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建国記異聞  作者: 奪胎院
第四部

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第五章:敗北の教訓

第一幕:カッシウスの最期

第一次フィリッピの戦いが、奇妙な痛み分けに終わった日の夕暮れ。


共和派軍の右翼、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスが陣取る丘の上は、混乱と絶望に包まれていた。


彼の軍団は、アントニウスの猛攻の前に、完膚なきまでに粉砕された。


兵士たちは散り散りになり、陣営は敵兵たちの略奪に晒されている。


冷徹な現実主義者であるカッシウスは、自軍の敗北を、即座に、そして正確に理解していた。


だが、彼はまだ、戦争全体の敗北を認めたわけではなかった。


左翼で戦っているはずの、ブルトゥスの軍団。


彼らが、オクタウィアヌスの若造の軍団を打ち破ってくれれば、まだ戦況を覆すことは可能だ。


「ティティニウス!」


カッシウスは、腹心の友の名を叫んだ。


「行ってくれ! 左翼のブルトゥス軍の状況を確認するのだ! 彼が勝利していれば、我々はまだ戦える!」


ティティニウスは、力強く頷くと、一頭の馬に飛び乗り、砂塵が舞う戦場へと駆け出していった。


カッシウスは、丘の上から、その背中を、祈るような思いで見送っていた。


数十分後、遠くの平原に、ティティニウスの姿が見えた。


だが、その周囲には、国籍不明の騎馬隊が、彼を取り囲むように集まってきている。


そして、彼らが馬から降り、ティティニウスを囲んで、歓声を上げているのが、遠目にも分かった。


(…捕らえられたか…!)


その光景を、カッシウスは、誤認した。


あれは、敵の騎馬隊だ。ティティニウスは、捕虜となったのだ。


そして、あの歓声は、俺の最後の希望が潰えたことを祝う、敵の勝利の雄叫びなのだ、と。


彼は、知らなかった。その騎馬隊が、ブルトゥス軍の勝利を知らせるために駆けつけた、味方であったことを。


そして、その歓声が、友の無事な帰還を喜ぶ、味方の歓喜の声であったことを。


戦場の砂塵と、夕暮れの赤い光が、真実を、あまりにも残酷な誤解へと歪めてしまったのだ。


「…全て、終わったか」


カッシウスは、ぽつりと、そう呟いた。


ブルトゥスも敗れ、ティティニウスも捕らえられた。


もはや、万策尽きた。


彼は、最後まで、冷徹な現実主義者だった。


共和政を守るという理想も、勝利の可能性が潰えた今、彼にとっては、もはや何の意味も持たなかった。


彼は、傍らに控えていた、解放奴隷のピーンダルスに向き直ると、静かに、しかし、一切の感情を排した声で、命じた。


「やれ、ピーンダルス。お前が、自由の身となる、最後の仕事だ」


主君の覚悟を悟ったピーンダルスは、涙を流しながらも、その命令に逆らうことはできなかった。


彼は、震える手で剣を抜き、主人の背後から、その心臓を、一突きにした。


ガイウス・カッシウス・ロンギヌス。


歴戦の勇将であり、カエサル暗殺のもう一人の首謀者。


そのあまりにも現実的な計算高さゆえに、自らの勝利を信じることができず、友軍の勝利を、敗北と誤認し、その生涯を、自ら閉じた。


共和派は、この日、その最も有能な軍事指導者を、永遠に失った。


その死が、彼らの運命に、決定的な影を落とすことになることを、まだ誰も知らなかった。


第二幕:二人の反省会

その夜。かろうじて再編された、我々オクタウィアヌス軍の陣営は、死んだような静けさに包まれていた。


陣営を失い、多くの仲間を失った兵士たちの間には、敗北の痛みが、重く、そして冷たく、のしかかっていた。


俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは、湿地帯から救出され、ようやく意識を取り戻した、オクタウィアヌスの天幕の中にいた。


彼は、まだ顔色も悪く、病み上がりの体には、この敗戦の報告は、あまりにも酷だっただろう。


だが、彼は、俺の報告を、ただ黙って、静かに聞いていた。


俺は、今日の戦いを、頭の中で、何度も反芻していた。


そして、認めざるを得ない、一つの結論に、達していた。


「…認めざるを得ない」


俺は、絞り出すように、言った。


「今の俺たちでは、アントニウス殿や、カッシウスのような、歴戦の将軍の強さには、まだ届かない」


俺の言葉に、オクタウィアヌスは、静かに、しかし、はっきりと頷いた。


その瞳には、敗北への感傷はなく、ただ、目の前の現実を、冷徹に見据える光だけが宿っていた。


「そうだ。だからこそ、学ばねばならない」


彼の声は、病み上がりとは思えないほど、力強かった。


「父上は、天才だった。彼は、戦場で、神のような閃きと、天賦の才で、勝利を掴んだ。だが、我々は違う。我々には、父上のような、天賦の才はない。ならば、我々は、戦いから学び、敵から学び、そして、自らの敗北から学び、成長しなければ、父上の後継者とは言えん」


彼は、俺に向き直った。


「アグリッパ。今日の、我々の敗因は、何だ?」


それは、尋問ではなかった。


友としての、そして、共にこの窮地を乗り越えるための、真摯な問いかけだった。


俺は、自分の考えを、一つずつ、言葉にしていった。


「…ブルトゥス軍の、あの常軌を逸した突撃。あれを、俺は、予測できなかった。彼らが、我々の戦列ではなく、ただ一点、お前の首だけを狙って、全軍で突撃してくるなど…。軍略の常識では、考えられない動きだった。俺は、敵の憎悪の強さを、完全に見誤っていた」


「そうだ」と、オクタウィアヌスは頷く。


「そして、私は、自らの肉体の脆弱さという、最大の弱点を、この最も重要な局面で、露呈してしまった。将軍が、戦場で指揮を執れない。それ以上の、敗因はない」


彼は、俺の目を見つめ返した。


「では、我々が、アントニウス殿から、学ぶべきことは?」


「…彼の、あの圧倒的な突破力。そして、敵の弱点を見抜く、嗅覚だ」


俺は、続けた。


「彼は、カッシウス軍の陣営が、丘の上にありながら、その防御が手薄であることを見抜き、躊躇なく、全軍で、その一点を食い破った。俺のように、戦列を維持しようとするのではなく、ただ、敵将の首を獲るためだけに、最短距離を、猪のように突き進んだ。あれが、本物の、戦場の支配者の戦い方だ」


「…そうか」


オクタウィアヌスは、何かを深く考えるように、目を閉じた。


俺たちは、夜が更けるまで、語り続けた。


俺たちの布陣の、どこに隙があったのか。ブルトゥスの兵士たちの、あの狂信的な熱は、どこから来たのか。


そして、アントニウスの勝利は、ただの幸運だったのか、それとも、必然だったのか。


それは、敗北の責任を、誰かに押し付け合うような、不毛な会話ではなかった。


手痛い初陣の敗北。


その全てを、次なる勝利への、血肉とするための、冷静で、そして徹底的な、分析だった。


俺たちの心から、敗北の痛みは、まだ消えていない。


だが、絶望は、なかった。


カエサル様は、天才だった。


だが、我々には、彼にはなかった、武器がある。


共に、敗北の痛みを分かち合い、そして、共に、そこから学び、成長することができる、友がいる。


俺たちは、この敗北から、必ず、立ち上がってみせる。


そして、次こそは、必ず、勝利を掴む。


その静かで、しかし燃えるような誓いが、俺と友の間に、確かに生まれていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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