第一話
デスマーチを乗り越えた月曜日。先方から問題なくデザインが通ったことを知らされ、一件落着。
葉山さんからは地に頭をこすりつける勢いで謝られたし、病み上がりの臼井さんもずっと申し訳なさそうにしていた。
別に二人が悪いわけではない。直前でやり直しに舵を切った向こうが悪いし、助けを求めなかった私にも責任はある。
お土産でもらったパイナップルケーキをモソモソ食べながら、メールチェックを続ける。
「先輩、おはようございます」
顔を上げると、視界の端に見慣れた顔がいた。二日前に会ったはずなのに、ずいぶんと久しぶりに感じる。
「なんか、お菓子食べてる先輩ってリスみたいで可愛いですね」
そう思いません?と隣の同僚に声を掛ける姿をジッと見やる。
葉山さんにもそんなことを言われた気がする。手と口が大きくないんだからしょうがないじゃん。
「早く仕事に戻って。給料分は働かないとだめだよ」
キャーキャー楽しそうにしている芹羽を追い払い仕事に戻る。
月曜の朝は誰だって憂鬱だ。あの葉山さんだっていつもよりは元気がないように見えるし、電車の中は死屍累々《ししるいるい》といった感じで、皆苦しみながら会社を目指している。
私もその一部だったはずなのに、今日はそれほど嫌な気分ではなかった。
◇
あれから三日経った木曜のランチ。白を基調としたカフェ風の店内でカレーを口に運ぶ芹羽を眺める。
大きな平皿には丁寧に素揚げされた色とりどりの野菜たちが礼儀正しく一列に並んでいる。茄子に獅子唐、かぼちゃと…ヤングコーン?
これは夏にしか提供されないこの店の人気メニューだから、彼女に食べてほしくてこの店を選んだ。
あの日よりも外の気温は高いけど、店内はひんやりと涼しくて心地が良い。あの日と同じ席にいるはずなのに、見える景色が違う気がする。
「やっぱり美味しいですね、ここのカレー。見た目も可愛いし通っちゃうなー」
幸せそうにカレーを頬張り、ラッシーを飲んでまた幸せそうな顔。喜んでもらえてよかった。
「ハヤシライスもいいですねー。通な感じがします」
私の手元の皿を見る彼女に、噛みしめるように告げる。
「これはねえ…。一度食べたらもう戻れないよ」
ここはカレー専門店ではあるけど、たまに限定メニューとしてハヤシライスが提供される日がある。不定期なので狙って食べるのは難しいけど、提供されている日は絶対に食べるようにしている。
ここはハヤシライス専門店でもきっと繁盛することだろう。
「えーいいなあ…。一口ください!」
自分のスプーンを置いたかと思うと、大きく口を開けじっとこちらを見つめてくる。
「えっと…」
今は昼間だしそれほど混んではいないけど他のお客さんだっている。そういうことは、人目が無い時間と場所でするべきだと思う。
…前提が間違っている。
そもそも人がいる場ですることではない。外の暑さで頭が溶けてしまったのかもしれない。
「お昼の時間無くなっちゃいますよ~」
ため息をつき、彼女の口元にスプーンを運ぶ。からかわれた仕返しにと山盛りにしてやった。
「…っ!これは…たまりません!」
何か含みを感じるけど、気づかないふりをして自分の分を食べ進める。まあ…好きなものを共有できたから良しとしよう。
「先輩も!あーんしてください!」
付き合いたてのカップルでも今時こんなことしない…と思う。
彼女のスプーンがどんどん顔に寄ってくる。カットソーから覗く白い肌から目を背けつつ、小さく開けた口に差し込まれた馴染みのある味に頬が緩んでしまった。
◇
ランチの後、紬と柊さんがいるフロアに足を運ぶ。葉山さんがお土産を持たせてくれたから、両手に紙袋をぶら下げてフロアを彷徨う。
このフロアにはあまり来ることが無いから、彼女たちの席がどこにあるのかいつも迷う。
「武見さん?お疲れ様です」
白いブラウスに黒のサマーカーディガンを羽織る姿はまるでお忍びのお姫様のよう。とても目立つ人だと思う。
「柊さん、お疲れ様です。紬と柊さんの席に伺おうと思っていたんですが迷っちゃって。助かりました」
「そうだったんですね。椎名さんもお席にいるのでいらしてください」
彼女の背中を追いフロアの中央に歩みを進める。何度か来てるはずなのに、全然違う場所を目指していたらしい。
「紬、お疲れ様」
「あれ、こんなとこで何してんの」
「上司が出張に行ってて。お土産持ってきたから柊さんと周りの方たちと食べて」
紙袋を紬の席に置きながら二人のデスクを眺める。
柊さんの机は本人そのものといった感じで、無駄なもの一つなく綺麗に整頓されている。対して紬は…物が多い。
汚れてはいないものの、香水に飲みかけのコーヒー。大きなスマホにアニメキャラのフィギュアやアクスタなど、カラフルな物であふれている。
「へえ。うまいやつじゃんこれ。さんきゅー」
「葉山さんに会ったらお礼言っておいて。多分、死ぬほど喜ぶから」
「あんたの上司って…あー、あの…楽しそうな人ね」
彼女なりに気を遣った言葉を選んだらしい。二人だけだったら絶対『うるさそうなやつ』とか『ギャルみたいなやつ』とか言っていたに違いない。
お土産も渡したかったけど、このために来たのではない。本題を切り出す。
「あの、先週は色々ごめんね。柊さんにもお見苦しいところを見せてしまって…」
朦朧とした意識の中だったから半分くらいしか記憶は残っていないけど、結構キツイ言い方をしてしまったはず。
「なんかあったっけ?覚えてない」
あんたもでしょ?と柊さんに投げかけておきながら、紬の目線が一瞬宙を彷徨う。きっと忘れてなんていないんだろう。
「気になさらないでください。あの日は本当に顔色が悪かったので。今は元気そうで安心しました」
「本当にすみません…。流石に無理しすぎたみたいで」
紬はまあ…いいとして、何度も柊さんに頭を下げる。なんて情けない姿だろう。
「そういえば、武見さんの後輩?の方がとても心配していたようですので、お時間がある時に声を掛けていただいた方が良いかと」
「あーあの胸でかい子ね。あんたの席で話してる時も、帰る時もずっとこっち見てたわよ」
「椎名さん。もう少し言葉を選んでください…。」
彼女は、どんな顔で私を見ていたんだろう。
「わかった、ありがとう。話しておくね」
なにか言いたげな紬の視線が気になるけど、そろそろ戻った方がよさそうだ。
「もう戻るね。紬も柊さんも、色々ご心配とご迷惑をおかけしました」
モニターに向き直り無言で手を上げる紬と、丁寧にお辞儀をして見送ってくれる柊さん。真逆な雰囲気なのに妙に相性が良さそうな二人を横目に、エレベーターを目指す。
心配…。心配か。
彼女は私を追い詰めたのは自分だと思っていたらしいから、苦しい時間を過ごしていたに違いない。
今日と明日を乗り切れば打ち上げが待っている。何を着ていこうか、何の話をしようか考えているうちに、すぐに明日がやってくるんだろう。
もっと早く時間が過ぎれば良いのに。そう思ってしまった。




