第三話 「果てにある始まり」
宿屋の一室。
陽が射す窓をカーテンで遮った真っ暗な空間。
簡素なベッドの上でうずくまる。
無音ーー
穏やかに微笑みかけてくるやつはもういない。
騒がしく高笑いを上げるやつはもういない。
追い続けた背中はもういない。
何も……ない。何もなかったんだ。
俺は毎日のように数日前の戦場を思い出し、記憶に囚われたままだった。
あの光景だけが脳裏に焼き付いて離れない。
シェーク、アッシュ、ルフィンの死に様。
そして、無情を張り付けた醜悪な笑顔。
思い出すだけで、悪感情が膨れ上がる。
憎悪に支配され、強烈な破壊衝動に苛まれる日々。
あの司祭は最終的に俺を殺さなかった。
「己が『無力』を抱いて、生きなさい。……プフッ、私だけは、貴方を応援していますよ」
あれだけは何としてでも殺す……この手で殺す。
あいつらを殺したみたいに……
いや、それ以上になぶってなぶってなぶり殺す。
(残虐に、冷酷に、追い詰めて、悲痛な叫びで許しを乞わせてから惨たらしく、俺を生かした後悔を抱かせて殺してやる……)
時は過ぎーー戦いで負った傷が癒えた時。
俺はベッドから出る。
剣を携え、防具と外套を纏って宿屋を後にする。
3人の遺体を火葬して、立てた墓を訪れる。
俺はこいつらを前にしても、涙の一滴も出なかった。
憎悪と無力感が混ざり合い、混沌としたドス黒い感情がそれを許さなかったーー
もう過ぎ去ってしまったんだ。振り返っても『失った』という血塗れの轍しかない。
進む。
あの化け物を殺せば俺はいつか、こいつらを思って泣く日が来ると信じて進む。
それから俺は、未だ各国で猛威を振るうモンスター達がいる、数々の戦場を渡り歩いた。
またあの司祭と会うかもしれないからだ。
単独で動く俺は、日々激化するモンスターの群れに地獄を、俺の『無力』を何度も見せつけられる。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度もーー
死にかけた。
死の拒絶、生存本能。
友を殺され、守るものすら何もないというのに、本能は無様にも生を求める。
死を実感する度に、生へと手を伸ばし、縋り続ける。
その度に、生への執着は産声を上げ、形を成していった。
そしてーー魔力となって現れる。
いつからだろうか。
魔力が線のように細くなり、半透明だった色が白銀の厚さを増したのは。
いつからだろうか。
片腕の手先から肩、または刀身を纏う程度だった魔力が、全身を覆うようになったのは。
いつからだろうか。
死を描くのが容易くなったのはーー
失ったあの時から、何年経ったかわからない。
恐らく数年は過ぎ去っただろう。
とある戦場、いつも通りモンスターの蔓延る戦地。
その中にーーあの司祭はいた。
新調されたであろう眼鏡と司祭服。
「おや、あなたでしたか。『無力』を味わった数年間はいかがでしたか? ぜひ聞かせて欲しいものです」
腰に刺した剣を抜き放つ。
数年で奥深くへ眠り、沈んでいたどろりと漏れ出す液体のようにドス黒い殺意が今、再び押し上げられる。
煮えたぎる白銀の魔力が瞬く間に全身を覆う。
「なんですか? それは。フフッ、またかつてのご友人をむざむざ殺されるだけの『無力』な小細工ですか」
苦しめて殺す。苦しめて殺す。苦しめて殺す。苦しめて殺す。苦しめて殺す。
「さて、次は一体どのような『無……」
1歩、強く踏み締め、死を描くーー
絶断ーー司祭は絶命した。
一撃、一刀。
縦に真っ二つとなって死んだ。
魔力が解け、全身の力が急速に緩んでいく。
寒い。体の芯から凍りついて冷え切っていく感覚。
吐く息が、それを通した喉奥が、冷たい。
カランーー
手の間から滑り落ち、剣を落とす。
握る力もなく、膝から崩れ落ちた。
終わった。
一瞬で。
俺の憎悪は、殺意は、生への縋りは矛先を失った。
ただの肉塊へと変わり果てたかつての司祭に、感情やその肉体をなぶることも、苦痛を与えることすら出来ずに終わった。
俺は本当の意味で『失った』。
司祭が死して、モンスター達は散り散りに去っていく。
戦場はただの荒野へと戻る。
その中でただ1人、燃え尽きた。
もう、どうでもいい。
世界が灰一色に染まっていく。
日に日に、虚脱感が身を蝕む。
それから幾度も夜を超えていた。
意味もなくただ、行き先もないまま放浪する。
(俺は……何かをしようとしていた……何を……?)
わからない。
もう、どのくらい歩いただろうか。
来たこともないところまで来ていた。
疲れた。
投げ出したいはずなのに。
もう楽になりたいはずなのに。
死ぬのが……怖い。
せめて……ならせめて、忘れさせてくれ。
何もかもをーー
短いのか、長いのかもわからない時間を無意味に浪費する。
無駄に生きていた。
意志も薄れ、意識すらも朦朧とする中で。
目が覚める。
「ーーあの、昼寝中悪いんだけど、ちょっといい?」
青空が視界に広がっていた。
(俺は……寝ていたのか……?)
顔の横には青々と生い茂る草が吹く風に揺れる。
体を起こして辺りを見回す。
知らない場所と、俺を起こしたと思われる少年と、心地よく寝そべる子供。
ーー違和感。
(何だ……これは……)
訳がわからなかった。
◇◇◇◇◇
空は満天の星が浮かび、地は薄暗い雲海が埋め尽くす。
果てしなく、どこまでも続く夜の空間。
一帯には数え切れない程の瓦礫が浮く中、一際輝きを放つ幾何学模様。
蒼光を放ち、圧倒的な存在感を示す超巨大な魔法陣。
その中心にただ1人、淡青の腰まで届く長い髪の少女は佇んでいた。
そして、どこか遠くを見据えながら微笑を浮かべる。
「この選択が一体どんな結末を迎えるのか、楽しみにしているよーーアルノ・ヴェニス」
誰も知らないどこかで、運命の歯車は静かに回り始めるーー




