04 俺には一つの夢がある
ドン・橘ホーテ:みんな、俺、女の子を一人攻略した。
寮に戻った佐藤凡は、待ちきれないとばかりにスマホを開き、グループにメッセージを送った。
ラチェット:どのギャルゲ?
ドン・橘ホーテ:ギャルゲじゃない。リアルだ。
ラチェット:お、おう。脳内彼女ってやつ?
御坂1145号:最近のARグラスって二次元の女の子を現実に出せるらしいじゃん。橘のメガネ、いつ貸してくれる?
ドン・橘ホーテ:怒りのネットミームスタンプ.jpg
ドン・橘ホーテ:俺は七歳から恋愛アニメを見てるんだぞ。
ラチェット:バカ橘子が古参モードになった。逃げろ。
御坂1145号:古参特有の臭いがする。猫がうちわで扇ぐスタンプ.gif
ドン・橘ホーテ:プレイしたギャルゲは三十本以上、攻略したヒロインは百人を下らない。
ラチェット:どういう意味?
ドン・橘ホーテ:そんな俺はとっくに攻略神の境地に達している。女の子に話しかけられると、脳内に自動で選択肢が表示されるんだ!
御坂1145号:つまりARグラスにはAI会話機能まで付いてるの?
ドン・橘ホーテ:だから、女の子と三言以上会話すれば、その時点で俺が攻略している。
ドン・橘ホーテ:そして二十年間の修行を経て、ついに俺と三言以上会話してくれる女の子が現れた!!!
ラチェット:急に悲しくなってきた。
御坂1145号:かわいそうな橘。完全に掌の上で転がされてる。
ドン・橘ホーテ:へへ、お前らみたいなキモオタには分からないだろうな。俺はもうリア充なんだ。縁を切らせてもらう。
ラチェット:実は俺、彼女いるけど。
ドン・橘ホーテ:?
グループ通知:ラチェットは10分間の発言禁止になりました。
御坂1145号:権限行使!
古参である佐藤凡は、当然のように管理者の座を手に入れていた。
しかも、かねてよりグループ主の座を簒奪する計画まで密かに練っている。
あとは時機を待つだけだった。
そんな中、ラチェットがあまりにも空気を読まない発言をしたため、佐藤凡は仕方なく管理者権限を行使し、秩序を正すことにした。
グループ通知:ラチェットの発言禁止が解除されました。
ラチェット:土下座スタンプ.jpg
ドン・橘ホーテ:俺が攻略に成功するところを見てろ! 俺の青春が始まるぞ!
佐藤凡はスマホを閉じた。
もちろん、本気で数言話しただけで女の子を攻略できると思っているわけではない。
いつものグループチャットでの雑談、ただの戯言だ。
こうしてくだらない話をしていれば、グループの空気も盛り上がるし、暇つぶしにもなる。
「青春が始まる」なんてことも、本気では信じていない。
二十年間、何も起こらなかった自分の人生が、突然ここから好転するなんてあり得ない。
アニメじゃあるまいし。
いや、アニメでさえ、主人公の人生が変わるときには、その前に何かとてつもなく大きな変化が起きている。
真尋ちゃんが美少女になったり。
海崎新太が十七歳に戻ったり。
あるいは異世界行きの特急列車に乗せられて、異世界で人生をやり直したり。
少なくとも、何の変哲もなかった人間が突然モテ始めるような展開を、佐藤凡は見たことがない。
……いや、待て。
いないわけでもない。
温水と大先生って、まさにそうじゃないか?
自分はこの二人に最も近い人間だと思っている佐藤凡は、突然、本当に自分にも青春が訪れるのではないかと思い始めた。
もっとも、温水も大先生も高校時代に人生が変わっている。
佐藤凡のような大学生になると、集団で他人と接する機会そのものがほとんどない。
大学では、同じ寮の住人と数人の高校時代の友人を除けば、現実世界で親しい人間などほとんどいなかった。
つまり現在、佐藤凡の友人における男女比は、なんと一対六を突破している!
言い換えれば、佐藤凡の友人の十六パーセントは女性なのだ。
もし佐藤凡に六十人の男友達がいたなら、少なくとも十人の女友達がいることになる!
六百人の男友達がいれば、百人を超える女友達がいる!
百人攻略達成!
そう考えると、佐藤凡の口元は自然と緩んだ。
ただし、六百人どころか、現実世界で本当の意味で「友人」と呼べる人間は十人にも満たない。
つまり、百人攻略計画は途中で頓挫した。
「ピロン――」
スマホから通知音が鳴った。
佐藤凡はここに戻ってきてから、通知音を切るのを忘れていたことに気づいた。
反射的にスマホをマナーモードに戻し、それからLINEを開く。
グループの誰かが自分をメンションしたのかと思った。
しかし、意外なことにメッセージを送ってきたのはグループのメンバーではなかった。
花沢小渔だった。
大きな魚:『全修。』見た?
なんだ、アニメの話か。
佐藤凡はスマホを操作しながら返信する。
ドン・橘ホーテ:見たよ。そういえば、ヒロインって実は『ボボボーボ・ボーボボ』の……いや、冗談。広瀬ナツ子って結構『無職転生』のロキシーっぽいよな。
大きな魚:『バクマン。』は見た?
花沢小渔は佐藤凡のネタには乗らず、そのまま次の質問を送ってきた。
佐藤凡は少し不思議に思った。
花沢小渔はいったい何を聞こうとしているんだ?
この二つのアニメは、どちらもアニメや漫画の制作に関係している。
『全修。』の主人公、広瀬ナツ子は、アニメーターになるという夢を抱いて、本当にアニメーターになった少女だ。
最初にタイトルを見たときは、アニメ制作を題材にした作品なのかと思った。
しかし、実際には異世界ものだった。
序盤は少し退屈に感じたものの、話が進むにつれてどんどん面白くなっていき、終盤の神回には佐藤凡も長いこと余韻を引きずった。
一方、『バクマン。』は言うまでもなく名作だ。
文章を書くのが得意な秋人と、絵を描くことに秀でた最高。
そんな二人が漫画家になるという夢を叶えるために努力していく物語だ。
実のところ、佐藤凡が漫画制作の流れについて知っていることの大部分は、この作品から得たものだった。
ちなみに、『バクマン。』の作画を担当した小畑健は、佐藤凡が最も好きな漫画家の一人でもある。
『ヒカルの碁』も『DEATH NOTE』も、佐藤凡が大好きな作品だ。
ドン・橘ホーテ:見たけど、どうした?
佐藤凡は我に返り、花沢小渔に返信した。
大きな魚:まだ知り合ったばかりだし、最初はあまり色々言うつもりなかったんだけど。
大きな魚:でも今日話してみて、君もかなりのアニメ好きで、私と同じようなニート系引きこもりオタクなんだなって思った。結構気が合いそう。
ドン・橘ホーテ:こっそり俺の悪口を二つ三つ混ぜてない?
大きな魚:それと、帰ってから君のプロフィールに載ってた短編をこっそり読んだ。
ドン・橘ホーテ:???
そのときになって、佐藤凡はようやく思い出した。
自分はMMD動画だけでなく、プロフィールのコラム欄にもいくつか短編を書いている。
そのほとんどは二次創作だ。
女の子同士の「関係性」に満ちた、到底人には見せられないような内容も多い。
もちろん、真面目な純愛ものもある。
佐藤凡は暇なときに、趣味で小説を書くことがあった。
自分の頭の中にある物語を文章にする。
そのときに湧き上がった感情を、文字と一緒に一気に吐き出す。
佐藤凡は、そんな感覚がかなり好きだった。
大きな魚:君の小説、すごくいいと思う。
ドン・橘ホーテ:お、おう。ありがとう。
大きな魚:実は、私には一つ夢があるんだ。
佐藤凡はスマホの画面を見つめた。
どうも花沢小渔の話し方がおかしい。
何かを言いかけては、わざと途中で止めている。
これまでの彼女とは、まるで違っていた。
大きな魚:私、漫画家になりたい!
ドン・橘ホーテ:驚愕スタンプ.jpg
大きな魚:でも私、物語が書けないんだ。
大きな魚:実は漫画を何本か描いたこともあるんだけど、みんな「話がつまらない」って言うんだよね。
大きな魚:だから、君も一緒に漫画を描かない?
なるほど。
そういうことだったのか。
佐藤凡は思った。
最初から、これが目的だったんだな。
ドン・橘ホーテ:どうしたんだよ急に? 昼間はこんな感じじゃなかっただろ。それに普通こういう話って、まず生い立ちや家庭環境の話をして、それから心の傷とか人生の苦労を語って、最後に「私には夢があります」って言うもんじゃないの? 順番がおかしいだろ。
メッセージを送った後、佐藤凡はスマホの画面を見ながらしばらく待った。
少しして、花沢小渔から再びメッセージが届いた。
大きな魚:君の小説を読んで、ちょっと衝撃が大きかったんだ。つい興奮しちゃった。
大きな魚:ごめん。
ドン・橘ホーテ:お、おう。気にするな。
大きな魚:明日木曜日だし、私が「木曜ケンタ」奢るよ。今日払ってもらった分ってことで。
佐藤凡は喜びのスタンプを送ろうとした。
しかし、その瞬間。
表情が変わった。
眉間にしわが寄る。
ただより高いものはない!
こいつ、何か企んでいる。
突然奢るなんて、どう考えても罠だ。
油断させて俺を誘い出し、逃げ場のないところで捕まえるつもりだ。
絶対に何か裏がある。
「富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威武も屈すること能わず!」
たかが木曜ケンタごときで、この佐藤凡を誘惑できると思うな!
大きな魚:Microsoft Rewardsのポイント貯まったから、KFCのデジタルギフトカードに交換したんだ。1000円分あるから、好きなだけ食べよう。
ドン・橘ホーテ:絶対行く! 舌を出して喜ぶスタンプ.jpg




