第五章:若き執政官
第一幕:十九歳の執政官
紀元前43年8月19日。
ローマの歴史が、そして俺たちの運命が、決定的に変わった日。
俺の無二の友、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスは、その日、十九歳の誕生日を迎えると同時に、ローマ市民の圧倒的な支持と、何よりも彼が率いる八個軍団の無言の圧力を背景にした選挙で、ローマ共和国の正規の執政官に就任した。
史上最年少の執政官の誕生だった。
フォルム・ロマヌムの演壇に立ち、執政官の証である象牙の椅子に座る友の姿を、俺は、護衛として、そして一人の友人として、すぐ傍らから見つめていた。
純白のトーガをまとったその姿は、まだ若く、華奢でさえある。
だが、彼が発する言葉、その瞳に宿る光には、もはやアポロニアの一学生の面影はなく、ローマの全責任をその一身に背負う、最高官職者としての揺るぎない威厳が満ちていた。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。誇らしかった。
父カエサルの死の報せを聞き、アポロニアの宿舎で二人、途方に暮れていた、あの日から、まだ一年半も経っていない。
その彼が、今や、父がかつて立ったのと同じ、ローマの権力の頂点にいる。
その道のりが、いかに険しく、そして彼の決断が、いかに孤独なものであったか。俺は、誰よりも知っているつもりだ。
だが、その誇りと同時に、俺の心には、一抹の、しかし拭いがたい不安が広がっていた。
執政官。
それは、平時においてはローマ最高の栄誉だが、この内乱の時代においては、あまりにも危険で、重すぎる責務だ。
西にはアントニウスとレピドゥスが、東にはブルトゥスとカッシウスがいる。
友は、その若すぎる肩に、分裂したローマ世界の全てを背負い込み、巨大な敵と対峙せねばならないのだ。
その重圧に、彼は耐えられるのだろうか。
演壇から降りてきたオクタウィアヌスの顔には、民衆の前で見せていたような高揚はなく、年齢不相応なほどの、深い疲労の色が浮かんでいた。
俺は、ただ無言で、彼の隣に並んで歩いた。
かけるべき言葉は、見つからなかった。
俺にできることは、ただ一つ。彼の「剣」として、彼が進む道を阻む全ての敵を、斬り伏せることだけだ。
第二幕:最後の評定
執政官就任の喧騒がようやく落ち着いた数日後の夜。
俺は、オクタウィアヌス、マエケナスと共に、三人の後見人たちを、パラティヌスの丘の邸宅に密かに招集した。
レビルス殿、オッピウス殿、そしてバルブス殿。
この旧世代の巨人たちの支援なくして、今日の俺たちはなかった。
まずオクタウィアヌスは、三人の前に進み出ると、何の躊躇いもなく、深々と頭を下げた。
「レビルス殿、オッピウス殿、バルブス殿。今日まで、我々若輩者を導き、支えてくださったこと、心より感謝いたします。あなた方がいなければ、私は、このローマの地に立つことすら、叶わなかったでしょう」
その真摯な感謝の言葉を、俺はすぐ隣で、同じ思いで聞いていた。
そして、オクタウィアヌスは、執政官として、彼が為すべき最初の計画を、自らの口から語り始めた。
「第一に、父カエサル暗殺犯たちを、正式に『国家の敵』として断罪する法案を、成立させます」
ペディウス法。
その言葉に、俺の心は奮い立った。
そうだ、それこそが、我々が立つべき大義の第一歩だ。
だが、その沈黙を破ったのは、オッピウス殿だった。
彼は、静かに、しかしその瞳の奥に、強い懸念を込めて、オクタウィアヌスに口を挟んだ。
「若君、その法は慎重に扱っていただきたい。我々は、かつてスッラのプロスクリプティオ(粛清)が、このローマに残した深い傷を知っております。そして、カエサル閣下が、その『寛容』をもって、その傷を癒そうとされたことも。その法が、第二の粛清の始まりとならぬよう…」
オッピウス殿の真摯な眼差しは、俺の熱くなった頭に、冷水を浴びせるようだった。そうだ、憎しみの連鎖は、新たな内乱を生むだけだ。
だが、オクタウィアヌスは、その懸念を、真っ直ぐに受け止めた。
「ご懸念はもっともです。ですが、これは粛清ではない。父カエサルの暗殺に関与した者たちを、法の下で洗い出すだけ。約束します。この法律は今回限り。二度と使うことはない」
その声には、一切の迷いも、欺瞞もなかった。
俺は、友の覚悟の深さを、改めて思い知った。
彼は、父カエサルの寛容さという名の過ちも、スッラの恐怖政治という名の過ちも、その両方を乗り越えようとしているのだ。
そして、オクタウィアヌスは、第二の、そして、俺の思考を完全に停止させるほどの、衝撃的な計画を告げた。
「暗殺者たちを討つため、私は、マルクス・アントニウス、そしてマルクス・アエミリウス・レピドゥスと、手を組みます」
「……なんだと?」
俺は、思わず声を上げていた。
アントニウスだと? ムティナで、我々が血を流して戦った、あの男と? レピドゥス? アントニウスと結託し、我々と敵対した、あの男と? 正気か?
俺が混乱しているのを尻目に、オクタウィアヌスは続けた。
「かつての父上がポンペイウス、クラッススと手を結んだように、我々三人で国家の全権を担う、新たな体制を築きます。それ以外に、この分裂したローマをまとめ、ブルトゥスたちを討伐する方法はありません」
俺には、理解できなかった。憎むべき敵と手を組むなど、軍人としての俺の誇りが許さない。
それは、裏切りではないのか。
だが、旧世代の三人は、違った。彼らは、そのあまりに大胆な構想が、この混沌とした状況を打開するための、最も合理的で、そして最も成功の確率が高い唯一の道であることを、瞬時に理解したのだ。
やがて、レビルス殿が、静かに頷いた。
そして、三人を代表して、オクタウィアヌスに告げた。
「…素晴らしいご決断です。アントニウスと手を結び、その力をもって、真の国家の敵である暗殺者たちを討つ。それこそが、このローマを統一するための、最も確実で、最良の手段でしょう」
その言葉は、彼の決断への、完全な肯定だった。
そして、レビルス殿は続けた。
「その第二次三頭政治が成立する、その日まで、我々は全力を尽くしましょう。その後のローマは、君たちの手にある」
俺は、呆然と、その光景を見つめていた。
友は、俺が考えているよりも、遥かに先の、冷徹で、そして孤独な高みから、このローマの未来を見据えている。
その背中に、俺は、武人としての自分がいかに未熟であるかを、痛感させられていた。
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