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建国記異聞  作者: 奪胎院
第六部

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第三章:賢人たちの対話

ローマの喧騒が遠い夢のように感じられる穏やかな昼下がりだった。


私、ガイウス・ユリウス・レビルスは自邸の庭園にある東屋で、旧友たちとグラスを酌み交わしていた。


一人はガイウス・オッピウス。


かつてカエサル閣下の「静かなる戦争」をローマで実行し、その情報網で全てを操った影の実務家。


もう一人はルキウス・コルネリウス・バルブス。カエサル派の金庫番としてその経済戦争を支え続けた腹心。


我々は皆、全ての公職を退き、今はこうして若き後継者たちが紡ぐ新しい時代の物語を、遠くから静かに見守る立場だ。


庭には熟した葡萄の甘い香りが満ち、我々の間には長年の友だけが共有できる心地よい空気が流れていた。


その沈黙を破ったのはオッピウスだった。


彼は葡萄酒の入った杯を太陽にかざしながら、実に面白そうに口を開いた。


「マエケナス殿が流す噂と、そしてわしが書いたあの駄文のおかげで、今やローマでは偉大なるマルクス・アントニウス殿も、ただの『エジプトの魔女に誑かされた愚か者』扱いのようだ。全く見事な手腕だよ。あの若者は我々が教えたことを完璧に、そしてより狡猾に使いこなしておるわ」


その言葉には呆れと共に、教え子の成長を喜ぶような温かい響きがあった。


彼が最後の奉公として書き上げたあのパンフレットは、マエケナスが周到に準備した薪の山に投じられた最後の一本の松明だった。


ローマの世論という名の炎は今や天をも焦がす勢いで、アントニウスの名声を焼き尽くしている。


オッピウスの言葉に、バルブスがより実務的な視点から静かに頷いた。


「自ら破滅への道をあれほどの速度で突き進むとはな。東方の富と女王の色香は、それほどまでに人の目を眩ませるものか。彼はパルティア遠征の莫大な負債をエジプトの国庫で埋めるつもりのようだが、それはローマの属州を女王の私有財産として認めることと同義だ。ローマ市民がそれを許すはずもないというのに」


バルブスの言う通りだった。


アントニウスの行動は軍事的にも経済的にも、そして政治的にもあまりにも理を欠いていた。


彼はもはやローマの将軍としてではなく、女王の配偶者として物事を判断している。


その視線の先にローマの国益はもはや存在しないのだ。


私は二人の友の言葉を黙って聞いていた。


そしてグラスの中の葡萄酒をゆっくりと揺らしながら、この狂劇の本質について思考を巡らせていた。


これはアントニウス個人の悲劇ではない。


これはクレオパトラという、一人の聡明でしかし致命的な勘違いをした女王の悲劇なのだと。


私は静かに口を開いた。


「クレオパトラはカエサル閣下の個人的な恩寵を、ローマ全体の恩寵と勘違いした。それこそが彼女の悲劇の始まりだ」


私の言葉に、オッピウスとバルブスは黙って耳を傾けていた。


「カエサル閣下は確かに彼女を愛された。彼女の知性を、その美貌を、そしてその気高さを。だがそれはあくまでガイウス・ユリウス・カエサルという一人の男としての個人的な感情に過ぎない。閣下は一度たりとも彼女をローマの公式な伴侶として迎え入れようなどとはお考えにならなかった。なぜなら閣下は誰よりもローマの本質を理解しておられたからだ」


私は一度言葉を切り、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「このローマという国が東方のギリシャ風の女王を、その支配者として頭上に戴くことなど天地がひっくり返ってもあり得ない。ましてやその女王が産んだ子供をローマの王として認めることなど絶対にだ。ローマは王を憎むことで成り立ってきた共和国なのだからな。クレオパトラはカエサル閣下の愛を得たことでローマそのものを手に入れたと錯覚してしまった。彼女はカエサル閣下の偉大さを、そしてその背後にあるローマという国家の底知れない誇りの高さを、見誤ったのだ」


アントニウスはその女王の壮大な誤算に巻き込まれたに過ぎない。


いや、彼自身もまたその誤算を自らの野心のために利用しようとしたのだろう。その結果が今のあの無様な姿だ。


オッピウスが深いため息をついた。


「…結局、全ては閣下のご遺志の通りに進んでおるというわけか。回り道はしたがな」


「そうだ」

とバルブスが頷く。


「我らが若君は父君の失敗から完璧に学んでおられる。決して独裁者とはならずに共和制の伝統を尊重するふりをしながら、その実権を一つまた一つとその手に集めていく。見事なものよ」


私は二人の友の顔を見渡し、そして静かにグラスを掲げた。


「我々の役目は終わった。あとは若者たちが最後の戦いを終わらせるのを、見届けるだけだ」


かつて我々はカエサル閣下という絶対的な太陽の下でこのローマを動かしていた。


その太陽が失われた時、我々は絶望の淵にいた。


だが我々は、その遺志をまだか細い光でしかなかった三人の若者たちに託した。


アグリッパ殿の揺るぎなき武勇と誠実さ。


マエケナス殿の底知れぬ知謀と人心掌握術。


そしてオクタウィアヌス殿のカエサル閣下から受け継いだ冷徹な計算と、それを遥かに超える政治的な野心。


彼らは我々の期待を遥かに超えて成長してくれた。


我々が仕えた偉大なる主君の遺志が、遠い血塗られた回り道の末に、ついに成就されようとしている。


三人はもはや何も語らなかった。


ただ静かにグラスを合わせる。


カチンという涼やかな音が、穏やかな午後の静寂に響き渡った。


それは一つの時代の終わりと、そして新しい時代の始まりを祝福する、我々カエサルの遺臣たちの、静かなる確信の音だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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