第七章:第二次フィリッピの戦い
第一次フィリッピの戦いから、約三週間。
長く、そして張り詰めた膠着状態が続いた平原に、再び戦いの刻が訪れようとしていた。
互いに深い傷を負い、その痛みを骨の髄まで味わった二つの軍団が、今、カエサルの復讐という名の、最後の決着をつけるために、再び対峙したのだ。
俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは、再編されたオクタウィアヌス軍団の最前線に立ち、静かに、敵陣を見据えていた。
俺の隣には、病から回復し、その瞳に鋼のような光を取り戻した、友であり主君であるオクタウィアヌスが、同じく最前線に立って、その光景を見つめている。
俺たちの軍団の空気は、三週間前とは、全く異なっていた。
あの日の、主君を失うかもしれなかった恐怖と、陣営を奪われた屈辱は、もはやどこにもない。
代わりに、そこにあったのは、敗北の教訓から生まれた、冷徹なまでの静けさと、次なる勝利への、揺るぎない確信だった。
俺たちは、学んだのだ。あの手痛い敗北から。
俺は、ブルトゥス軍の、あの常軌を逸した突撃の恐ろしさを、その肌身に刻み込んだ。
そして、オクタウィアヌスは、自らの肉体の脆弱さという、最大の弱点と向き合った。
俺たちは、二人で、夜が更けるまで語り合い、俺たちの敗因を、徹底的に分析した。
そして、アントニウスの戦いからも、学んだ。
彼の、あの圧倒的な突破力。敵の弱点を嗅ぎつけ、躊躇なく全軍でその一点を食い破る、獣のような戦い方を。
今、俺の頭の中には、この戦場で勝利を掴むための、明確な「計算」があった。
それは、レビルス殿が教えてくれた、盤上の計算だけではない。この三週間の、血と屈辱の中から、俺自身が掴み取った、生きた戦術だった。
戦闘の火蓋は、前回と同じように、アントニウス軍の突撃によって切られた。
だが、今回は、俺たちも、それに完璧に呼応した。
「全軍、前へ!」
俺の号令一下、オクタウィアヌス軍団は、まるで一本の巨大な槍のように、ブルトゥス軍の中央へと、突き進んだ。
俺は、もう、守りには入らない。
前回のように、敵の攻撃を受け止めるのではなく、こちらから、その心臓部を、えぐり出す。
そして何より、俺たちの動きは、もはや単独のものではなかった。
右翼のアントニウス軍と、我々左翼のオクタウィアヌス軍は、まるで一つの生き物であるかのように、完璧に連携していた。
アントニウスが、その剛腕で敵の側面を殴りつけ、敵の陣形がわずかに揺らいだ、その一瞬。
俺たちは、その隙を、見逃さなかった。
「中央突破! あの丘の上にある、ブルトゥスの本営を、叩く!」
俺は、最前線で剣を振りかざし、叫んだ。
前回、俺たちは、ブルトゥス軍の、あの狂信的なまでの、本営への一点集中突撃の前に、敗北した。
ならば、今度は、俺たちが、同じことを、それ以上の精度と、冷徹さで、やり返すまでのこと。
指揮官としての、カッシウスを失った共和派軍は、もはや、かつての精強さを失っていた。
現実主義者であったカッシウスは、ブルトゥスの理想主義を、その卓越した軍略で、支えていた。
だが、その「計算」の頭脳を失った今、ブルトゥスの軍団は、ただの、統制を欠いた、理想主義者の集団に成り下がっていた。
彼らの動きは、勇敢だったが、あまりにも単調だった。
アントニウスの陽動に、面白いように釣り出され、その戦列は、無駄に伸びきっていく。
「今だ! 側面を突け!」
俺は、予備隊として控えていた部隊に、命令を下した。
身軽な装備で、驚異的な速度を誇るその部隊は、伸びきったブルトゥス軍の、がら空きの側面へと、鋭い刃のように、突き刺さった。
その一撃が、決定打となった。
側面を食い破られ、正面からは俺たちの歩兵戦列に突き崩され、ブルトゥス軍は、ついに総崩れとなった。
兵士たちは、武器を捨て、我先に、と敗走を始める。
もはや、彼らの心には、共和政を守るという、崇高な理想など、微塵も残ってはいなかった。
俺は、追い討ちをかける兵士たちを制止した。
「深追いはするな! まずは、捕虜を確保し、軍団を再編する!」
熱狂に身を任せず、常に、次の一手を計算する。
それこそが、俺が、あの敗北から学んだ、最大の教訓だった。
夕闇が、再び、フィリッピの平原を覆い始めた。
だが、三週間前の、あの重い沈黙は、そこにはなかった。
代わりにあったのは、カエサルの名を叫ぶ、兵士たちの、大地を揺るがすような、勝利の雄叫びだった。
俺は、その歓声の中心で、血に濡れた剣を握りしめながら、静かに、空を見上げていた。
カエサルの復讐は、今、その九合目まで、達した。
残るは、ただ一つ。敗走した、ブルトゥスの首だけだ。
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