20懐古、衝動/平行線
花音と出会って1年近くが経った。
「良い傾向ですね」
「そう、かもしれないです……」
数ヵ月に1度設けている医師との面談で青葉は最近、人の視線を気にしなくなったとようやく気づいた。
「歌と花音……友人がいると視線とか気にしてる暇なくて」
「良い友人ですね。このまま改善できるようにしましょうか。今日はお一人ですか?」
「いえ、その友人が一緒に来ています」
「お母様は?」
「……もう高校生だから病院くらい来れますよ」
医師も母と青葉の関係については理解をしている。一瞬カルテを入力する手をとめて何かを考えると「そうですか」と短く答えた。
待合室では花音は眉間にシワを寄せてスマホの画面と向き合っていた。
予約制の院内では待合室に人の姿はない。
平日ということもあるが、完全予約制のこのクリニックでは人と会うこと自体が珍しかった。
母はモデルになったときメンタルに不安があると噂になることを危惧して最初にこのクリニックへ連れてきた。
どうも心療内科を受診することは悪しきことだと思っているのか、青葉が心療内科に頼らなくてはならないことを認めたくないのか。
青葉には測りかねたがどちらも誤りではないだろう。
「おまたせ」
「どうだった?」
「良い調子だって」
「言われないと青葉が視線恐怖症なんてわからないくらいよ。頑張ったじゃない」
「花音のおかげ」
「そう?ならもっと感謝して?」
花音は冗談っぽくそう言った。本当は微塵も自分のおかげだとは思っていない口調だが、青葉は花音の影響が最も大きいと思っていた。
「このまま青葉の家行く?」
「そうだね、家にジュース残ってる」
「わかった」
病院のあとはそのまま青葉の家に行くことになった。勉強嫌いな花音と次の試験対策をするためだ。
花音は勉強へのモチベーションにムラがありやる気があるときは学年5位に入る成績を出すわりにやる気がないと全教科赤点という驚異的な記録を叩き出すのだ。
特に理数科目へのやる気のなさは凄まじく、どちらかといえば理数系の青葉を度々呆れさせている。
見かねた花音の母に頼まれたこともあり、青葉はこうして勉強を教えていた。
天下の鶴舞はるか直々に頼まれ断れるような勇気は青葉にないし、なにより花音が進級できなかったら青葉が困る。
「ただいまー」
「お邪魔します」
「あら……青葉ちゃん、おかえり」
陰鬱とした声に思わず肩が跳ねた。
今日は留守にしているはずだった。
「あれ?今日って出かけるって言ってなかった?」
「そのつもりだったんだけど、気が変わったの」
「ふうん」
ダイニングから母親がのっそりと顔を出した。
青葉が高校にあがりモデル業にまるで興味がないとわかると母親は一気に老け込んだ。
昔はモデルのスカウトを受けたことを自慢げにしていて、美容に何十万もかけるような人だったのに。
サロンに通わなくなった髪は四方に跳ね、白髪がまばらに伸びて、肌の血色は常に悪い。それなのに普段から人を見下し値踏みするような視線は昔よりも目立つようになっていた。
「ただいま。友達一緒だから部屋で勉強してる」
「友達……?」
「花音だよ」
「お久しぶりです」
花音は品のある仕草で会釈をした。自分の外見が派手だとわかっている花音は深窓のご令嬢のような立ち振ち舞いを心がけている。正真正銘のご令嬢であるが。
そんな花音に母は頭の先から足先まで視線を巡らせ小さくため息をついた。
「あぁ、いらっしゃい」
「花音、先に部屋行ってて。飲み物持っていくから」
「私も手伝うよ?」
「大丈夫だよ。それより部屋のエアコン入れといてもらえるほうが助かる」
「わかった」
花音は母親が不在のときに何度か連れてきている。しかし青葉があえて会わせないようにしていたのだ。
青葉にとっての聖域に、母親のもつ泥々とした不純物を触れさせたくなかった。
ダイニングで手早くコーヒーのペットボトルとグラスにつまめる菓子をトレイに乗せる。母親とのんびり話す気はあまりなかった。
「ねぇ、青葉ちゃん」
「なに?」
「花音ちゃん、だっけ?どこのこ?」
「高校の友達だよ」
「ふうん、ずいぶん派手な子ねぇ」
じっとりと値踏みするように、母は2階の青葉の部屋に視線を向けた。その向こう側の、花音をみているのだ。
「そうだね、花音は可愛いよ」
「遊んでる子なんじゃない?あなた最近どこかに出掛けてるみたいだけど大丈夫なの?」
「大丈夫ってなにが?別に成績だって落ちてないでしょ?」
「今日は病院だったでしょ?どうだった?」
「良い調子だって。最近はあんまり人の視線とか気にならなくなってきたし」
「そうなの!?よかったわぁ……青葉ちゃん、成績良いしスタイルも良いからまたモデルに戻れるんじゃない?あのお友達も一緒に……」
「花音を巻き込まないでっ!!」
「あっ……」
思わず、大きな声がでた。
キィンと空気が震えた残響がする。自分でも無意識だった。不在だと思っていた母がいて、焦った。いつもなら空返事をして流せることが流せなかった。
母の身勝手な願望に花音を巻き込もうとしているのはただ不愉快だった。
なにより青葉にはもうモデルをするつもりも、目指すつもりもなかった。
「で、でも……ソレだってよくなってるんでしょ……ならまた頑張ったって……」
「私にはもうモデル目指すつもりないよ。何回も言ってるじゃん」
「そんな、もったいないじゃない!」
心臓と胃のあたりに溜まるモヤモヤとした不快感は話すごとに増していく。母には何度も青葉にはモデルを目指すつもりなどないと話していた。
青葉が名門女子校の学内で上位3位以内の成績を常に維持していることで祖父母や父は母になにも言わなかった。
成績優秀者として名前が頻繁に上がっていると聞いたこともある。
それで母にかかるプレッシャーは軽減されているはずだ。十分じゃないのか、それで。
「せっかくママのおかげでソレも良くなってきたのに……」
「ママのおかげじゃないっ!花音の……花音がいてくれたから!花音がいてくれたから良くなったのよ!!」
ほぼ悲鳴に近かった。
体の中心から吐き出されたような本音は叫び声として母にぶつかる。堪えていたぶん、吐き出した声の残響はまだ肌にまとわりついているようだ。
「えっ……」
「青葉?」
生気を失った顔の母と、心配げにダイニングにやってきた花音が青葉を見つめている。
手にかけていたトレイを一旦置いた。ドッと胃に溜まっていたモヤモヤが質量を持ってのしかかる。




