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建国記異聞  作者: 奪胎院
第四部

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第二章:二つの陣営

第一幕:カエサルの遺産

紀元前42年初頭。南イタリアの港町ブルンディシウムは、今、ローマ世界の軍事力の全てが集結したかのような、途方もない熱気に包まれていた。


東方に陣取るブルトゥスとカッシウスを討伐するため、三頭政治軍の二十個軍団を超える兵士たちが、この地に集結し、出港の時を待っていたのだ。


俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは、自らが率いるオクタウィアヌス軍団の陣営を眺めながら、その壮観な光景に、改めて身の引き締まる思いでいた。


俺たちの軍団の中核を成すのは、カエサルの名を慕って集まった、百戦錬磨の退役兵たちだ。


彼ら一人一人が、生ける伝説であり、そのカエサルへの忠誠心は、もはや狂信と呼んでもいいほどに揺るぎない。


兵の質、その士気において、我々は決して敵に劣ってはいない。


そのことには、絶対の自信があった。


だが、俺の視線が、兵士たちを率いる将校団へと移った時、一抹の、しかし無視できない不安が、胸をよぎった。


俺をはじめ、オクタウィアヌスの下で軍団を率いる指揮官たちは、皆、若く、実戦経験も、その名声も、まだ乏しい。


かつてカエサルがガリアで率いていたような、ラビエヌスや、クラッススのような、その名を聞けば敵が震え上がるほどの、スター軍団長の名は、俺たちの陣営には、悲しいほどに少なかった。


その不安は、俺が、港の対岸に広がる、マルクス・アントニウスの陣営に目を向けた時、より一層、現実的な重みとなって、俺の肩にのしかかってきた。


アントニウスの陣営は、まさに、星々の集まりだった。


ガリア総督のルキウス・ムナティウス・プランキウス。


ヒスパニア総督のガイウス・アシニウス・ポッリオ。


かつてカエサルの下で戦い、その武勇をローマ中に轟かせた、名の知れた副官たちのほとんどが、アントニウスの下へと馳せ参じていたのだ。


それも、当然のことかもしれなかった。


オクタウィアヌスは、確かにカエサルの後継者だ。だが、アントニウスは、カエサルと共に執政官を務めた、同格の同僚であり、そして何よりも、カエサル軍最高の猛将だった。


戦場で勝利の栄光を掴みたいと願う、野心的な軍人たちが、血の繋がりという曖昧な大義よりも、アントニウスという、確固たる実績と武勇を持つ男を選ぶのは、むしろ自然なことだった。


俺は、認めざるを得なかった。


兵士一人一人の質では、我々は互角かもしれない。


だが、軍団を率いる指揮官の、その経験と実績、そして何よりも、戦場で勝利を掴み取ってきた回数という点においては、アントニウス派が、我々を圧倒的に上回っている。


この東方遠征、総司令官はアントニウスが務めることになるだろう。


俺とオクタウィアヌスは、その巨大な軍団の一部として、彼の指揮下で戦うことになる。


(…今は、それでいい)


俺は、自らに言い聞かせた。


今は、内輪で争っている場合ではない。


我々の目的は、ただ一つ。


カエサルの暗殺者たちを討ち、その復讐を果たすこと。


そのためならば、俺は、いかなる屈辱にも耐えよう。


そして、この戦場で、俺自身の力で、アントニウスの部下たちを超える実績を、この手で掴み取ってやる。


俺が、オクタウィアヌスの、そして新しいローマの、真の「剣」であることを、証明するために。


第二幕:共和派の結束

同じ頃、アドリア海の対岸、マケドニアの地に築かれた、共和派の陣営。


そこでは、東方世界の覇者となった、二人の男が、軍議の席で、激しく火花を散らしていた。


マルクス・ユニウス・ブルトゥス。

カエサル暗殺の首謀者であり、「共和国の守護者」として、多くの元老院議員たちの支持を集める、高潔な理想主義者。


そして、ガイウス・カッシウス・ロンギヌス。

歴戦の勇将であり、冷徹な現実主義者。


「…だから、言っているのだ、ブルトゥス!」

カッシウスが、苛立ちを隠そうともせずに、机に広げられた地図を叩いた。


「我々が、マケドニアの地で、敵を待ち構える必要はない! こちらから、アドリア海を渡り、イタリアに上陸するべきだ! 今のローマは、プロスクリプティオの恐怖によって、三頭政治への不満が渦巻いている。我々が解放軍として現れれば、多くの都市が、我々を支持するはずだ!」


それは、軍略家としては、極めて合理的で、そして大胆な作戦だった。


だが、ブルトゥスは、その提案に、静かに、しかし頑として、首を横に振った。


「ならん、カッシウス。我々の戦いは、侵略戦争ではない。ローマ市民同士が血を流す、新たな内乱を、我々から仕掛けるべきではないのだ」


「理想論を語っている場合か!」


カッシウスが、怒鳴り返す。


「敵は、すでに我々を『国家の敵』と断じ、大軍を率いて、こちらへ向かっているのだぞ! 我々が何もしなければ、このマケドニアが、第二のローマが、戦場となるだけだ! それでも、お前は、ローマ市民の血が流れないと、本気で言えるのか!」


「それでも、だ」


ブルトゥスの声は、静かだったが、その瞳には、決して揺らぐことのない、鋼のような意志が宿っていた。


「我々が剣を取ったのは、カエサルの独裁から、ローマの自由と共和政を守るためだったはずだ。その我々が、同じように、力でローマを支配しようとして、何になる? それでは、我々も、カエサルや、アントニウスたちと、同じ穴の貉に成り下がるだけだ。我々は、あくまで、自衛のために戦う。ローマの地を、これ以上、我々の手で汚すことは、断じてならん」


理想主義者と、現実主義者。


二人の主張は、どこまで行っても、平行線を辿るしかなかった。


だが、その激しい対立の根底には、決して交わることのない、しかし、同じ一つの源泉から発する、強い思いがあった。


カエサルを討った、という、共通の過去。


そして、共和政を守る、という、最後の理想。


二人は、互いに憎み合っているわけではない。


むしろ、その才能と覚悟を、誰よりも認め合っている。だからこそ、譲れないのだ。


やがて、カッシウスは、深い、深い溜息をつくと、椅子に深く、背中を預けた。

「……分かった。お前の言う通りにしよう、ブルトゥス」


その言葉は、諦めではなかった。


現実主義者である彼が、理想主義者であるブルトゥスを、この共和派軍団の、唯一無二の「象徴」として、立てることを選んだ、究極の決断だった。


「だが、一つだけ、約束しろ。この戦いが終わったら、お前が、新しいローマの、指導者となれ。俺のような現実主義者では、人はついてこん。ローマには、お前のような、汚れのない、高潔な理想が必要なのだ」


その言葉に、ブルトゥスは、何も答えなかった。


ただ、静かに、カッシウスの目を見つめ返し、そして、固く、頷いた。


水と油のように、決して交わることのなかった二つの才能が、今、カエサルの復讐という、巨大な脅威を前に、再び、一つに結束した。


彼らは、自らが信じる、最後のローマを守るため、その全ての命を、このマケドニアの地で、燃やし尽くす覚悟を決めたのだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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