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無色透明に君が滲む  作者: 莉乃
歩くような速さで
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第十一話

 夢を見ていた気がする。どんなものかは覚えていない。けど、ずっと暖かかったような、そんな感覚。


 目を開けると目の前に見慣れない寝顔が見えて一瞬戸惑う。眠っていても整っている姿には、嫉妬心すら浮かばない。


 打ち上げをして、終電を逃して芹羽の家に泊まらせて貰った。全部覚えている。それなりにお酒は飲んだ気はするけど、記憶を無くすタイプではなかったらしい。


 それに、酔っていたのは電車を降りるまで。ここは自信をもって言えると思う。


 昨日、正確には今日の夜中には本当に色々なことがあった。


 芹羽の話を聞いて、私の話をして。


 桜色の唇の感覚が頭をよぎり、顔が熱くなる。


 何であの時…キスをしたんだろう。


 身体が勝手に動いていたけど、勢いでなんとなくしたわけではないと思う。


 目の前ですやすやと寝息を立てている姿をじっと見つめる。


 彼女の前髪をそっと耳にかけ、起こさないように優しく頬を撫でる。むにゃむにゃ言ってるけど起きる気配はないし、彼女も寝起きはあまり良くないのかもしれない。


 桜色の唇に目が吸い寄せられる。今だったらバレずに…。



「先輩」



「おはようございます」


 横たわったままのいじらしい笑顔の彼女と目が合う。


「お、おはよう。眠れた?」


「…はい。先輩が暖かくて、むにむにと気持ち良くて。もっと寝たいくらいでしたけど」


「そっか。私もちゃんと寝れた。今何時だろ」


 起き上がろうと身体を持ち上げた腕を掴まる。咄嗟に彼女に視線を向けようとした耳元に、吐息の混じった囁き声が流し込まれた。


「すっごく嬉しかったですけど、不意打ちはだめですよ。先輩」


 彼女の声が全身に響いて、身体が小さく跳ねる。あちこちに泳ぐ視線を抑えようとしても、身体が言うことを聞かない。


 起きてた…?寝息を立てていたし、きっと気のせいだ。何かと勘違いしたに違いない。


「なんのことだろ…?ってもう十五時だ」


 動揺を隠すように、彼女から顔を背けながらつぶやく。


「いっぱい寝ちゃいましたねー。もう少ししたらご飯食べましょうか。あと…」


 彼女は目を瞑りながら大きく伸びをしたかと思うと、不敵な笑みを浮かべながら再び私の耳元に顔を寄せた。


「誤魔化すならもうちょっと上手にしてくださいね」


 甘い声と共に頬に唇を落とされる。わざとらしく大きく立てた音を聞いて、身体の奥が熱くなる感覚を覚えた。


 全部お見通しらしい。彼女に弱点は無いのだろうか。


    ◇


 芹羽が作ってくれたホットサンドを食べながら、他愛もない時間を過ごす。前のパンケーキも美味しかったけど、これも負けてない。本当に料理が上手なんだと感心する。


「そういえば、もう漫画は描いてないの?」


 ペンギンが描かれたマグカップをいじりながら、ふと昨晩聞きそびれたことを聞いてみる。


「もう描いてないですよ。というか、中学以降描いてないです」


「そうなんだ。上手だったからちょっともったいないかも」


 高校くらいまでは続けているものだと思っていた。


「あの漫画を描き終わってそこまでって感じ?」


「いえ、あの漫画も先輩にお見せしたところで止まってます」


「そうなんだ」


 意外だ。確かクライマックスくらいまで描かれていたはずだから、完結させていると思っていた。几帳面な彼女らしくない。


「どうしてやめたの?」


「あれを描き終えて先輩にお見せしたら、先輩との関係がそこで終わっちゃう気がしたんです。だから、終わってほしくなかったから、描くのをやめました」


 だから、彼女がもう一度私の元に来ることはなかったのか。私が忘れていただけだと思っていたけど、そうではなかったらしい。


 「それに」と彼女は明るい声で続ける。


「あの物語はあそこで終わっちゃいましたけど、二人の意思は私が継いだ。ロマンチックな言い方ですけど、そんな風に思ってるんです」


「だからあの物語の続きは、今の私そのものなのかもしれないですね」


 明るく清々しい笑顔。時折覗かせていた、思いつめた表情は今の彼女にはない。


「それ、すごく素敵だと思う」


 あの漫画は途中で終わった。でも、放り出されたわけではない。市川芹羽という人間に二人の意思が受け継がれて、今、武見陽絃という人間との物語として続いているんだろう。


「また気が向いたら何か描くかもしれないですね。先輩と私をモデルにした漫画なんてどうですか?」


「それはちょっと…恥ずかしいかな」


 読んでみたいとは思うけど、私たち二人で紡いでいけば良い。漫画にするのはもう少し先でも良いだろう。


 ベッドでのことなんて無かったかのように、しばらくは他愛もない話をして過ごす。


 顔を見るたびに顔が熱くなる気がして彼女から目を背けていたけど、それでも居心地が良くてずっとここにいたいと思った。


 二人で洗い物を済まして帰り支度をする。気が付いたら十七時を過ぎ、夜が近づいている。ずいぶん長い時間一緒にいたらしい。


 名残惜しいというか、帰りたくないというか。


「先輩。今度、デートしましょう」


「え?」


 予想だにしていなかった話題が振り出されて、思わず間抜けな声が出る。


「デートです。私たち、おうちデートしかまだしたことないので。お外で一日一緒に過ごしたいです」


 彼女としたことと言えば、仕事を除くと平日のランチとこの部屋で過ごしたことくらい。色々順序がおかしい気がする。


「そうだね、いこっか」


 私たちはまだ付き合ってはいない。私は彼女の願いをずっと保留にしたままでいる。


 でも、これが良い機会だと思う。ちゃんとした場で、ちゃんと考えてたどり着いた私なりの答えを彼女に伝える。


「本当ですか!やったー!」


「デートプランは私におまかせください!先輩は、一番可愛い状態で来てくれるだけで大丈夫です!」


 何度も見た咲くような笑顔。でも、今までで一番大きく咲いていると思った。


「一番可愛いって…それが一番難しいんだけど」


 胸の奥がざわつく感覚に、鞄の中を整理する手が止まる。


 いつ、どこに行くんだろう。明日にはもう行きたい。


 遠足前の子供のような、一分一秒でも待ちきれないような気持ちであふれている。なるべく長い時間芹羽と一緒にいたい。できることなら、ずっと離れたくない。


 そんな、武見陽絃らしくないわがままな感情が生まれていることに気が付いた。

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