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建国記異聞  作者: 奪胎院
第二部

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第十章:ムティナの戦い

第一幕:盤上の駒


決戦を目前に控えた、紀元前43年4月の夜。


元老院連合軍の後方司令部に設えられた天幕の中は、張り詰めた静寂に支配されていた。


若き主君オクタウィアヌスと、その無二の友アグリッパは、広げられた北イタリアの地図を前に、カエサル最高の「頭脳」、レビルスと向き合っていた。


レビルスは、最終的な作戦計画を告げるため、地図上の駒を一つ、また一つと、冷徹なまでに正確な指運びで動かしていく。


それは、これから始まる戦いの未来を、寸分の狂いもなく描き出す、予言の儀式のようでもあった。


最後に彼が動かしたのは、執政官ヒルティウスとパンサが率いる元老院軍の駒だった。


彼は、その二つの駒を、一見すると安全だが、アントニウスが最も攻撃しやすい経路の一つに、ためらうことなく配置した。


それは、アントニウスという猛獣を誘い込むための、あまりにも見え透いた「餌」だった。


その冷徹なまでの駒の配置を、オクタウィアヌスは静かな、しかし鋭い視線で見つめていた。やがて彼は、静かに口を開く。


「レビルス殿。この布陣では、アントニウスを完全に殲滅することはできないのではないか? 父カエサルであれば、全てを賭けてでも敵を一撃で粉砕するはずだ」


その問いは、偉大すぎる義父の幻影を追う若者の、純粋な疑問だった。


カエサルの戦いは、常に電光石火。


敵の意表を突き、一点突破で勝利をもぎ取る、英雄的な博打でもあった。


だが、レビルスが示した盤上は、それとはあまりにも対照的だった。


確実ではあるが、決定的な一撃を欠いている。


その問いに、レビルスは穏やかに、しかしはっきりと答えた。


「おっしゃる通りです。ですが、それはカエサル閣下には『時間』がなかったからです」


彼の言葉に、オクタウィアヌスとアグリッパは、はっとしたように顔を上げた。


「閣下は常に、危険を承知で短期間に最大限の効果を出す必要があった。ガリアでも、内乱でも、彼には敵を完全に屈服させ、ローマを安定させるための絶対的な『時間』がなかった。しかし、オクタウィアヌス殿、あなた方には『時間』がある」


レビルスは、二人の若者の顔を、一人ずつ見つめながら続けた。


「リスクを極限まで排し、確実に勝つための戦いができる。アントニウスをここで殲滅する必要はありません。彼を打ち破り、執政官の軍団を消耗させ、そして我々の軍団が無傷で残ること。それこそが、この戦いにおける、我々の真の勝利条件なのです。あなたが、カエサル様のような危険な戦いをする必要はない」


その言葉は、オクタウィアヌスの心に深く染み渡った。


そうだ、自分は父ではない。自分には、自分の戦い方がある。


父が遺してくれたこの「時間」という最大の武器を、最大限に利用するのだ。


第二幕:ムティナの戦い

翌日、戦いの火蓋は切られた。


全ては、レビルスが描いた盤上の通りに進んだ。


執政官パンサの軍団が、アントニウス軍の先鋒と激突。


続いて、ヒルティウスの軍団も戦闘に加わり、ムティナ近郊の平原は、二つのローマ軍団が相争う、凄惨な戦場と化した。


その激戦の側面で、オクタウィアヌスとアグリッパの軍団は、まるで一つの生き物であるかのように、完璧な連携を見せていた。


アグリッパが率いる部隊が、アントニウス軍の側面に陽動を仕掛け、敵の予備隊を釣り出す。


その隙を突き、オクタウィアヌスが指揮する歩兵戦列が、敵の伸びきった戦線を分断し、孤立させる。


彼らの動きには、一切の無駄がなかった。


アグリッパの「剣」が敵を切り裂き、オクタウィアヌスの「盾」が味方を守る。


二人の若き獅子は、レビルスから授けられた「計算」という名の戦術を、天賦の才で見事に戦場で体現し、アントニウス軍を翻弄していく。


それは、新しい時代の到来を告げる、鮮烈な協奏曲のようでもあった。


第三幕:見えざる敵

「どうなっている! なぜ、側面が崩されている! 予備隊は何をしているか!」


マルクス・アントニウスは、自陣の本営で、怒号を張り上げていた。


歴戦の猛将である彼にとって、目の前で起きていることは、信じがたい光景だった。


自軍は、兵の質においても、数においても、決して敵に劣ってはいない。


それなのに、まるで巨大な蜘蛛の巣に絡め取られたかのように、思うように動けず、各個撃破されていく。


執政官たちの動きは、凡庸で読みやすい。


だが、あの小僧、オクタウィアヌスの軍団の動きだけが、異常だった。


若造が率いる素人集団のものとは到底思えない。


まるで、戦場の全てを見通しているかのように、こちらの動きを常に半歩先読みし、最も痛い箇所を的確に突いてくる。


全てが、恐ろしいほどに計算され尽くしている。


その時、アントニウスの脳裏に、雷に打たれたかのような衝撃が走った。


この戦術、この思考、この冷徹さ。


かつてカエサルの下で、何度もその『計算』を目の当たりにしてきた、ある男の影が、はっきりと見えた。


「……レビルス…!」


アントニウスは、忌々しげに毒づいた。


「あの計算屋、あの小僧についたか!」


彼は、ついに気づいたのだ。


自分が戦っている相手が、オクタウィアヌスという若者だけではないことを。


その背後には、カエサル最高の「頭脳」がいて、この戦場の全てを支配しているのだということを。


その事実は、彼の猛将としてのプライドを、深く、そして容赦なく傷つけた。


第四幕:二人の執政官の死

アントニウスの陣営が、レビルスの見えざる戦術によって混乱に陥った、その隙を、執政官ヒルティウスは見逃さなかった。


彼は、これを好機と判断し、手勢を率いて敵の本営めがけて総突撃を敢行する。


その突撃は勇敢だったが、あまりにも無謀だった。


彼は、乱戦の中で敵兵の槍に貫かれ、その場で命を落とす。


ほぼ時を同じくして、先の戦闘で深手を負っていた、もう一人の執政官パンサも、陣中で息を引き取った。


二人の執政官が相次いで戦死したことで、元老院の軍事力は、事実上壊滅した。戦いは、オクタウィアヌス軍の決定的な勝利に終わった。


だが、それは同時に、ローマの権力構造が、根底から覆った瞬間でもあった。


元老院が、アントニウスを討つための「猟犬」として利用したはずの若者は、今や、ローマ最強の軍団を無傷で保持する、唯一の指揮権保持者となった。


元老院の計算は、彼ら自身の首を絞める、最悪の結果を招いたのだ。


ムティナの戦場で、ローマ共和国は、その最後の牙を、自らの手でへし折ってしまったのである。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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