15開幕する
カノンという歌手は謎に満ちた存在であった。
SNS全盛期の時代にプライベートを一切晒さない。
スタッフの運営するSNSアカウントはあるが告知程度でカノン本人は一切書き込まず、写真も宣伝に使うもの程度だった。
そんな売り方に多少の懸念はあった。
しかし、デビュー以降彼女を担当する音楽プロデューサーが押しきったのだ。
『カノンさんの歌なら歌だけで通用する』と。
実際蓋を開けてみたら彼の言うとおりカノンは歌だけで世間を沸かせ、今は街を歩けばそこかしこでカノンの歌が聞こえるようになった。
それからカノンはその音楽プロデューサーに信頼を置いている。
「珍しいね、カノンさんがネット発の歌い手に興味もつなんて」
カノンを担当する音楽プロデューサー、日向葵は陽気な声でそう聞いた。
誘っておいて白々しいことこの上ない。
カノンは普段はほとんど動かない目尻をキッと釣り上げ睨み付ける。
その様子を見てマネージャーを含めた周囲のスタッフたちの肩が跳ねた。
「ただ、気になっただけ」
「楽しみにしているといいよ」
「…………」
おもしろくない。
日向は周囲に人がいて、カノンがそれ以上の文句を言えないことをわかっていてやっているのだ。
関係者席にはカノンもよく知るレーベルの社長をはじめ、事務所の幹部、何度か仕事をした作曲家にほとんどお目にかかれない演歌歌手までそろっていた。
当然、カノンが顔をだすとざわつきはしたが、すぐに落ち着いた。
「じゃあ僕は下に戻るね」
「ねぇ」
「なんだい?」
「あとで覚えてなさいよ」
普段は人前で感情をみせないカノンの精一杯の反抗である。
日向の企みにわざわざ乗ってやったことへの。
◇◇◇
「カノンが来た」
「えっ!?」
「まじかよ!!」
本番を目前に控えた舞台袖。
珍しく日向が落ち着きなく顔を白黒させているから問い詰めたところそう言った。
「そういうことはもっと早く言えよ!!」
「だって本当に来ると思わないですよ!あの気まぐれ娘が!」
「…………」
まずい、と久世は素直に思う。なにせついさっきまで満員の会場を前にした青葉の緊張をどう解こうか思案していたところなのだ。
青葉をみれば瞳孔は開いているし呼吸も心なしか荒い。明らかに緊張の現れだ。
「青葉」
「な、なに……」
声が上ずっている。思えば青葉は普段から無駄に自信たっぷりでどんな無茶でも軽々飛び越えてしまう。緊張している青葉なんて久世も初めて遭遇するかもしれない。
「おまえ、なんで俺に曲を書けって言ってきたんだっけ」
「今それ聞く!?」
「大事なことだろ、全ての動機だ」
「そんなの……久世さんの曲じゃなきゃカノンには届かないから……私だけじゃ足りない……って言ってるじゃん!」
「そうだな、青臭いガキ一人の歌じゃ届かねぇ」
「励ましてるの?落ち込ませたいの?」
「だがな、そんなもん俺みたいな落ちぶれたオッサンの曲だって一緒なんだ。俺の曲だけじゃアイツには届かねぇ」
「…………」
「今は一人じゃない。青葉だけの歌でも、俺だけの歌でもなく俺たちの歌を届けるんだろ」
「…………」
芝居がかりすぎていただろうか。
とっさに飛び出した言葉とはいえ40も超えたおじさんが若者に言うには青すぎる。
言った手前こちらが恥ずかしくなりそうだ。
「なにそれ!クッサいセリフ!青春?」
一瞬の間があって、青葉は堪えきれず吹き出した。緊張の糸が途切れたのだろう。腹を抱えてケラケラと笑っている。
「そーだよ、今さらやってきたアオハルってやつだ」
開き直って胸を張ると青葉はますます笑い声をあげた。
「なにそれー!」
ひとしきり笑っていると、本番5分前です、とアナウンスが流れた。
舞台袖にも緊張が走るが、本日の主役は程よく肩の力が抜けたようで普段通り意志の強い瞳を爛々と輝かせていた。
「ありがと、行ってくるよ」
「おう」
シンプルな、短いやり取りで十分だった。
青葉は自分が何をするべきかよくわかっているし、久世も今さらとやかく言う必要もないとよくわかっている。
どちらが先に出したわけでもないが手のひらをパァンとぶつけ青葉は舞台に踊り出た。
足取りは軽やかで、名前のごとく新緑を思わせる瑞々しさのままに。
1曲目はスタンダードにアップテンポでノリのよいロックチューンを持ってきた。元々kuzuPがボカロ曲として書いていた曲をAoがカバーして評判の良かった曲だ。Aoといえばコレ、みたいなイメージの曲でイントロが流れた瞬間から文字通り会場が震えた。
「おぉ……」
舞台袖でも肌で会場の熱気を感じる。
歓声が飛んで眩しいライトと絡み合って青葉を照らしていた。
今の青葉をみて彼女が視線恐怖症だったと信じる者はいないだろう。
千をこえる視線を受けて、臆することなく青葉は歌っている。
「おぉって……これ元々久世さんの曲ですよ……ほかの歌い手さんもよくライブで歌ってるやつ」
「いや、そうなんだが……やっぱいいな、ライブって」
「そういえばライブの使用許可は出しても見に行ったことありませんでしたね」
「興味なかったんだよ」
「まぁ、これほど久世さんの曲を歌いこなせる歌い手はいませんでしたけどね」
「だろうな」
会場の熱気とは裏腹に舞台袖はヒリヒリとした緊張感で満ちていた。
そんななかでのんびりと話しているのだから他のスタッフからしたら邪魔だろう。
本番が始まればやることはないのだし関係者席に行けば良いものの、カノンがいるのなら久世も日向も関係者席には行きづらいのだ。
「カノンに届くといいな」
「届きますよ、あなたたちの歌なら」
出だしの1曲目が終わり余韻を残したままMCに移る。観客の興奮もまだ収まりそうになかった。
「みんな、来てくれてありがとー!」
普段から配信で話し慣れているのだろう。青葉は初めてのライブとは思えないほどに場馴れしていた。
あらかじめ何を話すかは考えてあると言っていたがトークの内容からするにほぼ即興だ。
「これライブ配信もやってるからコメントもらえるんだよね!はい、前のモニターみてー!えーと……『初ライブおめでとう!1曲目からめちゃくちゃカッコ良かった』っと。ぽてまるさん!いつも見に来てくれてるかただよね。今日もありがとうね、時間早いし大丈夫だったかな?」
「え、今日関東以外から来てる人いるー?うっそーどこどこ??まって、北海道?私のために来てくれたんでしょ」
「kuzuPはねぇ~一応きてるけど恥ずかしいから顔出しNGだそうです!残念だったね!!あ、でもイケメンじゃないから安心して。あと私のタイプの顔ではない。あんまりkuzuPの話すると怒られそうなので~、本人のことより曲聞いてください!それでは次いってみよー!」
トークの流れから自然に2曲目に繋がる。イントロが流れだし青葉の目付きがかわった。低く、それでいて響く声から人間ではほぼ不可能と言われる高音への転調を難なく歌いこなし、会場から歓声があがった。
難易度が高いこの曲は歌えたとしても編集で誤魔化す歌い手が多い。青葉も歌ってみた動画を投稿していたが、長いあいだ編集か生歌かと議論になっていた。
そこへ独自のアレンジを加えていることから生歌であることは誰の目にも明らかだった。
「すごいですね。ブレない」
袖にいたスタッフのひとりがポツリと呟いた。開始の緊張感がわずかにほどけ青葉の歌声に耳を傾ける余裕が生まれ始めたのだろう。
青葉のMCが予想よりも上手かったことも理由だが。
「驚けおどろけ、アイツはスゲェんだよ」
「久世さん悪い顔してる……」
「どうせ青葉のことをネットでちやほやされてる歌い手程度に思ってたんだろ」
「たしかに最初はネットでただ歌が上手いだけの子だったと思いますよ」
「あ?」
「でも、カノンさんへの気持ちと久世さんが青葉さんをここまで押し上げたんじゃないですか」
「そうかもな」
2曲目のアウトロから3曲目に繋がる。ここは青葉が昨日のリハーサルで突然変えた繋ぎだ。
あぁ、やっぱりこっちのほうがいい。
「えーと、日岡さんだったか……青葉のアシスタントについてた」
インカムで話しかけるとすぐに返事が返ってきた。
「はっはい、日岡です」
ライブに不慣れな青葉の世話役としてつけた若い女性がおずおずと手をあげながら小走りでかけよってくる。スタッフの腕章にウエストポーチをつけたシンプルな格好をしていて、注意していないとほかのスタッフに紛れてしまいそうだった。
「3曲目が終わって戻ってきたらバテると思うから酸素を渡してやってほしいんだが、あるか?」
「持ってきます」
日岡は袖の端からボトルを2本ほどウエストポーチにくくりつけタイムスケジュールと時計を見比べた。タオルに水を用意して構えている。
「久世さんがスタッフの名前覚えてる……」
「あの久世さんが……」
「俺だってスタッフの名前くらい覚えるって……」
「僕だって少し驚いてるんですけど」
「おまえもか」
3曲目が終わり会場が一旦暗くなる。
袖に戻ってきた青葉は久世の予想どおり呼吸が荒く全身で酸素を取り込んでいる有り様だった。すかさず日岡が酸素と水を渡して息を整える。
「どう?」
「いいかんじ」
「まだまだいけるよ」
「おう」
それだけのやり取りで十分だった。
青葉の目はもっとやってやるという闘志に満ちている。
それで十分、言いたいことはお互い伝わった。
「関係者席にカノン、いた」
「あぁ。俺もみた」
「高いね」
「そりゃな」
おまえもすぐ届くよ、そんなところ。
そう言ってやりたい気持ちを抑え込む。今の青葉は気休めの言葉よりその意志を燃やす熱の方が必要だろうから。




