第四話
外観は普通の一軒家。だけど、玄関をくぐると違う世界に来たような感覚を覚えた。
長い廊下を抜けて扉を開けると、暖色の明かりに包み込まれる。広いけど席数は少なく落ち着いた雰囲気。大きなガラスの先には小さな庭園。耳馴染みの良いジャズがひっそりと同居する世界。
無骨な大きな一枚板のカウンターに、見覚えのある背中があった。黒のシースルーシャツに派手な金髪。彼女は髪を小さく揺らしながらこちらを一瞥する。
「お疲れ。遅かったじゃない」
「ごめんね、お待たせ。でも、あれだけじゃ全然わかんないって」
隠れ家みたいな静かな空間には、紬とここまで案内してくれた女性以外の姿は見当たらない。
「お迎えが来たからいいでしょ。何飲むか決めたら。書いてないものでも言えば大体出てくるわよ」
彼女の隣に腰かけメニューを眺める。小さくて品のあるフォントはこの店の雰囲気に合っている。写真はないし、少し薄暗いから読みづらいけど。
いつの間にかカウンター越しにいた女性の視線が刺さる。色々聞きたいことはあるけど、とりあえず何か頼まないと…。
おしゃれすぎて何が書いてあるのかよくわからない…。視線がメニューの端から端まで駆け回る。
「よろしければ、こちらからご提案をさせていただいても?」
小さなグラスを手に取りながら微笑む女性と目が合う。
「すみません。あんまり詳しくなくて」
お気になさらず。と、優しい声。バーなんて来たことがないからどんなものがあるのかもよくわかっていない。
彼女は私を静かに見つめたかと思うと、薄く微笑み手際よく準備を始めた。
手持ち無沙汰になり、その手元を静かに見つめる。赤いリキュールと少しとろみを持った真っ白な液体が混ざり合う。
「お待たせしました」
小さな脚付きのグラスが差し出される。底は赤色にも近く、ふちに近づくにつれて桜色に移り変わっている。
とてもきれいだと思う。
「あの、どうしてこれを作ってくださったんですか?」
「僭越ながら、武見さんはあまりお酒にお強くないと見受けました。そして、少女のような可憐さの奥に見えた儚さ。そして、今抱えられている淡い心の声を聞いて、こちらをご用意した次第です」
淀みなく、それでいて芯のある声が胸まで届く。
「でた、いつものきもいやつ。あんま気にしなくていいわよ。こいつの癖だから」
隣からトゲのある声が聞こえる。多分常連なんだろうけど、店員さんに対してずいぶんな言いぐさだと思う。
「客を見てそいつにどんな酒が合うか妄想するのがこいつの生き甲斐らしいから」
バーのマスターは来店した客を一目見ればその人に何を出せば良いかわかる。そんな話をどこかで見聞きした記憶はある。だったら、紬の手元にあるお酒にはどんな物語があるんだろう。
二人からの視線に耐えられずグラスに口をつけると、甘いミルクの中から小さく主張するベリーの香りが鼻を抜ける。
「美味しい…」
アルコールの味があまり好きではないから、普段からお酒を口にすることはほとんどない。飲んだとしてもカシスミルクだけ。昔紬に笑われたこともあったっけ。
「クランベリーミルクです。度数は低くしていますが、飲みすぎにはお気をつけください」
「ありがとうございます。すごく美味しいです」
仕事ですから。微笑みながらそう告げ、静かにカウンターを離れていく姿を見送る。
「ここにはよく来るの?」
「まあね。姉の店なの、ここ」
あー…。
マスターからどこか見覚えのある雰囲気を感じたけど、紬のお姉さんだったのか。
「そうだったんだ。なんか紬と似てる気がしたから納得した。顔も雰囲気も似てるけど…ごめん、言うのやめとく」
カウンターに肘をつき、グラスを弄ぶ小さな姿を見て苦笑する。
「追い出すわよ。あんただって私と変わんないでしょ」
ごめんごめんと謝りつつ、グラスに口をつける。甘くて美味しい。
それで、と一息つきカウンターを見つめながら彼女が言葉を紡ぎ出す。
「いったいどういう風の吹き回し?あんたから連絡が来ることなんて一生ないと思ってた」
「そうだね。自分でもちょっとびっくりしてる」
「その…色々あって」
一日考える時間はあったのに、結局何も決めないでここまで来てしまったから、言葉が詰まる。何から話せばいいのか、どこまで話して良いのか。
「今日は誰も来ないから。時間も人目も気にしなくていいわよ。お代わりが欲しかったら言って」
紬の優しさが暖かい。私がすらすらと話せないことも、静けさが好きなことも全部理解したうえでここを選んでくれたのだろう。マスターもすぐにカウンターを離れたあたり、人払いまでしてくれたのかもしれない。
「ごめんね。いつも」
しばらく無言のまま二人でグラスを傾ける。飲み進めるうちにクランベリーの酸味が強くなってきた。
「友達の話なんだけど…」




