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インティマシー・コーディネーターの俺に、人気俳優が毎回「触っていいですか」と聞いてくる件~同意しか求めない年下の執着が重すぎる~  作者: 月夜 闇花


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10/16

第10話「シーツの上の錯覚」

 撮影は最終盤を迎え、季節は本格的な夏へと移行していた。

 ホテルのスイートルームを借り切ってのロケ。

 今日は、このドラマのクライマックスとなる、遥斗と桐谷のベッドシーンの撮影が行われている。

 エアコンが効いた室内は、スタッフたちの熱気と機材の放つ熱で、独特の重苦しい空気に満ちていた。

 伊織はモニターのすぐ横に立ち、事前の打ち合わせ通りの動きが行われているか、鋭い視線で確認を続けていた。

 このシーンは、肉体的な接触だけでなく、感情の交歓を最大限に表現する必要がある。

 三崎監督の要求もこれまで以上に高く、テストはすでに何度も繰り返されていた。


「久世君、桐谷君の髪を撫でる時の手つき、もう少しだけためらいを入れてみて。触れたいけど、壊してしまいそうで怖い、っていう葛藤を出してほしいのよ」


 三崎監督の指示が飛ぶ。

 ベッドの上にいる遥斗は、乱れたシャツの胸元を開けたまま、静かに頷いた。


「わかりました」

 彼の声は低く、役柄の深い感情に浸りきっている。

 伊織は手元のタブレットを確認した。

 髪を撫でる動作は、事前の同意範囲内だ。

 ためらいの演技を加えることによる、身体への負担や安全上の問題もない。


「問題ありません。続けてください」


 伊織が短くゴーサインを出すと、再びカメラが回り始めた。

 遥斗の長い指が、ゆっくりと桐谷の髪に伸びる。

 その動作には、監督の要求通り、微かな震えとためらいが表現されていた。

 桐谷もそれに応え、目を閉じて遥斗の手を受け入れる。

 モニター越しに見るその光景は、網膜を灼くほどに凄艶《せいえん》だった。

 伊織は、コーディネーターとしての視点を保ちながらも、遥斗の指先の動きから目を離せなくなっていた。

 彼の手が、桐谷の頬を滑り、首筋へと降りていく。

 その触れ方は、ひどく慎重で、相手を壊れ物のように扱っている。

 まるで、彼自身が相手に触れることの恐ろしさと喜びを、同時に噛み締めているかのように。


 遥斗の指先が桐谷の肌に沈み込んだ瞬間、伊織の視界が不意に歪んだ。

 レンズ越しの桐谷の身体が、自分自身の輪郭へとすり替わる生々しい錯覚。

 強烈な照明の熱が直接肌を焼き、擦れ合うシーツの音が鼓膜を直接震わせる。

 遥斗の湿った呼気が、カメラ裏に立つ伊織の首筋に降り注ぐような強烈な共感覚《きょうかんかく》に襲われ、伊織は無意識に喉を鳴らした。


(俺が、榊さんに触れる場合の話です)

(手、触っていいですか)

(俺の顔、触っていいですか)


 フラッシュバックする彼の声。

 彼はこれまで、伊織に直接触れたことはない。

 常に境界線の外側に立ち、許可を求め続けてきた。

 しかし今、目の前のモニターの中で、彼は他者に触れている。

 その事実が、伊織の胸の奥に、得体の知れない焦燥感《しょうそうかん》を生み出していた。

 プロフェッショナルとしての冷静な心理的安全性が、内側からドロドロと溶かされていく。

 伊織はタブレットの縁を指の関節が白くなるほど強く握りしめた。

 自分が彼に嫉妬するなど、あってはならないことだ。

 自分はただの裏方であり、三ヶ月後には終わる関係だ。

 彼が誰に触れようと、伊織には関係のないことのはずだった。


「カット! オッケー、今のすごく良かったわ」


 三崎監督の弾んだ声が響き、現場の緊張が一気に解けた。

 スタッフたちが拍手を送り、遥斗と桐谷が体を離して一息つく。

 伊織はタブレットから視線を外し、深く息を吐き出して呼吸を整えた。

 これで、今日予定されていたインティマシーシーンの撮影はすべて終了だ。

 残すは、明日のクランクアップのみとなった。


「榊さん」


 機材の撤収作業が始まる中、桐谷が伊織の元へ歩いてきた。

 彼はバスローブを羽織り、少し疲れたような笑顔を浮かべている。


「お疲れ様です、桐谷さん。素晴らしいシーンでした」


「ありがとう。榊さんの調整のおかげで、安心して演技に集中できたよ」


 桐谷は伊織に礼を言うと、少しだけ声を潜めた。


「でも、今日は本当に疲れました。久世君の集中力、尋常じゃなくて」


「何か、事前の取り決めと違う接触がありましたか?」


 伊織がプロの顔で尋ねると、桐谷は首を横に振った。


「ううん、動きは完璧だったよ。ただ、あいつの目がさ」


 桐谷はチラリと、遠くでマネージャーと話している遥斗の方を見た。


「俺を見てるのに、俺を見てないっていうか。誰か別の人を通して俺に触れてるような、そんな感覚があったんだよね」


 伊織の指先が、冷たく強張った。

 桐谷の言葉は、伊織がモニター越しに感じていた幻覚を、正確に言語化していた。


「……それは、役作りによるものでしょう」


 伊織はどうにか声を絞り出し、平静を装った。


「そうかな。まあ、結果的にいいシーンになったからいいんだけど」


 桐谷はそれ以上深くは追求せず、スタッフに呼ばれて去っていった。

 伊織は一人その場に取り残され、冷たい汗が背中を伝うのを感じていた。

 遥斗が、誰を通して演技をしていたのか。

 考えるまでもないことだった。

 彼はカメラの前で桐谷に触れながら、その先にいる伊織を抱きしめていたのだ。

 演技というフィルターを通して、伊織の境界線を内側から侵食し続けていた。


(撮影が終わるまで待ちます)


 その期限は、明日だ。

 明日、すべての仕事が終わった時、彼からの問いかけにどう答えるべきか。

 伊織の心は、プロフェッショナルとしての理性と、彼に惹かれ始めている感情との間で、千切れそうなほどに葛藤していた。

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