28宿願、星の離別
「最近青葉さんと歌やってるそうね」
「…………」
なんの前触れもなく母は食卓でそう切り出した。
花音は母、鶴舞はるかに歌の話題を出すことは極力控えていた。
母とて歌が嫌いなわけではないが、どうしても作曲家の父を思い出すのだろう。あからさまに嫌悪されてはいないが、わずかに眉が歪むのをみてから花音はなるべく歌の話題を出さないようにしていた。
「うん、青葉って上達早いのよ」
「視線恐怖症なんでしょ?大丈夫?」
「このあいだ病院行ったときは、だいぶよくなってるって言われてたそうよ。普通に人混みとか行くし」
「そう……あと、あなた歌ばっかりで勉強は大丈夫なんでしょうね?」
「なんと青葉に教えてもらっているので2年も赤点回避」
「我が娘ながら嘆かわしい……青葉さんも苦労するわね。そんな、歌にしか興味がない花音。よかったらコレ受けてみたら?」
足元に置いてあったバッグからチラシを1枚手渡された。分厚い紙に洒落たデザインで『新星求む』と印字されていた。
「オーディション?」
「えぇ。お母さんの知ってる事務所で新人発掘オーディションやるのよ。10代から20代の女性。グループ参加可。青葉さんと受けてきたら?」
「お母さんが紹介するくらいだからしっかりした事務所なんでしょうね」
「若い女の子の所属が多い事務所ですからそのあたりは手厚いって有名な事務所よ」
「うーん、応募期間まだあるし考えておくわ」
母から歌の、しかも歌手の話をされるなんて思いもしなかった。
娘に芸能の道を勧める人ではないが、母が勧めるとしたら女優だと思っていたのだ。花音の身長ではモデルは難しいと母は自分の経験でよく知っている。
芸能関係者から親子共演の話は幾度となく持ち掛けられたが母は1度も首を縦に振らなかった。
「なんか意外」
「なにが?」
「お母さんからオーディションの話をされると思わなかった。しかも歌手」
「そうね。私が勧めるとしたらやっぱり女優だけど……あなたが鶴舞はるかの娘っていうのが足を引っ張るのよ」
「そんなの今さらじゃない?鶴舞はるかの娘って肩書にオファーがたくさん来てるの知ってるよ?」
「鶴舞はるかの娘ってことはあの人の娘だから」
「あぁ……。そうね」
鶴舞はるかと久世誠司の結婚と離婚と、その理由は誰しも知るところだ。
いくら久世誠司の話題をNGにしてもSNSがこれだけ広がった現代なら完全に伏せることはできないだろう。
「でも最近のあなたを見ていたら鶴舞はるかの娘って公表しなくても通用すると思うのよね」
「そうなの?」
「伊達に女優やってないわよ。それに娘がやりたがってることを親の都合で止められないわ」
母は離婚して休業から復帰するとき散々父のスキャンダルを利用した。
鶴舞はるかは世間から健気なシングルマザーのイメージを勝ち取り、華々しく迎え入れられたが、久世誠司は一時期、公共の電波で曲を流すことすらタブー視されていたのだ。
それは鶴舞はるかの所属事務所に気をつかったとか、センセーショナルな話題を世間が求めたとか、色々言われているが実際はその全てが噛み合った結果だったと思っている。
復帰した女優・鶴舞はるかはその地位を磐石にしたが、その償いなのか、娘がしたいことはたとえ父を連想させる憎いものであっても否定できないのだろう。
「ふうん。ねぇ、お父さんとお母さんってなんで離婚したの?」
「今さら聞く?ネットで散々書いてあるでしょ」
「改めて聞いたことなかったじゃない。それにネットに書いてあることなんてアテにならないでしょ?」
「そうねぇ……あなたには隠すことでもないし……知る権利はあるわね」
「この歳でショック受けるとかもないよ」
花音は父に今さら父親らしさを求めてはいなかった。つまり、良い父親像など期待していないのだ。
「別にスキャンダルはどうでもよかったのよ……」
母は女優らしい物憂げなため息をついて、遠くに視線を向けた。
それから母が語った話は、花音には判然としなかった。母はそれ以上聞いてくれるなと無言で語っていたので、結局なにもわからないままだった。
◇◇◇
「オーディションかぁ……」
自室でひとり、花音は白い天井を見上げる。
以前、青葉はこの部屋で何気なく言った。
『なら、青葉の歌がたくさんの人に届いたらお父さんの歌が届くんだろうね。プロデビューなんかしちゃったらさ!』
そんなプロデビューという夢のような言葉が現実味を帯びる。
花音の置かれた環境なら、いずれ歌手なり女優なりを目指す道がおのずと拓けるだろうという予測があった。
しかし一人で歌うことにやりがいを感じなかった花音は乗り気ではなかった。
そんな花音の様子がここ最近変わってきたと、母も気づいたのだろう。
「オーディション、受かったら青葉をあの家から連れ出せるかな……」
他人の家庭のことではあるが、花音の目からみても青葉があの家で幸福になれる未来は描けなかった。
娘の病と向き合わない母。
外面しか気にしない父。
誰一人、青葉を見ていないではないか。
私だったら、私なら青葉をもっと幸せにできるのに。
「私にもっと力があればなぁ……」
あんな環境から青葉を連れ出してやりたい。
青葉には笑っていてほしい。
青葉を否定する全てを自分が蹴散らしてやれたらいいのに。
オーディションは定期的に開催されているようで、今のところ高校を卒業するまでの開催予定が組まれていた。
母はそこを狙って受けろと言っているのだろう。
「高校卒業まで待てないよ……」
そして2人はオーディションに合格した。
拍子抜けするくらい、あっさりと結果を告げられた。
しかし花音は忘れていたのだ。
所詮、自分たちなんて未成年で、庇護されている子どもでしかないと。
◇◇◇
青葉は、両親との話し合いの後、再び視線恐怖症を発症し、部屋から出られなくなった。
青葉からは何度も「ごめん」と、謝られたし、事務所には丁寧な謝罪のメールが届いたらしい。
自宅にも行ってみたが、ただ「会えない」と母親に言われ門前払い。
青葉はモデル時代のことを思い出したのだと言ってはいるが、そうではないと花音は思っている。
青葉の両親は娘のことを全くみていない。実の親のあんな目に晒され続け、それでも期待に応えようとしていた。
そうやって自分を追い込んで責めて、限界がきてしまった。
離婚こそしたが、良識のある大人に囲まれて育った花音にとって、青葉の両親は理解しがたく、吐き気のする存在だった。
自分が大人であったら。
経済的にも自立していて、青葉を連れてどこへでも行ける社会的な立場があれば。
何度もそう悔いて、歯がみした。
青葉に会えなくなり花音は自分のなかから光が欠けていく。
世界から色彩がなくなるとはまさにこのことだ。
何を見ていても感情は動かない。
それまで楽しく聞いていた音楽ですら無味乾燥で、心は動かない。
「青葉がいたから楽しかったのよ……」
花音が送り続けたメッセージに返信はなかった。
「青葉さん、様子はどう?」
母もさすがに花音の憔悴っぷりに気づいたのだろう。湯気の立つコーヒーを渡された。
「わかんない……」
「連絡とれないの?」
「うん……毎日メッセージ送ってるんだけどね」
「え、毎日?」
「だって青葉のこと心配なんだもの」
「……それあなたのことがプレッシャーなんじゃない?」
「私が!?なんで……」
「そりゃあそうでしょ?あなたたち、一緒にデビューしようって約束していたのに青葉さんは、できなくなってしまった。あの子、真面目な良い子だからあなたに責任感じてるんじゃない?」
「…………」
何の反論もできなくて、手のひらをグッと握りしめた。指先が食い込んで痛いくらいだったが、無力な自分をまざまざと自覚させられているようだった。
「私もメンタル系の病気でカメラの前に立てなくなった人はたくさん知ってるわ。みんな必死にもがいて、自分のなかで整理つけてるのよ」
「…………」
「連絡は控えなさい。せめて青葉さんから返事がくるまで」
自分はひどい人間だと思った。
青葉を待てなかった。
他人のせいにすることはいくらでもできた。
事務所から強く言われたとか、青葉が戻ってくる場所を作るとか、そんな言い訳はいくらでも作れた。
だけどそれは逃げているようで、花音の本音とはかけ離れていて。
どうしてあんなに素晴らしい音楽をつくる父が世間からつまはじきにされ、歌手として輝かしい才能に恵まれた青葉が世間から認められる舞台にすら立てないのか。
どうして、どうして。
なんで、なんで。
世間がふたりを認めないのなら。
私が認めさせてやる。
ふたりの音楽は素晴らしいと、自分が証明してみせる。
たとえ1人で歌うことになろうとも。
だから自分の歌が否定されるなんて認めるわけにはいかなかった。
カノンの歌は父と青葉の歌なのだ。
カノンの歌は父と青葉によって成り立っているのだから。
自分の歌を「違う」と言われるのなら、花音は認めるわけにはいかなかった。
それがただ1人の親友であったとしても。




