16高嶺の花を引きずりおろす
高い、まだまだ高い。
1000人程度しかいない会場の最もステージが見やすい位置に関係者席は設置されている。会場の規模が小さいのでわずかに高さを上げてある程度の席だが、そこが今の青葉には手が届かない遥かな高みであった。
そこにただ悠然とたたずむ少女とも女性とも言い難い存在こそ青葉が焦がれてやまない花音であった。
ミルクティーを流し込んだ艶やかな髪は緩くウェーブを描き小さな輪郭にバランス良く顔のパーツが収まっている。
関係者席ですらペンライトを振ったりタオルを回しているというのにカノンは眉ひとつ動かさない。
ノリ悪っ!
青葉が隣にいたらそんなことを言って笑い飛ばしていただろう。
もっとも今の青葉にそんな権利はないが。
会場は華やかな蛍光色のペンライトで彩られ、飛び交う光で眩しくて、肌がヒリヒリと焼ける。
曲が変わると同時にペンライトの色が切り替わる。誰が指示したわけでもないのにその色は次第に揃って、赤から黄色、白、紫と続きAoの名前にあわせた青色に照らされた。
観客の熱で燃えてしまいそうな気さえしたが、今の青葉は熱量が増すばかりだった。
イヤモニから音が聞こえるが、それよりも全身の細胞で会場の音を、熱気を、空気を感じていた。
モデルをしていた頃、人の視線が急に怖くなった。
二つの目がこちらを見ているだけで震えが止まらなくなった。
それから人前に立てなくなった。
それがどうだろう。
見渡す限り人の目しかない。
「みんな楽しんでるー?」
ワァァと会場を割りそうなほどの歓声が響いた。
「私も楽しいよー!」
カノンに届けと歌い始めた歌はいつの間にかこれだけの人に届くようになっていた。
青葉の歌を楽しんでいて、青葉の歌を聞きに来てくれた人たちだ。
期待以上のものを返したいと、素直に思う。
「えーと、本日の配信ですがリアルタイムの接続が……なんと会場の人数を超えました!あれ?会場何人だっけ?」
配信の要領でとぼけるとすかさず会場からもコメント欄からも突っ込みが入った。100とか1万とか、たくさんとか、この雑でユルいところがAoらしさと言えるだろう。
たった一人から向けられる視線に恐怖していたのに今や1000を超える視線を向けられて、なおも堂々と立っていられるなんて。
あの頃の自分が知っていたら信じるだろうか。
「これだけ同接してもサーバー落ちないってスゴいよね、配信やってくれてるみなさんありがとー!」
関係者席に手を振ると配信プラットフォームの担当者が千切れんばかりに手を振り返してくれた。
それとあわせて関係者席に向かってありがとー、の声と笑いがおきた。
「いいね、私も負けてらんないなぁ」
どうしたって、気になるのはカノンの存在だ。
ファンはみんな大切。
青葉も、そこ並みのアーティストと変わらない。ここに立てるのも、視線が怖くないのも、彼らのおかげだから。
だけど、最後だけは彼女の為に歌うことを許してほしい。
無感情な瞳が何を考えているのか青葉にはわからない。
はるかな高みでただ傍観する、高嶺の花を引きずり下ろすための歌を許してほしい。
「次がいよいよ最後の曲となりました!え、アンコール?どうしよっかなー」
アンコールは用意してある。お約束というやつだ。
そっちはファンのみんなの為に歌うから。
イントロだけで誰もがその曲が何かを理解する。
それだけ印象的で、強力で、Aoを代表するといえる曲だ。激しいリズムと勢いのあるロックチューン。
久世はこの曲を青葉の歌唱力を最大限使えるように作ったと言っていた。
歌い出しはもったいぶって、わざと溜めを作る。
それから殴りかかるように転調。
自分に訴求力があるというなら届いてみせろ。
高嶺で澄ましたあの花に。
◇◇◇
アンコールが終わって会場から観客たちが出ていく。
観客たちが帰るときの顔をみればそのライブが成功したかわかるとよくいうが、日向の見立てでは誰の目から見ても成功と言えるだろう。
それくらい満足げに笑っていた。
興奮冷めやらぬというのは自分も同じだ。
今頃久世と青葉はバックヤードの控え室で何をしているだろうか。
お互いの健闘を称え合っているのか、初ライブを成功させた青葉を労っているのか。
いずれにしても珍しく久世が表情をコロコロ変えるところを拝めたのは日向にとって良い結果であった。
できれば自分もそちらに混ざりたいが、音楽プロデューサーの日向にはまだ仕事が残っていた。
「カノンさん?まだ帰らないのかい?」
関係者席にはほとんど人がいない。
観客を見送った青葉が関係者席の面々に挨拶して送り出したあとだ。
空っぽの関係者席で、ただカノンは表情を変えず座っていた。
「カノンさん……?」
なにも語らない。
普段からカノンの表情を知らなければそのわずかな変化にすら気付かないはずだ。
気付くとすれば長く音楽を介してカノンと接してきた自分くらいだろう。
「今から青葉に会える?」
「え?」
無機質にステージを見つめていたカノンの瞳には並々ならぬ闘志ともいえる感情が宿っていた。
「会いたい。青葉と、久世誠司に」




