27宿願、花のほころび
綺麗な子がいる。
まだ桜の花が舞い散る春の日。
教室の窓際で背中を丸めて本を読む青葉以外、目に入らなかった。
地味で、暗そうで、話しかけるなという雰囲気を全身から放つ彼女を、どうして綺麗だと感じたのか。
花音は理由を説明する明確な言葉を持たなかったが、あえて歌手らしいインスピレーション頼りの理由をつけるなら「運命」というやつだ。
無論、青葉にそんなこと言うと勝ち誇ったように嫌な笑い方をするから言ってはやらないけど。
そんな顔をした青葉の表情を、花音は未だ鮮やかに思い描けるのだ。
◇◇◇
カノンが歌手になったのは自分の歌を世間に認めさせるためだった。
カノンという人間の歌はふたりの人間によって構成されている。
一人は父、もう一人はかつて共に歌っていた、この世でただ一人の親友。
しかし二人とも世間から弾き出され、その歌を否定された。
父はスキャンダルと素行の悪さで、その曲まで否定され、青葉は素晴らしい才能を持っているのに舞台に立つことすら許されなかった。
ふたりの歌は素晴らしい。
花音の原点であり音楽の根本であり、楽しさを教えてくれた。
今のカノンがあるのはふたりのおかげだ。
両親が離婚して不幸になったとか苦労したとかそういう記憶は実際あまりない。
母が経済的に豊かだったせいもあるし、歌の教育も望めば望んだだけ受けさせてくれた。
一人で歌うのが当たり前になっていた頃、花音はあることに気づいた。
「私、なんで歌ってるんだろう」
母は花音の歌になにも期待していなかったし父のこともあり歌を話題にするのは気が引けたのだ。
父は家庭をまったく顧みない人だった。
家族らしく遊んだ記憶などないし、家にいた記憶もほとんどない。
しかし、たまに気まぐれみたいに花音を野外コンサートやライブハウスに連れていってくれた。
日向と会ったのもそのときだった。
父は音楽についてだけは多才な人で、出演予定のバンドに欠員が出るとステージに飛び乗り、1度聴いただけの曲を演奏できてしまう人だった。
隣にいた日向いわく、バンドメンバーよりも曲をモノにしているとかで、そんな父は花音にとって憧れであった。
歌は楽しい。
でも、一人で歌うのは楽しくない。
誰かと歌いたい。
亡霊のように自分の隣に並び立てる人を探し求めていた頃。
青葉が現れた。
一目見たときから目が離せなかった。
それくらい青葉は綺麗だった。
女優である母のつながりで、容姿端麗な人物には数多く出会っているし、花音自身も母に似た美人の部類だと思う。
それなのに何故か目で追ってしまう。
教室にいる青葉以外の顔がすべて同じにみえるくらい青葉しか目に入らなかった。
青葉はその頃まだ視線恐怖症の影響が強く出ていて教室の端で前髪をのばし背筋を曲げ自信なく俯いていた。
おどおどと周囲をみては再び視線を床に落としていた。
それでも花音にはわかる。
彼女は自分の隣で歌ってくれると。
青葉の歌はつい目で追ってしまうと世間は言うが、その才を見出だしたのは自分だと花音は主張するだろう。
視線恐怖症に悩む青葉を無理やり引っ張り出して歌わせたのは完全に花音の欲だった。
この子を取られてなるものか。
やっと見つけたんだ。
神の存在なんて欠片も信じていないけれど、青葉はきっと神様が花音のために用意してくれた子に違いない。
あぁ、でもこんなに可愛い子なのだから再び誰かがみつけてしまうかもしれない。
その前に自分から離れられなくするんだ。
気がついたら青葉の目の前に立っていた。
『ねぇ、あなた顔が良いじゃない。私と歌ってよ』
正直この誘い方は必死すぎだと笑ってしまう。
それくらいなりふり構っていられなかった。
◇◇◇
青葉が隣にいた2年間は花音の人生で最も幸福な時間だった。
『これ誰のCD?』
花音がCDショップで買ってきたCDのビニールを破りながら青葉が聞いた。そのあいだに花音はポータブルCDプレイヤーをカバンから出した。
『わかんない。てきとうに取ってみたやつ』
『好きだねぇ、そういうの』
『チッチッチ、こういう偶然の出会いが音楽の肥やしになるのだよ』
『へぇ、なら次私にも貸して』
『こうしたほうが早くない?』
イヤホンの片方を青葉の耳に差して自分はもう片方を使う。自然と距離は近くなる。
青葉のほうがわずかに背が高いから花音はわずかに視線を上げて見上げた。
こうすると青葉は観念して花音のワガママを聞いてくれる。
2人の耳に繋がった空色のイヤホンから音が流れ出す。
『インディーズの人かな?いいね、こういうの』
『……でもやり尽くされた感ない?このコードって定番じゃん』
『久世誠司がよく使ってたやつ?』
『それそれ』
『良いものはみんな真似したがるんじゃないの?』
『ふうん。お父さんのセンスが良かったってことね』
『そう思っておきな~』
CDショップをふたりでまわり、好きな音楽の話をして、共に歌う日々。
青葉といるとしたいこと、やりたいことがどんどん沸いてきて退屈しなかった。
歌詞に出てきたアーモンドとくるみのジェラートが食べたい、路地裏で猫を追いかけよう、真夏に天体観測したい、どっちかが寝るまで電話したい……ただ青葉とやったら楽しそうというだけ。
振り回される青葉は苦労しただろうが、常識人に見えて周囲と一線を画する青葉に合わせられるのは自分くらいだろう。
青葉は楽しそうに歌う子だった。
元々コツを掴むのが早い性分もあり、上達スピードは凄まじく、半年前まで素人だったとは思えないレベルだとボイトレの講師ともよく話していた。
花音が昔から指導してもらっているボイトレ講師は別の収入源があるとかで後進の育成としてデビュー前の人については月謝を取っていない。
その代わり先生が見込みがあると認めた生徒のみ指導を受けることが許されるのだ。そんな高い敷居を青葉はなんの意識もなく乗り越えた。
青葉の歌は聞く人を高揚させる。
青葉が楽しそうに歌うと観客も楽しそうにし、激しい感情を乗せれば叫び出す。寂しげにバラードを歌わせるとその場で泣き崩れる観客が出るほど。
一貫して青葉は楽しそうに笑っていた。
青葉が楽しそうに歌っていると、花音も楽しくなる。
常に楽しそうに歌っているからきっと、青葉は歌うのが好きなのだろう。
『私は楽しんでるだけ。花音が楽しそうに歌うから私も歌うのが楽しいんだ』
青葉は上達が早いと話すと、そんな答えが返ってきた。
あぁ、楽しいってこういうことを言うんだ。
誰かと共に歌うことの喜びがスッと胸の内によみがえってきた。
誰でもよかったわけではない。
青葉と歌うから、楽しいのだ。
歌いたい、青葉ともっと、歌いたい。
『それなら歌おうよ、もっと!』
懐かしくも新しい感情が花音に返ってきた。
それは間違いなく青葉のおかげだ。




