第六話
「先輩」
「私、ずっと不安だったんです」
芹羽の涙はしばらく収まりそうにない。それでも、彼女は言葉を続ける。
「もしかしたらずっと答えを出してくれないんじゃないかって。どこかで先輩の気が変わっちゃうかもしれないって」
「心配で、ずっと怖かったんです。でも、先輩を不安にさせたくないから頑張って笑ってました」
わかってる。たとえ私が彼女を嫌っていないように振舞っていても、『答え』が出されるまでは、心のどこかに苦しみが潜み続ける。
そんなことわかっていたのに。私は彼女を苦しめていた。
「ごめん。もっと前から答えは出てたんだ。でも、芹羽とはずっと一緒にいたいって思ってる。だから、ちゃんと決めてから話したかった」
あの日、私たちは一緒に夢から夢へと乗り継いで行くことを約束した。もう…離してなんかやらない。
「ずっと…ですか?」
吹いたら消えてしまいそうな、彼女らしくない声色。
「うん。ずっと」
「多分、私はもう芹羽がいないと生きていけない。だって、何をしててもずっと頭の中に芹羽がいる。一緒にいろんなところに行きたいし、いろんなことをしたい。もっとたくさんの芹羽を見てみたい」
「一緒にいろんな夢を見せてくれるんでしょ?忘れてないから」
泣き顔を見せまいと顔を背ける彼女の頬に手を添える。やっと目が合った。
「だから」
「私とずっと一緒にいてよ」
彼女の目尻に溜まった涙をそっと拭い、笑いかける。涙でくしゃくしゃに歪んでいても、私の芹羽は誰よりも可愛い。
「先輩!!」
「大好きです!ずっと、ずっと…大好きでした!」
「十年経ってもずっと…大好きです。ずっと、一緒です」
背中に回された彼女の腕が震えている。この震えには、彼女の十年分の想いが詰まっているんだろう。
言葉は交わさず、私の肩で涙を流す背中を優しく擦る。こんな時間も私たちにとっては大事な思い出になるんだろう。
日も沈み夜が近づいてきたけど、まだ次の予定まで時間はあるらしい。
「ごめんなさい。嬉しすぎて、わけわかんなくなっちゃいました」
彼女はしばらく私の肩を濡らし続けていたけど、ようやく落ち着きを取り戻したらしい。
「ううん。なんか、変なタイミングで話しちゃってごめんね。ずっと言いたくて。今しかないって思ったから、つい」
落ち着いたふりをして話しているけど、私だってずっと心臓が騒いでいる。
頬に涙の跡を残した彼女が、緩んだ目元を私に向け問いかける。
「今、すっごく幸せです。先輩はどうですか?」
幸せ。それ以外の言葉なんて見つからないし、いらないと思う。
口を開こうとしたそのとき、ふと頭に考えが巡る。
一人嘆いていた夜に彼女と出会わなかったら、今頃どうしていたんだろう。あのまま、死んだように生きていたんだろうか。
彼女がいない日常が頭をよぎる。
「先輩…?」
あれ…。
視界が滲んで何も見えなくなる。
「ご…ごめ…」
泣くつもりなんて無いのに。喉が勝手に嗚咽を漏らし始めた。
「幸せ…。今は、生きてきて一番…幸せ、なんだけど」
「芹羽に会えなかったらって思ったら…」
さっきまで私が彼女の背中を擦ってあげていたのに。
閉園が近い遊園地には、私の泣き声と錆びたメリーゴーランドの駆動音だけが響いている。
「私たち、笑えちゃうくらいラブラブです」
涙が滲んだ声で笑う彼女の声が胸に響く。
「…一方的だったはずなんだけどね」
幸せ。きっと今、すごく幸せなんだろう。
だって、芹羽とずっと一緒にいることを誓った。
このデートが終わるのは何よりも寂しいけど、私たちはずっと一緒にいるんだ。一晩くらいなら我慢だってできる。
「先輩」
「キス。したいです」
キラキラした、大きな瞳と目が合う。私の大好きな瞳。私を眠れぬ夜から連れ出してくれて、私をずっと見守ってくれた瞳。
「許可とか…いらないから。もうストップも言わない」
そう言って目を閉じると、暖かい感触が唇から全身に広がっていく。柔らかくて、ずっと触れていたくなる。
一度離れて、またすぐに感触が戻ってくる。
「っ…!」
ついばむように優しく唇を咥えたかと思うと、温かくてどろりとした感触が唇の隙間から入り込んでくる。彼女の舌が私の口内をなぞり、逃げようと引いた舌もすぐに絡めとられ、濡れた音が耳に残る。
彼女の肩を掴んだ手が震え、小さく声が漏れる。
「ちょ…ちょっと!ストップ…!」
二人の間に細く長い橋が架かる。メリーゴーランドも止まったこの場所には、私たちの息遣いだけが残っている。
「ストップは言わないんじゃないんですか?」
いつものいたずっらぽく笑う無邪気な顔。何度も見たことがあるはずなのに、はじめて見た気がする。
不安が無くなって、本当の笑顔が咲いたのかもしれない。
「こういうのは…人がいない時だけ」
彼女から視線を逸し、手元のカップを口に運ぶ。
「先輩、今までで一番気持ち良さそうでした。本当に可愛いです」
騒ぎ立てる心臓を更に動かすように彼女の顔が耳元まで迫る。
「今日、泊まっていきます?明日お休みですよね」
息が詰まり、言葉が咳となってこぼれ出る。睨むように彼女を見やると、楽しそうに口元に手を当てて笑う姿が目に映った。
私はずっとこうだ。二つ年下の彼女に振り回され続けている。付き合ってもずっとこうなんだろう。
「…うるさい。そろそろご飯でしょ。行くよ」
全身の熱を振り払うように勢いよく立ち上がり彼女を見つめる。
「ほら、早く」
差し伸べた手がぎゅっと握られ、自然と頬が緩む。
「陽絃先輩」
「大好き。本気のやつです!」




