女と男
モニターの数字が、赤く点滅していた。
『ごー!』
ウィィィィン……。
『よーん!』
「悠真! お願い!」
『さーん!』
「愛してるって言ってよ!」
『にー!』
「悠真ぁっ!」
『いーち!』
俺は、目を閉じた。
『ぜろー!』
「いやあああああっ!」
ギィィィン!
甲高い金属音。
美月の悲鳴。
俺は反射的に目を開いた。
「……美月!」
刃は止まっていた。
彼女の指先と足先に、わずかに触れたところで。
美月は荒い息を繰り返していた。
「はっ……はっ……!」
指先から、小さな赤い雫が落ちる。
「……いや……」
彼女は震えていた。
「……いやぁ……」
俺は、何も言えなかった。
『おーっととっ?』
ヤミコちゃんが、間の抜けた声を上げた。
『ここで、なーんと!』
画面の女の子が、ぱちぱちと手を叩く。
『美月ちゃんに、お友達から応援のビデオメッセージが届いたよー!』
「……は?」
『みんなで応援しよー! ふれー! ふれー! み・づ・き!』
モニターが切り替わった。
そこに映っていたのは、見覚えのある男だった。
「……あ」
大学のキャンパスで、美月と手を繋いでいた男。
最初に見せられた、あの写真の男だ。
その隣には、美月がいた。
二人は腕を組んで歩いている。
やがて、一軒の建物の前で立ち止まった。
「…………」
ホテルだった。
男が美月の肩を抱く。
美月が笑う。
二人は、そのまま中へ入っていった。
「……美月」
「……違う」
彼女が小さく呟いた。
「……違うの」
映像が切り替わる。
今度は、ホテルの出口。
先ほどの二人が出てきた。
美月は男の腕に抱きついていた。
楽しそうに何かを話している。
男が笑う。
女も笑う。
「…………」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
デートの練習。
そう言っていた。
先輩に頼まれて、断れなかった。
だから、手を繋いだんだと。
……そうか。
ホテルに行く練習まで、してたのか。
『はい、次ー!』
別の映像が流れた。
知らない男。
美月が、その男と手を繋いでいた。
『次ー!』
また別の男。
美月が、男の頬に口づけをした。
『次ー!』
知らない男。
『次ー!』
知らない男。
『次ー!』
知らない男。
男。
男。
男。
俺の知らない男。
その隣には、いつも美月がいた。
笑っていた。
楽しそうに。
幸せそうに。
「…………」
何人、いるんだろう。
数えようとした。
でも、途中でわからなくなった。
そもそも。
なんで、数えようとしているんだ?
『あははっ!』
ヤミコちゃんが笑った。
『美月ちゃん、人気者だねー!』
「……やめて」
美月が呟いた。
『えー? まだあるよー?』
「……もう、やめてよ」
『だってぇ、せっかくのお友達だもーん!』
また、画面が切り替わった。
今度は、ホテルの一室だった。
テーブル。
ソファ。
ベッド。
そして、二人の男女。
美月と、見知らぬ男。
「…………」
男が、テーブルの上に置かれた小さな箱を手に取った。
俺は、その箱を見つめた。
「……あっ」
覚えている。
見間違えるはずがなかった。
俺が、美月に贈ったものだ。
去年の誕生日。
何軒も店を回って、ようやく選んだ。
あまり高いものは買えなかったけど。
美月に似合うと思った。
小さなネックレス。
渡したとき、美月は笑ってくれた。
『わあっ! 可愛い!』
『ありがとう、悠真! 大切にするね!』
そう言って。
俺に抱きついてくれた。
「…………」
映像の中の男が、箱を開けた。
ネックレスを取り出す。
しばらく眺めて。
鼻で笑った。
『なんだよ、これ。安っぽいな』
そして。
ゴミ箱へ放り投げた。
カラン。
小さな音がした。
「…………」
俺は、動けなかった。
『ちょっとー!』
映像の中で、美月が声を上げる。
『何するのよー!』
……美月。
俺は、少しだけ安心した。
そうだよな。
大切にするって、言ってくれたもんな。
男は笑った。
『そんな安物より、ほら』
男が取り出したのは、別の箱だった。
中には、きらきらと輝くネックレス。
『えっ?』
『こっちの方が似合うだろ?』
男が美月の後ろに回る。
そして、そのネックレスを首にかけた。
『……えーっ!』
美月が声を上げる。
『うっそー!』
彼女は鏡を覗き込んだ。
『これ、あのブランドのやつじゃん!』
『気に入った?』
『えっ、いいのー!?』
『もちろん』
『やったぁ! ありがとう!』
美月は、男に抱きついた。
嬉しそうに。
本当に、嬉しそうに。
男の首に腕を回して、何度もお礼を言っていた。
ゴミ箱の中には。
俺の贈ったネックレスがあった。
「…………」
俺は、それを見つめた。
ずっと。
ずっと、見つめていた。
あのネックレスを買った日のことを思い出す。
アルバイトの帰り。
ショーケースの前で、何度も悩んだ。
美月は、どんなものが好きだろう。
喜んでくれるだろうか。
そんなことばかり考えていた。
……馬鹿みたいだな。
俺。
『ねぇねぇ、悠真くーん!』
ヤミコちゃんが呼びかける。
『今の、どうだったー?』
「…………」
『美月ちゃん、すっごく喜んでたねー!』
俺は、隣を見た。
美月が泣いていた。
「……悠真」
俺は何も答えなかった。
「……お願い、聞いて」
美月の声が震える。
「……あれは、その……」
「…………」
「……ちゃんと、大切にしてたんだよ?」
俺は、もう一度モニターを見た。
映像は止まっていた。
ゴミ箱に捨てられたネックレス。
その隣で。
別の男に抱きつく、美月。
「……そうか」
俺は呟いた。
「……大切にしてくれてたんだな」
「……うん!」
美月が、必死に頷いた。
「そうだよ! だから……!」
「……うん」
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
不思議だった。
さっきまで、あんなに苦しかったのに。
今は。
何も感じなかった。
『さてさてー!』
ヤミコちゃんが、にっこりと笑った。
『それじゃあ、改めまして!』
画面いっぱいに文字が浮かぶ。
『それでも、愛してる?』
俺は、目を開けた。
美月が俺を見ている。
必死に。
祈るように。
「……悠真」
俺は、彼女を見つめた。
七年間。
俺が愛していた女の子。
その顔は、何も変わっていなかった。
でも。
「……ごめん」
自分でも驚くほど、静かな声が出た。
「……俺、もう」
美月の表情が凍りついた。
「……え?」
俺は、首を横に振った。
「……愛してるって、言えない」




