第2話 記憶
雷を落とされたようにクルスは身を縮ませた。ヴァレリアの視線を受け止めるのが、自分でなくて良かったと心から思う。何故、こんなにも恐れを抱くのか。それは失われた記憶の中に答えがあるのかもしれない。
「落ち着きなさい、ヴァレリア士長。目覚めで記憶の混濁が起こることには前例がある」
「そんな、まさか。全てを忘れてしまったというの?」
「《書き込み》に問題はない。生きるための知識は持っているはずだ」
「そうだとしても、どうにか記憶を取り戻せないんですか?」
「キミはクルスを廃棄処分にしたいのか?」
「そんなわけありません!」
「ならば存在理由を証明する手伝いをしてやることだ、彼のために」
チェンシーの言葉にヴァレリアは衝撃を受けているが、話題の中心であるクルスにはなんのことだかさっぱりわからない。自分は敵と戦える。後はそれを証明すればいい。そこに記憶の有無は関係ないはずだ。
「わかりました。私がクルスを必ず一人前の兵士にしてみせます」
「ふっ、頼んだぞ。ヴァレリア士長」
怒りの矛先をそらしたチェンシーはていよく厄介払いをした。有能だといえどヴァレリアも所詮、まだ子供なのだ。モチベーションに方向性を与えられれば、思い通りに動いてくれる。大人の狡さを垣間見たクルスは苦笑を浮かべるしかなかった。
「クルス、私が色々と教えてあげるわ。さあ、行きましょう」
「あ、はい。ありがとうございます、ヴァレリアさん」
「ヴァレリアよ。さんは要らないわ」
「ヴァレリア?」
口角を上げたヴァレリアはとてもいい笑顔を返した。雪のように白い肌、長い睫毛、整った顔立ち。初対面から距離感が近いことに戸惑う以外、美しい少女に慕われるのはそれほど悪い気分ではない。
「先ずは部屋を案内するわ」
「私物を何も持っていないのだけど、どこで調達すればいいのかな?」
「着替えと日用品は部屋に用意されているわ。それ以上のものはクレジットで購入ね」
左手の手首を突き出したヴァレリアは浮かび上がったホロディスプレイを見せた。クルスが行為を真似ると同じような表示が現れた。自分のヘルスデータの他に所持金が並んでいる。
「5000万クレジット?!」
「新兵の支度金よ」
「こんなに渡してしまって大丈夫なの?」
「使い切っちゃダメよ。これで自分の機体も調達するんだから」
「ああ、そういうことなのか」
頭の中に新兵支援制度の内容が浮かんできた。この手の制度は前提条件が複雑すぎて知識はあっても情報が有機的につながらない。結局のところ理解するには先達に説明してもらうのが手っ取り早かった。
「人型機動兵器は標準規格に則って各社がパーツを生産しているわ。クレジットさえあれば、自分の好みで機体を組むことができるの」
「ふうん。当然、性能がいいほど値段も高くなるんだよね?」
「そうね。でも機体に加えて燃料に弾薬、修理の費用も全て自己負担だから少し余裕は残しておいた方がいいわよ」
兵士といえども個人事業主のような有様だ。銃弾一発撃つのにも躊躇しそうな状況だった。これで機体を落とされた日には立ち上がれないのではないだろうか。精神的にも肉体的にも、資金的にも。
「最初はどの機体がおすすめなの?」
「値段が手頃で癖のない機体がいいわね。メーカーならアジムかクルムロフかな」
それぞれのメーカーの機体スペックが頭に浮かんだ。並んでいる数字はなにも訴えてこない。何を基準に選べばいいか、まったくわからずクルスは肩をすくめるしかなかった。新兵向けの試乗サービスでもないかと各社から送られてきたメールのタイトルを流し見した。
「これ、みんなどうやって決めているのやら……」
「ふふっ、乗ってみないと使い勝手がわからないけど、乗る機会なんてそうそうないものね」
「せめてメーカーの特徴だけでも教えてくれないかな?」
「アジムは安心、安全、性能はそこそこって感じかな。命を預けるに足る信頼性がある。でも、慣れてくると物足りなさを感じるわ」
「クロムロフは?」
「あのメーカーの売りは三つの『やすい』よ」
「やすい?」
「値段が安い、扱いやすい、壊れやすい」
二社の特徴はかなり異なる。どちらを選ぶかは個人の好みになってくるのだろう。アジムの機体なら使い潰すまで乗り続けて慣れていけばいいが、性能的にあまり無茶なことはできない。クロムロフの機体なら無茶をしてパーツが壊れても気軽に交換できるが、いつ動かなくなるかわからない危うさが存在する。
「ヴァレリアは何を選んだの?」
「私は躯体をアジムにして、パーツをクロムロフにしたわ」
「いいとこどりじゃないか!?」
「あはは、でも、丸ごと一機セットで買った方が割引は利くわよ」
ヴァレリアの選択が正解のように思えたが、彼女は肝心なところで結論を出そうとはしない。決断を他人に委ねようとするクルスをのらりくらりとかわしていた。一足飛びに答えにたどり着きたいクルスはやきもきしっぱなしだ。
「うーん、ヴァレリアの一番のおすすめはないの?」
「あのね、クルス。兵士にとって人型機動兵器は手足も同然よ。他人任せにしてはきっと後悔してしまう。間違っても遠回りしても自分で決めることが大切なの。あなたの命を預ける機体なんだから」
そう言ってヴァレリアは足を止め、窓の外に目を向けた。差し込む陽の光が彼女の寂しげな横顔を照らす。高層ビルが林立する美しく機能的な街並み。しかし、それはこの都市の一面でしかない。ハイブと呼ばれる人類の生存圏は世界中に30箇所。壁によって守られた狭い籠の中で《終末の目覚め》を乗り越えた人類は身を寄せ合って生きている。
極東アジアの島に作られたこの都市、ハイブ13には約1000万の人々が暮らしていた。周囲は戦いによって荒廃した都市の残滓と手付かずの自然がまだらに綾なす。狭い地域に押し込められて生存圏をこれ以上、広げられない理由は明白だ。人類が戦い続けている敵の存在がそうさせている。
そのためこの世界での職業分布は歪なグラフを描いていた。実に全体の半数を兵士が占めている。人類は生きるために戦い、戦うために生まれる。そうして次世代に種を残してきたのだ。そこに人間らしい感情や感傷は邪魔でしかなかった。人類はAIに権限を明け渡すことで徹底した効率化と管理体制を築いたのだ。
「どうしたの、ヴァレリア?」
「ううん、なんでもないわ。とにかく初出撃は生き残ることを考えてね。カッコいいところを見せようなんて思っちゃダメよ」
「もちろんさ。そんなことは露ほども考えていないよ」
頭の中に浮かんだ新兵の帰還率のあまりの低さにクルスは背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。子供たちが生まれて兵士として戦えるようになるまで十年。その生涯の大半を地中で過ごす蝉のように儚い。しかし、クルスは簡単に死ぬわけにはいかなかった。
――血を残さなければ、次の世代に。
それが《書き込み》によって全ての人類に刻まれた最優先事項だった。
話している間に目的地に着いたのかヴァレリアは部屋の扉に手をかざす。軽い駆動音と共に扉が滑るように開いた。中には二段ベッドに机とクローゼットがふたつずつ。少し殺風景だが、ありふれた二人部屋だ。
「さあ、ここがあなたの部屋よ」
「二人部屋なんだね」
「ひとりで部屋を使いたかったらもっと出世しないと」
「頑張るよ。ところで同室の人はどこに?」
「目の前にいるじゃない」
「えっ、ヴァレリアが何で?!」
「幼馴染は隣り合うんだよ。アーカイブにもそう書いてあるんだから。今度貸してあげるね」
クルスは思わず天を仰いだ。目覚めたばかりのお子様には難易度の高い状況だった。今後の生活を考えると目の前が真っ暗になる。解決の糸口がアーカイブに残されているのなら彼女に土下座してでも貸してもらおう。クルスはそう固く心に誓った。




