に野球観戦しながら野次を飛ばしたりね。まあバラエティなんかもおすすめですが、環境や文化に左右される構成なので面白さがわからないかもしれません。ドラマや映画も、そうですねえ、未来のSFものなんかを見て答え合わせするのも面白いかもしれないですね。古い文明の人々が一生懸命考え抜いた未来、滑稽かもしれませんがその想像力は実に美しく」

「わかったわかった。もういいよ」


カイはうんざりした顔でポリーの話を遮り席を立った。

ポリーはまだ「途中からいじめだの体罰だのルッキズムに言及すべきでないだので厳しくなりましてね」「エンタメと実世界の境界線が曖昧になったからであり」などと講釈を垂れているが、それを無視してキッチンの引き出しからプラスチックの箱を取り出してダイニングテーブルに置いた。

この家の必要なものは全てキッチンの収納に収まる。


カイは箱から袋を手に取り、その口を開けて一本の注射器を取り出した。メモリのついたフラスコも何本も並べる。


「ああ、明日でしたね」

気づいたポリーがそばによってきて、テーブルに並んだ器具を手に取った。


「こういう定期的に管理することとかさ、ロボットの方が得意なはずだろう」

「はて」

「なぜお前は毎回俺が動くまで忘れてるんだよ」

カイは呆れながらグレーのシャツの袖を捲り上げて右腕を出した。


「ロク曰く、人間より人間らしいので」


ポリーはそう言い、カイの右腕に針を向けた。



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