22懐古、衝動/水泡
事務所から声がかかったのは高校2年の終わり頃だった。
「オーディション?」
「うん、お母さんが受けてみないかって。あぁ、へんなところじゃないから安心して」
そう言いながら見せたチラシは青葉も知っている大手の事務所のものだった。あくまで花音の母は紹介しただけでオーディションは公平に行われるし、花音が鶴舞はるかの娘であることは伏せるという条件つきだ。
しかしそんな条件があったとしても不利になるとは思わなかった。
「私さ、青葉と出会うまでずっと1人で歌ってたんだ。そりゃあ歌うのは好き。だけど1人で歌ってても楽しくないんだ……」
「花音……」
「前にさ、私の歌がたくさんの人に届いたらお父さんの歌が届くんだろうって青葉、言ったよね」
「う、うん」
「だったらそれは青葉と一緒がいい。歌うのは青葉と一緒がいい!」
「花音……」
「ダメ、かな?」
「ううん。私も花音と歌いたい」
「青葉!」
花がほころぶような満面の笑みで花音は青葉に抱きついた。その勢いを抱き留めて、自然と青葉も笑っていた。
花音とならなんだってできる。
そんな気がした。
オーディションは拍子抜けするほどあっさりと合格した。元々サンプルの曲を聴いた時点で2人を採ることは決まっていたらしく、実際の歌唱審査では審査員たちの満場一致だったらしい。
全てが順風満帆。
未来に向けてうまく行っている。
だから忘れていたのだ。
2人は結局まだ未成年で、自分の力では何もできない子どもで、儘ならないこともあるという当たり前のことを。
「保護者の同意ですか……」
「はい。青葉さんも花音さんもまだ学生で未成年ですから親御さんへご挨拶をさせていただく必要があります」
「わかりました……」
事務所に所属するに当たっては保護者の同意が必須であった。
A4サイズの書類には細かい規約が連なりこれを説明したうえで親のサインが必要なのだと、事務所の担当者は至って親身に説明した。
花音の母が推薦するだけのことはあり年頃の女子を預かる責任の重さを十分に説明してくれた。
しかし、それが青葉にとっては足枷なのだ。
「先に母に話しておきますね」
「青葉……大丈夫?」
「うん。どっちにしても出てくる問題だからね」
青葉と母の関係は良いとも悪いとも言えない状態を保っている。
青葉の視線恐怖症が良くなっているとわかればまたいつかのようにモデルになれと言い出すのだろう。
まして、歌手を目指しているなんて言おうものなら歌手をやりながらモデルになるチャンスだってあると言い出しかねない。
「モデルはね、嫌いじゃないんだ。ただ、ママがさ……何て言うんだろ……私に期待してくれてるのはわかるんだけど、苦しい」
「うん……」
帰り道、花音はただ青葉の話を聞いていた。
夜に差し掛かり、周囲は薄暗くお互いの表情すらよくみえない。だが声を聞いているだけで感情は素直に伝わった。
「青葉はさ、ずっと頑張り屋さんでずっと頑張ってるんだよね。モデルやってるときも高校の成績も、歌も……視線恐怖症だってお母さんから聞いたけど簡単に乗り越えられる病気じゃないんだよ……」
「花音……」
「私は青葉と歌うの好きだから青葉も同じ気持ちならうれしい」
「私も花音と歌うの好きだよ。花音の歌はこっちまで楽しくなれるから」
「それはきっと青葉と歌ってるからだわ」
「ふふ……そういえば……花音って視線恐怖症ってちゃんと言うよね」
「な、なに当たり前のこと言ってるの……」
「ママは病気のことをアレとかそれとか言って視線恐怖症って言わないなぁって」
「そうなの?まぁ私は視線恐怖症を乗り越えた頑張ってる青葉が好きだからねぇ」
そうして話しているうちに青葉の自宅に着いた。父と母は家にいると連絡があった。
契約書類をしまったカバンの紐をグッと握る。その手のひらの上から花音が手を重ねた。
「私もいるから、大丈夫よ」
「うん」
契約書をみせながら青葉は努めて冷静に父と母に話をした。
オーディションに合格したこと、花音と歌手を目指していること、卒業までは学業を優先すること。
「それで、青葉は大学には行くんだろうな?」
「え……」
「おまえの成績なら難関国立も圏内なんだろ?それをやりながら進学できるなら許してやる」
「…………」
「パパ!そんな言い方……ねぇ、青葉ちゃん、歌手ってことは芸能人になるのよねぇ?ならモデルになるチャンスだってきっとあるんでしょ?やってみなさいよ!やっぱり青葉ちゃんはモデルになる子なのよ!」
「だからモデルじゃなくて……え……と……あっ……」
「青葉!」
咄嗟に花音の手を握る。それと同時に花音が青葉の肩を抱き寄せた。
「あの、もっと青葉のことに興味ないんですか?だいたい私と急に歌手目指すなんて……おかしいと思わないんですか?」
「え?どうして?青葉ちゃんなら大学行きながら歌手やって、モデルもやるくらいできるでしょ?」
「なに言って……」
頭のなかで音叉が響くように両親の声がガンガンと反響する。それは音楽のように楽しげなものでも、花音の声のような心地よいものでもなく、ただ不快で、それなのに脳髄を揺さぶられるようで……。
「青葉!呼吸!!」
「はぁっ!!はっ……あ……」
過呼吸だ、と久しぶりの感覚を冷静に理解した。
おぼろげにみえる両親の目は何故か驚いていて、まるで青葉を人間ではない何かとしかみていないようで。
あぁ、きっとこの人たちとはわかりあえないのだろうと自覚する。
両親のその目が怖かったのだ。
青葉のことを理解しようとしないのに、自分の理想ばかり押し付ける、その目が。
ようやく落ち着いたはずの視線恐怖症が再発したのはその日のことだった。




