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無色透明に君が滲む  作者: 莉乃
歩くような速さで
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第三話

「お、お水たのもっか…」


 タブレットに伸ばした腕が掴まれる。


「先輩のおてて、ちっちゃくて可愛いですね」


 さっきよりも目がわっている気がする。自らの熱にほだされている…みたいな。


 私の手のひらを握ったり押してみたり。楽しそうに弄繰り回している。


「せ、芹羽の手も綺麗だよね。ネイルもいつもおしゃれだし…」



「やっと呼んでくれた」



 甘い声。


 横並びで座っているから、彼女の声がずっと耳元で聞こえて落ち着かない。


「な、なにを…?」


「名前」


「先輩、ずーっと名前呼んでくれなかったから。寂しかったんですよ」


 指先にぬるりと温かな感触がした。私の指先に舌を落とし、隙間一つ一つを埋めるように舌先がゆっくりとなぞられる。


「ちょ、ちょっと!汚いって…」


 反射的に手を引こうにも、席が狭くて思うように動けない。


 反対の腕が私の背中に周り、抱き寄せられる。彼女の顔が迫る。


 長いまつ毛。淡い桜色の唇。どんな時に見ても綺麗だと思うけど、近くで見るとなおさらそう思う。こんなことを思ってる場合じゃないのに、頭がうまく働かない。



 「『ストップ』って言ったら止まります」



 聞き覚えのある言葉。止まるって…もう指…舐めてるじゃん。


 「…ストップ!いったん、ストップ…!お店だから…ここ」


「誰にも見られませんよ。そのための個室です」


 ずっと顔が近い。横並びでいると、常に私よりも少し高い位置から見降ろされて、いつもより圧を感じてしまう。


「み、見られるとか…そういうんじゃなくて…」


 また指に湿った熱が走る。同時に太ももにもさすられるような感覚。頭がおかしくなりそう。心音がずっとうるさい。


「先輩。好きです」


 好きだったら何をしても許されるわけではない。


 自分の浅く息を吸う音がうるさい。個室といってもすぐそこには別のお客さんだっているし、店員さんの足音だって聞こえている。


 カップルシートなんだから、ここではよくあることなのかもしれない。でも、私たちはカップルではない。


 声が漏れないように口元を押さえる手が、じんわりと汗ばむ。


「本当に嫌だったらやめます」


 ずるい。


「帰れって言われたら帰ります」


 本当に…まずい。


 今の私の脳のリソースは、声を出さないように、過剰に反応しないように身体を押さえつけることにすべて割かれている。それ以外のことを考える余裕は…ほとんどない。


「先輩…好き」


「ぅあ…」


 耳のふちを、濡れた熱がゆっくりとなぞる。湿った音と彼女の体温が、耳元に落ちていく。


「そ…それ、ほんとうに、だめ…」


 酸素が足りない。心拍数の高まりに合わせて呼吸が浅くなり、熱を逃がすように腰が折りたたまれ身体が縮こまる。


 これ以上は…本当に…。


「…す、すと…すとっぷ…」


「一回…止まって…」


 まぶたの裏で火花が散りかけたところで、乱れた呼吸の隙間から言葉を押し出す。


 今、彼女はどんな顔をしているんだろう。息を整えるのに必死で、顔を見る余裕が無い。


 ぎりぎりのところで止められた自分を褒めてあげたい。


「ごめんなさい。やりすぎちゃいました?」


 平然とした明るい声が降り注ぐ。


 多分、彼女はいつもの笑顔を浮かべているんだろう。


「…やりすぎ…。よくわかってるね…」


 乱れていた呼吸はだいぶ回復してきた。喉が渇く。


 震える手を抑えながらグラスに手を伸ばしグッと呷る。喉元を通る甘さと、数秒前の景色が繋がってまた顔が熱くなる。


「先輩が別の女の子の話するから、お仕置きしちゃいました。しつけってやつです」


 楽しそうに笑う顔。


「私が先輩のこと大好きって知ってるのに、楽しそうに話すのが悪いんですからね?」


 躾って…。彼女と仲良くすることは約束したけど、飼われた記憶はない。


「…そこは悪かったけど…。お店だから、ここ…」



「お店じゃなかったらいいんですか?」



 予想だにしていない言葉に、反射的に彼女の顔を見上げる。


 周りにいるとつられるような、キラキラとした明るい笑顔。でも、瞳の奥にはその笑顔とは不釣り合いな熱が見え隠れしている。


「そ、そういうわけじゃ…」


「健全に…。健全に、ね。健全に…。」


 何度も自分に言い聞かせるように繰り返す。


「健全ってどこまでのことを言うんですかね~」


 彼女は楽しそうにグラスを傾けながら、ポテトに手を伸ばす。



「私新人だから、ちゃんと教えてもらわないとわかんないです」


 私のあごに彼女の白い腕が伸び、長いポテトを口に差し込まれ、反射的に少しずつ咀嚼そしゃくしていく。食べきったところで、白く細い親指が私の唇をそっとなぞった。


「美味しいですか?」


 自分の親指を舐めながら、彼女は楽しそうにこちらを見つめている。


 うまく言葉が出ず、視線を逸らす。

 

 ずっと彼女のペースだ。二つも年下なのに、振り回されつづけている。


 小さく息をつき、立ち上がりながら彼女が話す。


「ちょっとお手洗い行ってきますね。ゆっくりしててください」


 襖が閉じられ芹羽の足音が遠くなる。


 一人きりになった部屋で大きく息を吐く。個室とはいえ公共の場で、付き合ってもいないのに嫉妬をされ、触ったり…舐めたり…色々変なことをされ…。


 それなのに、それ程嫌な気持ちになっていない自分がわからない。


 武見陽絃はこんな人間だっただろうか。思考を乱すアルコールが憎い。


 気分を紛らわせたくてグラスを傾ける。三杯目ももう無くなってしまった。同じものをもう一杯。


 あんまり今は難しいことを考えたくない。すぐに届いたグラスを傾ける。


 眠くなってきた。多分、今、眠たいんだと思う。



「早く帰ってこないかな…」


 机に突っ伏しグラスをいじりながら過ごす時間は、永遠の様に長く感じた。

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