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建国記異聞  作者: 奪胎院
第三部

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第八章:世代の交代

第一幕:最後の報告


紀元前43年の暮れ。


ローマは、プロスクリプティオという名の、冷たい嵐に凍てついていた。


街には、恐怖と不信が蔓延し、かつての活気は見る影もない。


俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは、日に日に増えていく処刑者のリストと、没収された財産の報告書を処理しながら、この粛清がもたらす痛みに、心を蝕まれそうになっていた。


そんなある夜、俺とオクタウィアヌス、マエケナスの三人は、レビルス殿からの密かな呼び出しに応じ、この密会のためだけに用意された、エスクィリヌスの丘に立つ静かな邸宅を訪れた。


そこには、レビルス殿だけでなく、オッピウス殿とバルブス殿も、静かに俺たちを待っていた。


部屋の空気は、張り詰めていた。


窓の外で吹き荒れる粛清の嵐とは対照的に、室内は墓の中のような静寂に支配されている。


やがて、レビルス殿が、一枚の羊皮紙を広げた。


それは、ボノニアで決定された、三頭政治の権力分割と、粛清リストの概要を記したものだった。


彼は、その非情な内容を、何の感情も込めずに、ただ淡々と報告し始めた。


「…以上が、ボノニアで決定された全てです。アントニウスとレピドゥスとの力関係は、当面、この均衡が保たれるでしょう。そして、プロスクリプティオによって得られた資金は、東方のブルトゥスたちを討伐するための、最初の軍資金となります」


その報告を聞きながら、俺とマエケナスは言葉を失っていた。


頭では理解している。


これが、ローマを再建するための、必要悪なのだと。


だが、そのために流される血の多さ、その冷徹な計算は、俺たちの心を、重く圧し潰すには十分すぎた。


報告を終えたレビルス殿は、静かに羊皮紙を巻くと、オクタウィアヌスを見つめて、告げた。


「私の役目は、ここまでです。これより先、軍と政治の表舞台からは、降りさせてもらう」


その言葉に、俺ははっとした。


続いて、オッピウス殿とバルブス殿も、静かに頷いた。


「我々の仕事も、終わった」と、オッピウス殿が言った。


「カエサル閣下の遺志は、若き後継者の手に確かに渡された。これ以上、我々が陰から手を貸す必要もあるまい」


三人の巨人が、同時に、その役目を終えることを宣言したのだ。


俺たちの足元が、ぐらりと揺らぐような、途方もない喪失感が、胸に広がった。


第二幕:未来への遺言

レビルス殿たちは、狼狽する俺たちを、穏やかな目で見つめていた。


「もちろん、助言を求められれば、いつでも力を貸そう。我々は、死ぬまで、君たちの友人であり、後見人だ。これからのローマは、君たちの手で、作り上げてほしい」


レビルス殿は、そう言うと、まず俺に向き直った。


「アグリッパ殿。あなたは、オクタウィアヌス殿の『剣』だ。その力は、彼の政治を支える、最大の軍事力となるだろう。だが、決して力に溺れるな。その剣は、常に、ローマ市民を守るためのものでなければならない。そして、時には、友の過ちを諫める、最後の盾であれ」


俺は、その言葉の重みに、ただ深く、頭を下げることしかできなかった。


続いて、バルブス殿が、マエケナスを見た。


カエサル派の金庫番として、金と人の心の流れを知り尽くした男が、その後継者に語りかける。


「マエケナス殿。あなたは、彼の『知恵』だ。人心を読み、金の流れを制する、その才能は、見事なものだ。だが、決して人を駒として見るな。人の心には、計算では測れない、熱がある。その熱を、新しいローマを築くための、温かい光として使うのだ」


マエケナスもまた、静かに、そして真摯に、その言葉を受け止めていた。


最後に、オッピウス殿が、若き執政官、オクタウィアヌスを見つめた。


影の実務家として、ローマの裏も表も知り尽くした男が、最後の言葉を贈る。


「オクタウィアヌス殿。あなたは、新しいローマを築くために必要なもの、その全てを、すでにその手に持っておられる。あとは、それを、正しく使うだけだ。決して、道を見誤ることのないように」


その言葉は、まるで父親が息子に語りかけるような、厳しくも、温かい響きを持っていた。


オクタウィアヌスは、静かに立ち上がると、三人の前に進み出て、深く、深く、頭を下げた。


「あなた方がいなければ、今の私はありません。この御恩は、生涯、忘れることはありません」


そして、彼は、顔を上げた。


その瞳には、もはや若者らしい不安はなく、ローマの全てを背負う、支配者としての、揺るぎない覚悟が宿っていた。


「お約束します。私は、あなた方が、そして父カエサルが夢見た、新しいローマを、必ずやこの手で築き上げます。この百年にわたる内乱の時代を、完全に終わらせ、ローマに、真の平和をもたらすことを」


その誓いは、旧世代から新世代への、完全な世代交代が、この瞬間、果たされたことを、何よりも雄弁に物語っていた。



第三幕:旧世代の退場

会談は、終わった。


レビルス殿、オッピウス殿、バルブス殿は、俺たちの見送りの申し出を、静かに断った。


そして、誰にも見送られることなく、一人、また一人と、夜の闇の中へと、静かに姿を消していった。


それは、一つの時代の、完全な終わりだった。


カエサルと共にローマを動かし、その死後も、影からこの国を支え続けた、偉大なる旧世代の巨人たちは、その全ての役割を終え、歴史の舞台から、完全に退場したのだ。


広大な邸宅に残されたのは、俺と、オクタウィアヌス、そしてマエケナスの三人だけだった。


先ほどまでの、歴史の重みが嘘のように、室内は静まり返っている。


だが、その静寂は、俺たちにとって、これまでに感じたことのないほどの、重圧を伴うものだった。


俺たちは、ただの後見人を失ったのではない。


師を、そして道標を、同時に失ったのだ。


これから先には、もはや誰の助言もない。自分たちの判断だけが、ローマの未来を左右する。


「…重いな」


オクタウィアヌスが、ぽつりと呟いた。


「ああ、重い」と、俺は答えた。


「まるで、このローマの全てを、三人で背負い込んだかのようだ」


そうだ。


俺たちが作り上げてしまった、この新しいローマ。


プロスクリプティオの血で汚れ、市民の恐怖の上に成り立つ、この歪な国家の重みを、俺たちは、三人だけで、背負っていかねばならないのだ。


だが、俺たちの心は、折れてはいなかった。


旧世代は、去った。


だが、彼らが遺してくれた、道標は、確かに俺たちの胸に刻まれている。


オクタウィアヌスの「政治」で国を導き、俺の「剣」で国を守り、マエケナスの「知略」で国を富ませる。


これから始まるのは、本当の意味での、俺たちの戦いだ。


俺たちは、言葉を交わすことなく、ただ静かに、互いの瞳の中にある、同じ覚悟の光を見つめ合っていた。


旧世代の退場によって、ローマの夜は、一度、完全に闇に包まれた。


だが、その闇の向こうから、三つの新しい星が、確かに輝き始めようとしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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