21懐古、衝動/未成年
「ごめん、下から大きな声がしたから……顔色悪いよ。これは私が運ぶね。部屋で少し横になる?」
「う、うん……お願い……」
トレイを片手で持ち、花音は青葉の背中を撫でた。細い指の、小さな手のひらから伝わる温度が緩やかに呼吸の仕方を教えてくれる。
「あの、青葉さんを連れ出していたのは私なんです。こうやって勉強教えてもらったりしてて……私、あまり友達いなかったから青葉さんが遊んでくれるのが嬉しくて。できたらこれからも友達として仲良くしたいと思っているのでよろしくお願いしますね?」
問いかけるニュアンスだが、言外に許可など必要ないと伝えていた。
意志の強い瞳が母に真っ直ぐ向けられている。こういう目の花音は絶対に譲らない。背中に当てられた手がトントンと優しく叩いた。
「えっ……は、はぁ……」
ろくに返事も聞かないまま花音は青葉の背中を押してダイニングから出ていった。
母が青葉をみつめる光のない絶望に満ちた目が最後まで頭のなかにこびりついて心臓が嫌な音を鳴らした。
「大丈夫、ではないね。息できる?」
「うん、ごめんね……心配かけた」
「こういうときはゴメンじゃなくてありがとうって言うんじゃないの?……私、余計なことした?」
「全然。そうだね、ありがとう……」
花音のさりげない、青葉に負担を感じさせない優しさが心地よい。この優しさは素直に受け取っても良いのだと教えてくれるようで。
「まだお母さんがモデルに拘ってるとは……」
「うーん、話は聞いていたけど、こりゃあママのことは言わない方が良さそうね」
花音は声を潜めてささやいた。花音の母が女優の鶴舞はるかだと知られたら母は何を言い出すかわからない。特に母は鶴舞はるかのファンだし、今以上に暴走する可能性も考えられた。
「花音にまで迷惑かけられないからね」
「私は迷惑とか思ってないよ。はー……でもやだね、未成年って。私が青葉を養えるならここから連れ出すのに」
「そんなの私だって……」
花音を取り巻くしがらみから連れ出すのに。
青葉が口にしなかった言葉を察したのか花音は白い指先で青葉の制服の襟を摘まんだ。
学生の象徴でもある制服は、ある程度の責任から2人を庇護してくれると同時に、ある程度の自由を制限するものだ。
どれだけ頭がよくて歌が上手くても所詮、自分達は未成年で、子ども。
ドラマのように2人で逃避行なんてできないことに気付かないほど幼くはない。
落ち込んだ気持ちを晴らすように花音はパンッと手を叩いた。
「ねぇ、青葉。今日の勉強さカラオケでやらない?」
「カラオケで?勉強できるの?」
「するする!!ちゃんとやるからー!!歌おうよ!」
「……仕方ないなぁ」
青葉の手を取り花音は暗い場所に沈んでいた青葉を連れ出してくれる。それは鮮やかで煌めいていて、きっと絶望のなかに見える光とはこういうものを言うのだと、ストンとなにかが青葉のなかに落ちたのだ。
花音は楽しそうに歌う子だった。
元々の歌唱力の高さや表現力、伸びの良い声量はもちろんであるが、花音が楽しそうに歌うだけで周囲は明るくなるし、花音がバラードを歌えば聴衆の大半は涙する。アップテンポなロックを戦場で歌えばどれだけ戦意喪失した兵士でも意気揚々と戦うだろう。
周囲を巻き込む春の嵐のような歌声だけで、観客を盛り上げる天性のエンターテイナーだった
「花音が平和な時代に生まれてくれてよかったよ」
「それどういう意味よ……」
個室のテーブルに歴史の教科書と参考書を広げながら青葉は噛み締めるように呟いた。
参考書のページには戦国時代の武将たちの名前が連ねられている。
「戦国時代に生まれてたら国を5つは潰してるね」
「5個だけ?全部潰したら私が統一できるじゃない」
「どこの第六天魔王だよ……そういうことは織田信長と徳川家康を覚えてから言いなさい」
「はぁい」
「なら私が1曲歌い終わるまでにここからここまでね」
「えー!これ数学じゃん!青葉が歌ってるときに問題を解けと?」
「や!り!な!さ!い!!」
イントロが流れ出し2人でけらけらと笑いながら花音は問題集に向かう。そして青葉は鬱屈とした気分を晴らすように歌い出す。
いつだったか花音は青葉の歌はダイレクトに感情が伝わると言った。
それならどんな曇天だって晴らす歌が歌えるだろうか。無力な自分を嘆くのではなく、閉じた扉を蹴飛ばしてやるような歌が。




