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建国記異聞  作者: 奪胎院
第三部

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第三章:二つのローマ

第一幕:ムティナの決断

元老院からの侮辱的な指令書がもたらされて以来、我々の陣営は、沸騰した鍋のように、兵士たちの怒りで満ちていた。


彼らは、自らの命を懸けて得た勝利が、父カエサルの暗殺犯を称賛するためだけに利用されたことに、我慢がならなかったのだ。


その怒りの矛先は、元老院だけでなく、沈黙を守る我々の司令部にも向けられ始めていた。


その日、事件は起きた。


数百の百人隊長たちが、何の予告もなく、オクタウィアヌスの天幕の前に集結したのだ。


彼らの顔には、主君への忠誠心と、それを上回るほどの、元老院への抑えきれない怒りが浮かんでいた。


その代表である、歴戦の古参兵が、一歩前に進み出た。


「オクタウィアヌス様! 我々は、これ以上の侮辱には耐えられません! 我々の血と汗の功績を認めず、あまつさえカエサル閣下の暗殺犯に我々を売り渡そうとする元老院に、我々はもはや従うことはできません!」


その声に呼応するように、他の百人隊長たちも口々に叫び始めた。


「そうだ! 我々が忠誠を誓うのは、元老院ではない! カエサルの後継者である、あなた様だけだ!」


「我々に、正当な報酬を! そして、あなた様に、正当な地位を!」


そして、ついに彼らの要求は、一つの言葉となって、我々に突きつけられた。


「オクタウィアヌス様! 我々を率いて、ローマへお戻りください! そして、空席となった執政官の座に、あなた様が就任されるべきです!」


執政官。


ローマの最高官職。


十八歳の若者が、その座に就くなど、前代未聞だ。


だが、兵士たちの瞳は、本気だった。彼らは、自分たちの手で、正当な主君を、国家の最高位に押し上げようとしているのだ。


その夜、司令部の天幕で、緊急の軍議が開かれた。


俺、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパは、兵士たちの熱狂を肌で感じながらも、軍が政治に直接介入することの危険性を、軍人として理解していた。


それは、新たな内乱の引き金になりかねない、危険な賭けだ。


だが、その重い空気を破ったのは、レビルス殿の、静かで、しかし確信に満ちた声だった。


「…この状況は、我々にとって、最大の好機です」


彼は、広げられた地図を見つめながら、冷静に分析を始めた。


「兵士たちのこの要求は、彼らの純粋な怒りから生まれたもの。我々が扇動したものではない。だからこそ、これは、我々が元老院と交渉するための、最大の武器になるのです。軍団そのものが、あなたを執政官として望んでいる。この事実を突きつけられて、元老院に、拒否する力があるかどうか」


その言葉に、俺ははっとした。


そうだ、これは脅迫ではない。軍団という、ローマ最強の組織が示した、一つの「民意」なのだ。


オクタウィアヌスは、レビルス殿の分析を、静かに聞いていた。


そして、彼は、ゆっくりと顔を上げると、俺に向かって言った。


「アグリッパ。君はどう思う?」


俺は、迷わなかった。兵士たちのあの熱い瞳、そしてレビルス殿の冷徹な計算。


その二つが、俺に進むべき道を示してくれていた。


「兵士たちの要求を、受け入れるべきだ。彼らの怒りは、もはや誰にも止められない。ならば、その怒りを、我々がローマの未来を切り拓くための力へと変えるべきだ」


俺の答えに、オクタウィアヌスは、静かに、そして力強く頷いた。


「決まったな」


翌日、我々は、兵士たちの要求を受け入れることを公式に発表した。


そして、その要求を元老院に突きつけるための代表団として、四百名の百人隊長を選抜。


彼らは、ローマの軍団の総意を背負い、一路、首都ローマへと向かった。


第二幕:ローマの計算

ムティナから派遣された、四百名の百人隊長たち。


彼らが、戦闘装備のままローマの元老院の議場に姿を現した時、その衝撃は、まるで地震のように、首都全体を揺るがした。


私、ガイウス・マエケナスは、オッピウス殿、バルブス殿と共に、その衝撃の中心地からほど近い場所で、冷静に状況を観察していた。


議場からは、キケロをはじめとする元老院議員たちの、怒号と罵声が漏れ聞こえてくる。


軍からの、それも百人隊長という現場の兵士からの、直接的な政治的要求。


それは、彼らの誇りを、これ以上ないほどに傷つけたのだろう。


彼らは激怒し、オクタウィアヌスを国家の敵として断罪するべきだと叫んでいた。


だが、その怒声は、どこか空虚に響いていた。


彼らは、怒鳴り散らすことしかできないのだ。


自分たちの怒りを実行するための、剣も、槍も、ただの一兵卒さえも、彼らの手元には、もはや存在しないのだから。


その現実に、彼らは狼狽し、恐怖していた。


「……予想通りですな」


オッピウス殿が、長年の経験に裏打ちされた、確信に満ちた声で呟いた。


「元老院は、もはや張り子の虎に過ぎない。彼らには、権威という名の衣があるだけだ。その衣を剥ぎ取る、少しばかりの力さえあれば、崩れ落ちるのは時間の問題でしょう」


隣で、バルブス殿も静かに頷いていた。


カエサル派の金庫番である彼は、金の流れから、人心の動きを読んでいた。


「ローマの富裕層も、動きません。彼らが最も恐れるのは、内乱の再燃による、資産の喪失です。アントニウスとの戦いが終わった今、彼らは、オクタウィアヌス様がもたらすであろう『秩序』を、むしろ歓迎するでしょう。彼に抵抗して、再びローマを戦火に巻き込むような愚は犯しません」


軍事力はなく、富裕層からの支持もない。


元老院は、完全に孤立していた。


私は、二人の老練な実務家の分析を、頭の中で一つにまとめた。


盤面は、完全に整った。あとは、王手をかけるだけだ。


私は、急いで筆を走らせた。


ムティナで、最後の決断を待つ、我が主君へ送るための、短い急使の文面だ。


それは、簡潔で、そして一切の迷いのない、勝利の宣言でなければならない。


「ローマへ進軍を。抵抗勢力は、もはや存在しません」

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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