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契約結婚の初夜、旦那様は花束ではなく帳簿を持ってきました 〜愛のない政略夫婦、傾いた灯り工房を二人で立て直します〜  作者: 雪乃フィオナ


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第52話:選挙の数字

 名簿の欠落は、調べるほどに、妙な形をしていた。


「同じ名前が、二度出てきます」


 レナール様が、写しを並べながら言った。


「掛け金を、二重に払わされている職人がいる。かと思えば、一度も払っていないのに、名簿に載っている者もいる」


「幽霊のような名簿ですこと」


「幽霊、はいい表現です」


 彼は、羽ペンの先で頁を叩いた。


「生きている人間の記録が消え、払っていない誰かの名だけが残る。……これでは、誰の声が本物か、誰にも分かりません」


「作為的、ということですの」


「作為的です。ただ、悪意があるのかどうかは、まだ分かりません」


 私たちは共済金庫の事務方に、直接話を聞きに行った。


 応対したのは白髪の老いた書記だった。長年この仕事をしているらしく、帳面の数字にはやたら詳しい。ただ、目の焦点は少しぼんやりしている。


「掛け金の欠落、ですか。……ああ、そういうこと、たまにありますな」


「たまに、とは」


「掛け金は、月々、職人が自分で納めに来る決まりです。ですが、忙しい月は、親方がまとめて納めることもある。まとめて納めると、誰の分か、正確に分からなくなることが」


「では、票は」


「掛け金を三年以上、途切れず納めた者に、票が付きます。……途切れた記録があると、票が消えます」


 私は、はっとした。


「テオの薬代は」


 工房のテオが、妹の薬代のために借金をしていた時期がある。あの時期、彼は掛け金を納められていたのだろうか。


 調べてみると案の定だった。テオの名はあの一年だけ、記録から抜け落ちていた。


「……酷いですわね」


「酷い、というより」


 レナール様が、静かに言った。


「仕組みが、そもそも、そうできているのです。生活に困った年ほど、掛け金を落としやすい。掛け金を落とせば、票を失う。票を失えば、金庫の使い道を決める場に、意見が届かなくなる」


「困っている者ほど、発言権を失う仕組み、ということですのね」


「そうです。……そして、それを設計したのは」


 彼は、古い帳面の表紙をめくった。


「四十年前の、当時のギルド連合議長の名です」


 オーブリーの名ではなかった。もっと古い、記録の中の名前だった。それでも仕組みが今も生き続けているのは、誰も直そうとしなかったからだ。


「オーブリー殿は、この仕組みを、知っていらっしゃいますの」


「知らないはずがありません。副議長として、金庫の管理にも携わっています」


「では、あの方も」


「利用しています。少なくとも、直そうとはしていません」


 私たちは書記に頼み込み、欠落のある名を、一つずつ拾い出す作業に入った。


 三日かけて二百近い名前が浮かび上がった。掛け金を納めていたのに、記録の不備で票を失っていた職人たちだ。


「これを、正せば」


「正せば、二百票。連合の議決を、動かせるだけの数です」


 レナール様は、写しを卓に置いた。


「オーブリー殿の議事日程まで、あと十日。……間に合わせます」


 私たちはその夜から、二百人の職人一人ひとりを、順に訪ねてまわった。テオも、その一人だった。


「俺の、票」


 彼は記録の写しを見せられて、しばらく声を失っていた。


「俺、票なんて、持てる立場じゃねえと思ってた」


「持てますわ。持っていたのに、失っていただけです」


「……取り戻せんのか」


「取り戻せます。あなたの分は、わたくしどもが証人になります」


 テオは、ぎゅっと拳を握った。


「……借金のとき、俺、票なんてもんがあることすら知らなかった。知ってたら、少しは違ったのかな」


「違ったかもしれません。でも、知らなかったのは、テオさんのせいではございませんわ。教える仕組みが、そもそも無かったのですもの」


「教える仕組みを、あんたらが作るのか」


「いずれ、作りたいと思っておりますわ。……今は、まず、票を取り戻すところからです」


「その票、あんたらのために使う。妹の薬代で工房に迷惑かけた分、少しでも返す」


「迷惑ではございませんわ。テオさんの分は、もう工房の一部ですもの」


 テオの隣で、妹のリゼットが頬を紅潮させて聞いていた。あの頃は月に金貨二枚半の薬代に追われていた少女も、今はもうすっかり顔色が良い。


「あたしのせいで、兄さんが票を失ってたなんて」


「あなたのせいではございませんわ、リゼットさん。仕組みのせいですもの」


「でも」


「でも、はよろしいの。今は、取り戻す話をいたしましょう」


 私がそう言うと、リゼットは、涙を拭って小さく頷いた。二百の票を集め終えたのは、選挙の三日前だった。


 その夜、工房に、思わぬ書状が届いた。


 商館からではなかった。オルレアのアシャール氏からの、直筆の一通だった。


『一度、お二人でお越しください。お伝えしたいことがございます』


 レナール様が、書状を二度読み返した。


「……何のご用でしょう」


「分かりませんわ。ただ、あの方が、わざわざ直筆で寄越すのは、初めてですもの」


「選挙が終わるまでは、王都を離れられません」


「ええ。……返事は、選挙が済んでからにいたしましょう」


 書状を文箱にしまいながら、私は胸のざわめきが収まらないのを感じていた。

第53話「議長は、誰がなっても」。選挙の決着と、アシャールからの招き。二つが、同じ日に重なります。

票の話は地味ですが、この物語の芯です。ブックマークをお願いいたします。

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