第3話 想起
次の日、クルスは格納庫で換装される機体を眺めていた。作業はほとんどオートメーション化されている。顧客は必要なカスタマイズの内訳をフォームに設定して送信するだけだ。後はドローンたちが勝手に働いてくれる。ここに人の手は必要なかった。朝になって目が覚めると小人たちが靴を完成させているようなものだ。
予想される機体スペックは組み立て前に算出されている。クルスが格納庫でドローンたちの仕事ぶりに目を光らす必要も本当は意味がなかった。何せ人間と違って手を抜くことはないのだから。変化の少ない工程に次第に飽き始めたクルスは床に座り込んでヴァレリアから借りた旧文明のアーカイブを読んでいた。
アーカイブは様々な示唆に富んでいた。同世代の少年少女は学校という施設に集められる。そこで大人になるための知識と経験を得るのだ。多くの子供が集まれば摩擦が起こるのもまた自明の理だ。人間関係から発生する問題は百年経とうがまだ解決していない。アーカイブにはそれらの状況を乗り越えるための方法が書かれていた。
『空気』を読む力。他人が何かをしようとした時に機先を制して状況を悪化させない能力だ。相手の言葉が場を決定的に変えてしまう前に別の話題にすり替えたり、わざと聞き逃して気をそらしたり、話す雰囲気を壊したりする。どこか格闘技の試合に似ている。必殺の一撃は発現しなければ、すでに脅威ではない。小手先の技と言われればそれまでだが、流れを作ることもまた戦いの一部だった。
ただし、これは決定的な解決にはならないだろう。モラトリアム期間を伸ばすだけの効果でしかない。それでもその僅かな時間が少年少女たちにとって、宝石のひと欠片に等しい貴重な時間であることはクルスにも理解できた。
「随分、熱心に読んでいるのね。そんなに面白かった?」
投げかけられた声に驚いたクルスは顔を上げる。誰かが近づくような気配は感じなかった。身をかがめてホロディスプレイをのぞき込むヴァレリアと目が合う。今日は出撃のない休日のせいか軍指定の制服を着ていた。前のボタンを首元まで閉じた服装に隙はないが、スカートの裾から伸びる太ももが目の前でちらついて落ち着かない。
「なかなかためになったよ。これは未来に受け継ぐべきデータだね」
「そうでしょう。杏里が郁人に告白するシーンなんて胸がドキドキしっぱなしだったわ」
満たされたような表情のヴァレリアは胸の前で手を組んだ。彼女の視点はクルスと異なっている。彼は他に想い人がいる郁人が杏里を傷つけずにあの状況を切り抜けるため、どのような手段に訴えるのかわくわくしながら読んでいたからだ。
「そうだね、郁人が何て答えるか気になった」
「でしょう。これまで積み重ねてきた関係があるからこそ、杏里が輝くのよね」
「美緒の存在がこの先の展開にどう影響するかな」
「あんなぽっと出の割り込み女に郁人が惹かれるはずがない」
ヴァレリアの瞳が剣呑な光を帯びた。苛立ちを隠そうともしない声色。彼女とは昨日からの付き合いになるが、わかり易いほど直情的だ。幼馴染の杏里と転校生の美緒では前者に肩入れするのも無理はなかった。クルスが郁人のようになれるかどうかはともかくとして。
「物語の結末がわからないのが残念だね」
「アーカイブなんてみんなそんなものよ。途中の話が欠落して憎み合っていた二人がいきなり結婚していないだけ、この作品はマシだけど」
旧文明のアーカイブは遺棄された都市の瓦礫の中から見つかる。年月の経過によって朽ちた記憶媒体から生きているデータをサルベージするだけでも困難な作業だが、完全な状態を再現することは奇跡に近いのだ。この時代の人間に新たなコンテンツを生み出すような余裕はない。発掘されたデータは高値で売買され、人々の間に流通していた。
「それはそうと自分の機体を購入したんだ」
「随分と迷っていたけど結局、何を選んだの?」
「アジムだよ。セット価格でちょうど2000万クレジット」
「クルスって堅実だよね。まあ最初は慎重過ぎるぐらいでいいか」
クルスの選択を知れば、ヴァレリアはそんな物足りないような感想を抱かなかっただろう。ある部分で彼はブレーキの壊れた車のようなものだった。それが記憶の欠落によるものなのか、元から持っていた性質なのかは本人にもわからない。
「武器は近接系にしようと思うのだけど、どうかな?」
「アジムで近接?! 敵に近寄る前に落とされちゃうわ」
「自殺行為かな」
「リーチはそれだけで武器になるんだから、せめてハンドガンぐらいは持ちなさいよ」
「スナイパーライフルは?」
「あれ一発いくらするか知ってる? 10万クレジットだよ。もう少し慣れてからね」
近接武器であれば、弾薬分の経費を浮かせると思っていたが、そう簡単な話ではなさそうだ。砲煙弾雨を掻い潜って敵に近寄るには相応の腕前と機体の性能が必要だ。新兵のクルスと安心、安全、性能はそこそこのアジムでは結果は火を見るより明らかに思われた。
「ヴァレリア、そいつが新しい男か?」
黒ずくめパイロットスーツに身を包んだ長身痩躯の男がいきなり声をかけてきた。ナイフでそぎ落としたような精悍な面構えに猛禽類のような鋭い目つき。スーツの外側からでもわかるしなやかな筋肉の張りは、戦いに身を投じる兵士の身体だ。長い黒髪を後ろで束ねて垂らしている以外、触れれば斬られそうな危険な雰囲気を醸し出していた。
「人聞きの悪い言い方をしないで。彼はクルス・A91。昨日、目覚めたばかりよ」
「ターオルング・666だ」
「ターオルングさん、初めましてクルスです。よろしくお願いします」
クルスが差し出した右手をターオルングは訝しげに眺めた。彼の目を見れば意思は伝わる。近寄るなというオーラが溢れ出ているからだ。クルスは手を引っ込めると笑顔を返した。
――OK、キミの意思は尊重する。お互いに不干渉でいこう。
「相変わらず何を考えているかわからない男ね。何か用でもあるの?」
「用というほどではない。明日、新兵を引率してエリア16へ偵察に行けとの命令だ」
「ああ、そう。そんなことメールで済むじゃない」
「メールはすでに送られているが、既読にならないから声をかけた」
「はいはい、了解しました。新兵たちをいきなり殺さないようにしてよ」
「ふっ、善処する」
微かに口の端を歪ませると、ターオルングは姿を現した時と変わらない唐突さで立ち去った。吹き抜ける一陣の風のような男だ。他人を寄せ付けない孤高の一匹狼の感がある。苦いものを飲み込んだような顔をしたヴァレリアは毒のこもった言葉を吐き捨てた。
「……死神がッ」
「彼も同じ部隊なの?」
「ええ、でもアイツには近づかないで。絶対に」
「わけを聞いても?」
「アイツの周りは常に死で溢れているからよ」
常に死と隣り合わせの兵士たちは意外なほどジンクスを気にする。人命が軽いからこそ少しでも生き残る可能性を求めるのだろうか。ターオルングの身体には落としきれないほどの死の匂いがこびりついている。それは兵士にとって忌避すべきものだった。
「味方殺しってわけでもないでしょう?」
「所属した部隊が三つも全滅して、アイツひとりが生き残っているのよ」
「確かに、異常なほど高い生還率だ」
「味方を囮にしたって噂もあるから。気に留めておいて」
明日の出撃がクルスにとってとんでもなく億劫なものに思えてきた。目覚めて初めての任務でもある。これからこの世界で生きるためには敵と戦い勝利するしかない。願わくは同じ人類同士でいがみ合うことは避けたかった。




